いただきもの

 ちょっと季節外れですが、いただいた蟹の甲羅揚げが、おいしかったもので。
 太陽がそろそろかに座にはいるころですね…なんて苦しい。

 ワインも当来物。2006年のブルゴーニュです。ああ、もつべきは食通の友。こちらはお皿を提供したのみ。いつもの鼎文様の大皿です。パスタにカレーに、我が家では出番が多い器の一つです。

 蟹は世界中で食べられているのに案外神話や寓話のなかでは良い役があたりませんね。
 かに座の神話では友人のヒドラのために思わず英雄ヘラクレスの足を挟んで殺された、情には厚いけれど、分をわきまえない愚か者役です。イソップ寓話では自分が横歩きをしているのに気づかずに子供蟹に注意するお母さん蟹ですし。
 どうも自分の殻に閉じこもって客観的にものを見ることが出来ない生き物というイメージがあるようです。西欧では癌と同じ言葉というか語源でもあるので、かに座もなんとなく縁起の悪い星座みたいなイメージです。

 日本では蟹はまぁまぁの役どころでしょうか。猿蟹合戦の蟹は、殺されてしまうとはいえ、人のいい善人(蟹?)ですし、何より宮沢賢治の童話「やまなし」のサワガニ一家はうつくしいですね。たまに、お料理やさんでサワガニの唐揚げが生前の姿もそのままに出てくることがありますが、おもわず「クラムボン!」と心の中で涙にくれてしまいます。
 「やまなし」のなかで蟹の兄弟が「クラムボンわらっていたね』『クラムボン死んじゃった』と話している、その存在。
 クラムボンは蟹の泡だろうという説があると知って驚きました。子供の頃始めて読んだときからクラムボンはお友達の蟹の子と思い込んでいましたので。だってヘビのナーガに食べられてしまう子蛙ギルちゃんの詩などもありますものね。あわれ!殻に閉じこもった家族思いの蟹よ。その身の美味しさをお前は知っているのか?
 金子みすずの「大漁」で「浜は祭りのようだけど 海の底では何万のイワシの弔いするだろう」ってありますね。私はこの詩が大嫌いです。子供のときからクラムボンやイワシやその他生き物を食べなくてはならないのが辛かった。「ヨタカの星」のヨタカのように食べずに死んで星になりたいと思うこともありました。なんだか暗くなってしまいました。

 ともあれ、今はこうして食器を作っています。美味しく美しくいただくのがせめてもの供養というか命をいただくマナーですよね。そうだ、こんどサワガニ唐揚げに出会ったらバリバリ食べてやるぞ。

 時々行く沢蟹のゐる暗き沢  おるか

 

2011年6月6日