涼菓

 

 暑い日が続いています。私も少し夏バテ気味です。疲れたときには甘いものが欲しくなりますね。

 芙蓉手の大鉢に氷を浮かべて葛桜を冷やしましょう。

細めの線で描かれた染付けに水を張ると、それだけで随分涼しそうです。

 芙蓉手といわれる焼き物は、もともと中国の明時代(1368〜1644)後期に、景徳鎮の民窯で焼かれたものといわれています。赤絵で有名な万暦の銘のものもあります。器の形が芙蓉の花のようだからこういう名前がついたといわれています。。
 かなり精緻な大皿もあり、呉須手風の,安南の菁花かと思われるものもあり作行きは様々です。
 当時東インド会社からヨーロッパに向けて大量に輸出されました。そのせいかヨーロッパからの注文らしいデザインもみうけられます。それらは江戸時代の日本にも持ち込まれて、有田でも輸出用にたくさんつくられたようです。

 わたしは、民窯らしい自由闊達な筆致の、やや荒れた風情の芙蓉手が好きです。とは言っても、あまり”荒れた風情”を狙いすぎるのもそれはそれでいやらしいものですからね。筆はあまり走り過ぎないように、かといって、かっちり窮屈にならないように。その当時流行っていた文人画風の雰囲気がどこかに漂うといいなとおもいます。

 お菓子を食べた後も、水を湛えた芙蓉手大鉢に、雑草を浮かべて置きました。天井に反射する水の光もきれいです。

 取り皿は垣通しという草の葉の形です。その名の通り垣根を越えて這いのびる生命力旺盛な植物なので薬効もあります。花もも小さいけれど可愛いんですよ。
 冷たいお茶の入った蕎麦猪口は風鈴の模様。
 大鉢の右に隠れている小さな角皿は古染付風の海老の図です。古染付も同じ明時代の末期、天啓時代以降の景徳鎮の焼き物です。明王朝の滅亡を前に、政府の締め付けがなくなったおかげで、自由で屈託のない器が焼かれました。私はそういう古染付大好きです。

 俳句にもありますね「じだらくに居れば涼しき夕べかな  宗次」この句は、芭蕉の前で緊張し正座かなんかしていた人物がやっと少し人心地ついたところで作られています。「じだらく」といってもそのくらいです。ちょっと衿を緩め膝を崩すくらいが涼しげなもの。

 皿の藍滲むばかりに盆の月  おるか