器にこめる季節感(秋)  赤絵菊文と染付葡萄文半菊輪花鉢

 俳句に季語が肝心なように、私達日本人は生活の、なにかにつけて季節感を求めます。四季のいろどりあざやかな風土に恵まれたおかげでしょうか。折々に美味しいものが食べられるのは幸せですね。また美的境地を「花」や「冷え寂びた」等々、季節の言葉で表現してきました。風流人といえばうつろう時に遊ぶ達人のこと。それがちいさな盆栽やたった一茎の花であってもその中に大自然の生々流転を見出す。一即他、他即一の世界です。

 風流はもとは「ふりゅう」とも発音して、花鳥風月の嗜みの他、中世には芸能、殊に非日常的「ばさら」な踊りのことでした。中国語の風流には昔、好色の意味もあったとかで、その影響もありますね。なかなか一筋縄ではいかない言葉です。なかでも古来風流といえば”造り物”を指しました。これは例えば盆景の中に蓬莱山をもちこむといった具合に、良い景色をミニチュア化して楽しむ日本人お得意の見立ての美学です。卓上の器に季節を盛り付けるのはまさに風流の王道といったところですねー!

 写真は菊月十月の器に菊の形のなかに菊の花(ちょっとしつこい?)。そこに野山の錦秋を吹き寄せたような具もとりどりの散らし寿司です。卵焼きの黄色が多ければブナ林の白神山。人参やエビで紅にすれば嵐山ですね!(おるか)

   掌につつむ頬山々の薄紅葉   おるか

  赤絵菊文と染付葡萄文半菊輪花鉢

 輪花とは器の縁が花弁のようになっていることです。{ や  の形です。( のばあいは特に菊形とか菊輪花と呼ぶこともあります。轆轤でこさえる場合丸い形になるわけですが、縁をこういう形に切ったり、指で押えたりして、のいろんな輪花にします。今回の場合は、型でこさえました。しかも一部だけ輪花にせず丸いまま残し、それで半菊というわけです。240cm(径)、8cm(高)の大きさで、米2カップ分の散らし寿司が盛れそうです。写真は1,2カップ分くらいでしょうか、ごく軽めに盛ってあります。(オットセイ)

(画像をクリックして大きな写真を!)  2006年10月2日

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