一陽来復
  


 今日は冬至。これから少しづつ日が長くなってゆくと思うと嬉しい。庭の柚子がたくさんとれたので太陽(恒星)がいっぱいの大宇宙のような柚子湯をしようとおもいます。

  金星と月を左右に柚子湯かな   おるか

 柚子湯は体が温まって風邪を引かないとはいいますが、なんで柚子なのかははっきりわからないそうですね。でもこの輝く金色が夏の太陽の光の凝った塊のようで、いかにも冬至の行事にふさわしくおもわれます。非時香果(ときじくのかくのこのみ)もかくやの黄金色。

 古代中国では赤が邪気をはらうというので冬至のシンボルカラーだったそうです。小豆を食べる風習の中にそのなごりがみえますね。

 クリスマスも本当のキリスト誕生日とは違い、ヨーロッパの土着信仰と混交した形で受け入れられた結果なのはよくしられています。復活するキリストを冬至のたいようになぞらえるのは解りやすいですね。北方では樹木信仰の、イギリスのヤドリギにはドルイド教の残影がただよっています。

 日本でも仏教を受け入れるとき本地垂迹思想など折衷案を出して古来からのアニミズムと折り合いをつけてきました。やはり新しい信仰や行事は心の深い層で「そうか」となっとくできなければ根付くにはいたらないのでしょうね。

 だとすると昨今のクリスマスの賑わいはどういう意味があるのでしょう。一年で最も暗い時期を明るくしたいという欲求はもちろんあるでしょう。世界各地の冬至祀りには、太陽の再生を願って男女の歌垣のような行事も見られます。ヤドリギの下の女性にはキスしてもいいのもその名残りでしょう。日本のクリスマスが恋人達の大事な日になったのは実に古代的な発送の賜物かもしれません!

 


 柚子窯にするとなんでもない甘エビとミツバのおろしあえも、一味ちがいます。器は大事ですね。

 お皿の絵は「畦道」。小皿にも大皿にも描いて畦道あちらこちら。最近は温暖化のせいでしょうか、冬の畦道にも越冬葉がまだまだ緑です。雪が降らないこともあって、本来なら枯れて土に戻ってしまうはずの草ががんばっています。けなげではある。でも、これでいいのか。

 

2007年12月22日