絶望のスパゲッティ・貧乏人のサラダ

 

冷蔵庫のドアを開けて

一コの希望もみつからないような日には

ピーマンをフライパンで焼く

 長田弘の詩集「食卓一期一会」の「絶望のスパゲッティ」という詩はこんなふうに始まります。

 この後、材料をそれぞれ下ごしらえして刻むのですが、たまたま我が家の冷蔵庫の中にあるものばかりだったので作ってみました。要するにどこの家でも多少は残っている野菜と、いつ買ったのかわすれてしまった缶詰とかでできた絶望なんでしょう。オリーブの実はあったほうが嬉しい。パセリやハーブ類は、この季節の庭に生えているのをなんでも入れてOKです。それらをみじん切りにしてよく炒め、茹で上がった熱いスパゲッティにかけてまぜる。パルメザン・チーズをお忘れなく。
さて、詩はこんなぐあいに結ばれています。

スパゲッティ・デスペラート。

絶望のスパゲッティと、

イタリア人たちはそうよぶらしい。

どこにも一コの希望もみつからない

平凡な一日をなぐさめてくれる

すばらしい絶望。

たしかに缶詰(写真はアンチョビですが、強い味付けの缶詰の方ならなんでもいいでしょう)と。チーズの臭さがハーブの香りと微笑みあって、なかなか奥行きのある絶望の味でした。

 これに添えるのは、貧乏人のソースサラダといきましょう。
 赤のワイン・ビネガーにみじん切りのパセリや細ネギを混ぜただけで簡単この上なし。
 なぜ「貧乏人」なのか、と考えたんですが、このソースはお塩をいれないんです。塩は、サラリーマンのサラリーの語源ですから、それがないので貧乏人ってジョークかな、と思いました。

 なんだか調子に乗ってきたので、もう一品、「家なき子のスープ」です。そうです。子供の頃に誰でも読むお話「家なき子」です。主人公レミが育ての親のお母さんと一緒に貧しいながらも心温かく暮らしていた家に、怖いお父さんが帰ってきますね。杖で玉葱を叩き落し「スープを作れ」とお母さんに命じます。そこにレシピはありませんが、牝牛も飼えないレミのお母さんは、きっと玉葱と小麦粉を炒めて、ミルクがないのでスープストックでのばし、せめてものコクをそえるために、仕上げにバターを一欠け鍋のなかにおとしたことでしょう。これがいわゆる「貧乏人のスープ」でございます。こちらはジョークでもなんでもない、掛け値なしの貧乏の味。

 じつは私も、ベシャメル・ソースを作るのにミルクもクリームもない時、作ります。しかも、わりにしょっちゅうです。いじましいですね、バターの一欠け。お味噌汁に卵を入れる気分と似たようなものでしょうか。
書いているうちに、ふと淋しい風が吹き過ぎたような。何事もワルノリはいけませんね。

 

 単純な手相でありぬ青嵐  おるか

2010年6月7日