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加賀の櫛織 温泉街を抜けると雪は急に深くなった、大聖寺川の峡谷に沿って、古九谷の窯跡のある九谷の村まで風谷、我谷と谷を縫って国道が走る。櫛織を織っている横川さんの家もそんな山際の菅谷という村落にある。工房の前で、木地挽きの修行をしている若い女性二人とすれ違った。山中塗りの木地師も多い土地柄らしい。
横川さんは、そういう仕事場で技術の極限を知り抜いて、手織りへと戻ってきた。どんなねらいも実現できる知識ときびしい目を持って始められた手仕事だったのだ。素朴さは、すでに洗練されている。 あらためて横川さんの手を見た。しっかりした手である。篤実な口調に熱をこめて織について話す間も、左右の指先をあわせて撓わせている。和紙糸織の照明の木工部分もパーティションの竹枠も全て自作する手。おそらくどんな手仕事でも一方ならずこなせたであろう匠の手である。そういう人の前に櫛織があった。櫛織にとっては幸運なことといわねばなるまい。 桑の木を植えて蚕を育て、草木染めも手がけている。蔵の中に漆の古木が使われるのを待っている。深いきざみのはいった樹皮を裏返すとそこに驚くほど澄んだ黄色が蓄えられていた。その木の生命がどのような作品に織り込まれるのだろう。 外に出ると雪がまた降り始めていた。白いひとひらひとひらが地面をしずかにたゆみなく埋めてゆく。いま、機にかかっている糸が織りあがるまで、あとどれくらい杼が往き来するのだろう。今日は良いものを見たと思った。 おるか 2003/1/3 |
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essay-005