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加賀の櫛織

 温泉街を抜けると雪は急に深くなった、大聖寺川の峡谷に沿って、古九谷の窯跡のある九谷の村まで風谷、我谷と谷を縫って国道が走る。櫛織を織っている横川さんの家もそんな山際の菅谷という村落にある。工房の前で、木地挽きの修行をしている若い女性二人とすれ違った。山中塗りの木地師も多い土地柄らしい。

 奥の土蔵の二階に上がると、壁一面に機織に関するありとあらゆるもの、色糸や、資料、高価な天蚕の繭の入った袋やら、が所狭しと置いてある。その中に、二台の手機が据えてあった。廃棄されるところを貰い受けて組み立てたそうだ。

 櫛織という技法も、すでに口承だけになっていたのを、横川さんが独力で、また織り始めたのだという。

 筬でコトンと打つかわりに小さな柘植の櫛で押さえてゆく、手間のかかる仕事だ。糸を押さえる度に櫛の歯の当たるところが微妙に揺れて、布地に仄かな漣のような文様が現れてくる。なんともいえず自然で繊細なうつくしさ。布の手触りも心なし柔らかである。が、縦糸の三本に一本をやや毛羽立った糸にする、周到な配慮があってゆるむことはない。

 これ見よがしなところのない、静かで落ち着いた仕事である。たった一人で、数年にしてこれほど完成された仕事をなし得るのは、そうあることではない。その理由が知りたかった。

 研究熱心なことは各地の織を見て歩いた跡からも窺がえる。棚からは、いくらでも珍しいものが出てくる。

 櫛織の他にも、絹糸を柿渋で染めて、シャリシャリとした質感を出したテーブル・センターや、和紙の液に糸を通した和紙糸織など誠実で創意に富んだ作品がある。

 中に、布地の中ほどに小さな窓が空いて、その中の緯糸がリボンを結んだように捻ってある愛らしいデザインがあった。洒落た感覚だと思ったが、いくら説明を伺ってもどうしたらそうなるか理解できない。空間が捩れているかに見える。さりげないところに、驚くほどの技術が集約されているらしい。

 横川さんが現在も勤めている機械織の作業場を思い出した。機械で織るとはいえ、杼の調整ひとつとっても熟練が要る。細かな不具合も複雑極まりない仕組みを熟知していなければ直せるわけもない。針で突いたほどの乱れも傷とみなされる厳しい仕事場である。糸の種類も様々に、織り上げたものをあえて解いて質感を変えたり、ふくれ、ぼかし、絵模様と、マニエリスム的ともいえるほど爛熟した高度な、日本の織の技術に圧倒された。

 横川さんは、そういう仕事場で技術の極限を知り抜いて、手織りへと戻ってきた。どんなねらいも実現できる知識ときびしい目を持って始められた手仕事だったのだ。素朴さは、すでに洗練されている。

 あらためて横川さんの手を見た。しっかりした手である。篤実な口調に熱をこめて織について話す間も、左右の指先をあわせて撓わせている。和紙糸織の照明の木工部分もパーティションの竹枠も全て自作する手。おそらくどんな手仕事でも一方ならずこなせたであろう匠の手である。そういう人の前に櫛織があった。櫛織にとっては幸運なことといわねばなるまい。

 桑の木を植えて蚕を育て、草木染めも手がけている。蔵の中に漆の古木が使われるのを待っている。深いきざみのはいった樹皮を裏返すとそこに驚くほど澄んだ黄色が蓄えられていた。その木の生命がどのような作品に織り込まれるのだろう。

 外に出ると雪がまた降り始めていた。白いひとひらひとひらが地面をしずかにたゆみなく埋めてゆく。いま、機にかかっている糸が織りあがるまで、あとどれくらい杼が往き来するのだろう。今日は良いものを見たと思った。

おるか  2003/1/3

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