密告 −1− ドゲットは夜遅く、薄暗い路地裏に、車を乗りつけた。 そこには、廃墟と化したアパートがあった。ドゲットは、懐から取り出したメモで、住所を確認すると、車を降りた。 その日、ドゲットの元に、匿名の密告が舞い込んだ。問題のアパートに、他殺体が隠されている、と。 密告者は、ご丁寧な事に、他殺体が隠されている部屋の番号まで、教えてくれた。アパートに足を踏み入れたドゲットは、それにしたがって、問題の部屋までやってきた。 ドアを開けた途端、何者かが、室内から飛び出してきた。 ドゲットは、その体当たりを、真正面から食らって、薄汚れた廊下に、倒れてしまった。その隙に、部屋を飛び出した不審者は、ドゲットの横をすり抜け、走り去ってしまった。 「おい!」 呼び止めるが、無駄な事であった。 ドゲットは、溜息をつきながら、立ち上がった。 と、その時、室内から、かり、かり、という、何かを削るような音が聞こえてきた。ドゲットは、その音に聞き覚えがあった。ねずみが、死肉を噛む時の音である。 音は、室内の壁から聞こえていたが、よく見ると、その壁がまた、奇妙であった。 部屋の内装は、ぼろぼろと崩れているのに、問題の壁だけが、たった今、作ったかのように、真っ白なのだ。 ドゲットは、壁に触れてみた。すると、白色の漆喰が、指先に付着した。この壁はやはり、つい今しがた、塗り込められたものなのだ。 ドゲットは、両手を使って、壁を崩し始めた。すると、見る見るうちに、そこから、真っ赤な血液が溢れ出した。 −2− 他殺体を発見した翌日、ドゲットは、レイエスを伴って、FBIアカデミーを訪れた。 「何か、分かったか?」 オフィスを入っていくなり、ドゲットは、スカリーに尋ねた。ドゲットは、発見した他殺体の検死解剖を、スカリーに一任したのである。 「色々と、ね」 スカリーがそう答えて、ドゲットに解剖報告書を渡した。 「被害者の氏名は、エレン・パーシック。年齢は二十八歳。出身地は、メリーランド州」 「どうして、そんなに早く、分かったの?」 レイエスが、怪訝そうに、スカリーへ尋ねた。 「昨夜、パーシックが立ち寄ったバーが、二週間前、リタ・ショーという女性が殺害された現場の、すぐ近くだったの。おそらく、同一犯の仕業でしょう」 ドゲットは、受け取った解剖報告書に目を通し、 「ショーが発見されたのは、排水溝だし、死因は、ナイフでの一突きだ。だが、パーシックは、壁に埋められ、三回も、刺されているんだぞ?」 スカリーに、その事を尋ねた。 「私も最初は、無関係だと思ったけれど、二件の殺人事件に使用された凶器の鑑定を依頼したら、一致したそうよ」 「それにしたって、どうして、分かったの?」 レイエスはやはり、合点が行かない様子だ。 「私じゃあないわ。ある訓練生が、指摘したのよ。犯人は、パーシックを、一突きで殺すつもりだったけれど、抵抗されて激怒し、何度も刺した、と」 「なぜ、俺のところに密告があったのか、それが気になる。X−ファイルでもないのに」 と、ドゲットが、怪訝な思いを拭えないでいると、 「それは分からないけれど、こうなった以上、調べるしかないでしょう」 スカリーが、背中を押すように言った。 −3− 法医学研修施設 人間の死体が数体、散らばっている。五体満足な死体もあれば、断片のみの死体もある。いずれにせよ、青々とした草原には、不釣合いな光景であった。 にもかかわらず、問題の草原は、殺人現場でもなければ、事故現場でもなかった。 問題の草原は、FBIアカデミーの訓練場であった。訓練生は、実際の現場を模した環境で、本物の死体に接する事によって、捜査官としての知識と経験を積むのだ。 「ルドルフ・ヘイズか?」 レイエスと共に、懐かしい訓練場を訪れたドゲットは、ある黒人の研修生に、声をかけた。 ヘイズと呼ばれた訓練生は、ちょうど、眼前に転がっていた、千切れた左腕を拾い上げたところだった。 「俺は、ドゲット捜査官。こちらは、レイエス捜査官だ」 ヘイズは、ドゲットとレイエスに、一瞥をくれたきりで、手にしている左腕に視線を戻し、何と、その匂いを、躊躇せずに嗅ぎ始めた。 「クレオソートの匂いがきついが、皮膚は柔らかい。色白だから、屋内での仕事……おそらくは、金物屋で働いている。 腕は、左から右に千切れている。車を運転していたところに、対向車が突っ込んできたんでしょう。ハンドルを、強く握っていたために、親指が折れている」 「腕を見ただけで、そこまで分かるのか?」 「見えるんです」 このヘイズこそ、パーシックとショーの共通点を指摘した訓練生であった。スカリーの言っていた通り、その分析力には、ずば抜けたものがあるようだ。 「お礼を言いにきたの。あなたの分析のおかげで、犯人像のプロファイリングができたから」 レイエスが言うと、ヘイズが逆に、 「どんな犯人像ですか?」 そう尋ねてきたので、ドゲットは、 「年齢は、二十五歳から三十五歳。軍隊経験があり、職場はバーの近くに――」 と、プロファイリングの結果を話してやったのだが、話が終わらないうちに、ヘイズは、首を横に振って、 「そのプロファイリングは、間違っています。 犯人は、四十代の男性で、最近、州外から来た凶悪犯。保護観察官は、求職中だと思っているが、仕事は始めている。組織に雇われ、大勢を殺している……もっと、殺しますよ」 表情一つ変えずに言うと、新たな死体のところへと、歩いていってしまった。 「何だか、小憎らしいくらいね」 レイエスが、ドゲットの耳元で言った。 しかしながら、ドゲットは、ヘイズの優れた分析力を目の当たりにして、別の事を考えていた。 −4− ヘイズのプロファイリングを元に、被疑者の割り出しを行った結果、何と、該当者が現れた。 該当者の氏名は、ニコラス・レガーリ。ニュー・ヨークにて、仮出所をした後、保護観察官に、仕事を探すため、と申し出て、ワシントンD.C.を訪れていた。 Moon Ey's それが、レガーリが贔屓にしているバーであった。そして同時に、その“Moon Ey's”は、パーシックが、死の直前に目撃されたバーでもあった。 ドゲットとレイエスが、“Moon Ey's”を訪ねていくと、レガーリはやはり、カウンターで酒を飲んでいた。 「私は、レイエス捜査官。こちらは、ドゲット捜査官よ」 と、レイエスは、レガーリに身分証を見せると、 「この店には、よく来るんでしょう? 昨日はどう? パーシックという女性が、裏の駐車場で殺害された晩よ」 「昨夜か……覚えてないな」 「じゃあ、ベントオークへ行ったのは、覚えている? バーテンダーが、あなたを覚えていたわ。ショーという女性が、殺害された晩よ」 すると、レガーリは、手にしていた葉巻を、ゆったりと吹かすと、それを灰皿へ置き、 「あんたら、自分のしている事が、分かってないな」 と、グラスの酒を、口に運ぼうとした。 が、その前に、ドゲットが、灰皿の葉巻を、グラスの中へ放り込んだ。にもかかわらず、レガーリは相変わらず、余裕の表情を浮かべ、 「雑魚の出る幕じゃあないんだよ」 レガーリは、自分には、大きな後ろ盾があるのだ、と言いたいらしい。 ヘイズのプロファイリングを念頭に置いていたドゲットとレイエスは、この時、レガーリの暗喩する後ろ盾を、所属する犯罪組織であるとばかり、思い込んでいた。 しかしながら、それは、間違いであった。その事が判明するのは、もう少し、後になってからであった。 遺灰 −1− ドゲットは一人、X−ファイル課のオフィスにて、報告書を読んでいた。息子・ルークの誘拐殺害事件に関する、捜査資料であった。 ドゲットは昨夜、眠れなかった。 ベッドの中で思いあぐねた挙句、ドゲットは、クローゼットから、あるものを取り出してみた。 まるで、覆い隠すように、クローゼットの奥にしまわれていた、その弁当箱ほどの大きさの木箱には、 Luke Doggett January 9, 1986 ― August 13, 1993 と、刻まれていた。 箱の中には収められているのは、ルークの遺灰だった。 あのヘイズならば、未解決に終わったルーク誘拐殺害事件を解決し、犯人を逮捕できるのではないか……ヘイズの分析力を目の当たりにしてからというもの、ドゲットの頭は徐々に、その事で、一杯になっていった。 そのおかげで、ドゲットは、呼びつけておきながら、ヘイズが、オフィスの戸口で、じっ、と佇んでいる事に、気付かなかった。 「いつから、そこに?」 「さっきです」 いきなり、本題を持ち出す事が、躊躇われたドゲットは、 「君のおかげで、逮捕にはまだ、至っていないが、捜査に進展があったよ」 「話は、それだけですか?」 ドゲットの思惑を、ヘイズは、見通しているらしい。 「実は、ある事件について、君の意見を聞きたい。 七歳の男の子が、自転車で自宅をまわり、母親は、玄関の前で、その回数を数えていた。子供は、玄関の前を通る度、母親に手を振った。だが、その子は、六周目を最後に、姿を消した。母親は必死に、近所を捜しまわったが――」 ドゲットは不意に、胸にこみ上げてくるものを感じ、言葉に詰まった。その様子を、ヘイズは、まばたき一つせずに、見つめている。 「――その子の自転車だけが、歩道に倒れていた。 目撃者も、身代金要求もなく、誰が、何のために、誘拐したのかさえ、分からなかった。警察が二日間、近所を調べたが、何も分からなかった。それから三日後、子供は、野原で発見された」 と、ドゲットは、報告書をヘイズに渡して、 「俺の息子だ」 「……」 「何度、読んだか分からない。だが、九年経った今、する事もなくなった。だが、君の分析力は、普通じゃあない。これを読んで、何か、分かる事があれば――」 「ドゲット捜査官」 今まで、黙っていたヘイズが、不意に口を開いた。 「今回の事件とあなたのお子さんの事件には、関連がある」 −2− 案内されるまま、ヘイズが暮らすアパートを訪れたドゲットは、目を見張った。 「何だ、これは」 壁には一面、数えきれぬほどの写真が、貼りつけられていた。いずれも、殺人事件の現場写真――それも、発見直後の死体を撮影したものに限られていた。 それらの写真の他に、ヘイズの部屋にあるのは、机とベッド程度のものであった。 「どれも、未解決事件の現場写真です。FBIに入局する前に、収集しました」 「これを、どうするっていうんだ?」 「じっ、と眺めていると、被害者が語りかけてくるんです」 ドゲットはその時、大量の現場写真の中に、ルークのそれを発見した。野原に放置されたルークの側に、ドゲットが屈みこんでいるところを収めた、現場写真であった。それを初めとして、ルークの写真は、他にもたくさんあった。 「ルークの事件も、気にかけていたのか?」 「ずっと以前から」 そう答えると、ヘイズは、一枚の写真を、ドゲットに見せた。現場写真ではなく、中年男性の写真だった。 「この男の事は?」 「ボブ・ハーヴィーか……第一被疑者だった男だ」 「去年、死にました。ニュー・オーリンズ州で、交通事故に遭ったんです」 「こいつが、犯人なのか?」 「誘拐はしたが、殺害はしていません」 「ショーとパーシックを殺害した人間が、犯人なのか? あのレガーリが、ルークを殺したのか?」 ドゲットの問いかけに、ヘイズが、無言で頷いて見せた。 −3− ドゲットが、副長官室を訪ねると、フォーマーは、額にはめられたガラスを、鏡の代わりにして、身だしなみを整えているところだった。 「用件なら、あとにしてくれ。長官に呼ばれているんだ」 フォーマーが、即席の鏡越しに、ドゲットに断ってきた。 「緊急の要件なんだ」 「じゃあ、一分だけだぞ」 「ニュー・ヨーク時代、組織犯罪を取り締まっていた、と聞いたが、ニコラス・レガーリという男の事は?」 「ああ、知っている。確か、集金係だったはずだ」 「ニュー・ヨークのFBI支局が、ルークの事件を捜査している時には、その名前は挙がらなかった」 「つまり、レガーリが、事件に関わっていた、と?」 「確証はないんだ。ただ、レガーリが、第一被疑者のハーヴィーと仲間だった、という情報がある」 「そんな話は、聞いた事がないが……一応、調べておいた方が、納得いくかな?」 「すまないが、頼む」 礼を言うと、ドゲットは、これ以上、フォーマーの邪魔にならないよう、すぐに副長官室を出た。そのせいで、フォーマーが一瞬、複雑な表情を浮かべた事に、気付かなかった。 「ジョン!」 副長官室を出てすぐ、ドゲットは、レイエスに呼び止められた。 「どこに行っていたの? 今朝、レガーリの事について、ミーティングをする約束だったはずよ?」 その言葉から察するに、レイエスはずっと、ドゲットの事を捜しまわっていたらしい。 「レガーリは、ルークの事件に関係しているらしいんだ」 「どうして、そんな事が?」 「ヘイズの分析だよ。レガーリとハーヴィーは、顔見知りだった、と。それで、調査してみたら、レガーリとハーヴィーは、一九八八年、同じ刑務所に服役していたんだ」 「囚人は、何千人もいるのよ。知り合いとは限らないわ」 「レガーリのクレジット・カードも、調べてみたんだ。ルークが失踪した日、レガーリは近所で、給油していた」 「レガーリは、ニュー・ヨーカーだから、ロング・アイランドに行っていても、おかしくないわ。残念だけど、それだけじゃあ、証拠にはならない」 「……」 「あなたが、ルークを亡くしてから、どんな気持ちでいるのか、私には、想像もつかない。せめて、私に分かるのは、あなたが、犯人を逮捕したい、と思う気持ちだけよ。でも、あなたが失望する姿は、もう二度と、見たくないの」 「それは、大丈夫だ……今回は、絶対に」 −4− ロング・アイランド ウッドバリー 「バーバラ、久しぶりだね」 白色の一軒家を訪れたドゲットは、玄関先にある花壇の手入れをしている女性に、懐かしげに声をかけた。 バーバラと呼びかけられた女性は、複雑な表情を浮かべたものの、それでも、ドゲットを、居間に通した。ドゲットとバーバラはかつて、夫婦であった。 「いつ、家具を変えた?」 居間を見渡しながら、ドゲットは、バーバラに尋ねた。 ドゲットはかつて、この家で、バーバラやルークと三人、ささやかな生活を営んでいた。しかしながら、ルークの事があって後、ドゲットは、この家をバーバラに譲り、単身、フォールズ・チャーチに転居したのだった。 「去年よ。気分を変えたくて」 「いいじゃあないか。元気そうで、安心したよ」 「来るなら、連絡して。びっくりするわ」 「悪かった。実は、話があって来たんだ」 「……ルークの事ね」 「被疑者が見つかった」 「やめて!」 「言いたい事は分かっている。でも、今回は違うんだ」 「何が違うの? 犯人かもしれない、それだけでしょう? 私も、あなたと同じくらい、犯人には捕まってほしいけれど、確証のない話は、もううんざりなの。はっきりした事が分かった時、また来てちょうだい」 「その被疑者は、この近所をうろついていたんだ。もしかしたら、君も、見たかもしれない」 ドゲットは、バーバラに無理を言って、所轄署まで来てもらうと、レガーリの顔を確認してもらった。 しかしながら、無駄であった。バーバラは、レガーリを知らなかった。レガーリの面通しは、結局、バーバラが危惧した通りの結果に終わってしまった。 伝言 −1− バーバラが、苛立ちを露わにして、帰宅した後も、ドゲットは、諦めきれずに、レガーリに関する調査を続けた。 「何かがおかしい」 X−ファイル課のオフィスで、レガーリの犯罪歴を調査しながら、ドゲットは思わず、その事を呟いた。 「おかしいって、何が?」 隣の机で、ドゲットを手伝っていたレイエスが、怪訝そうに尋ねてきた。 「レガーリの量刑だよ。強請、売春、麻薬、殺人――一通りの悪事はやっているのに、いつも、申し訳程度の刑罰しか、受けていない」 「組織犯罪は、立証が難しいからじゃあ?」 「これは、俺の勘だが、レガーリはひょっとして、鼻薬を使ったんじゃあないか?」 「つまり、賄賂、という事?」 「他に、考えようがない」 すると、見る見るうちに、レイエスの表情が曇ってきたのを、ドゲットは見て取った。何か、心当たりがあるらしい。 −2− ドゲットが、レイエスと共に、副長官室を訪れると、フォーマーは都合よく、居合わせていた。 「話があるの。ニュー・ヨーク支局で、私と一緒に、勤務していた頃の事よ」 レイエスがまず、話の口火を切った。 「どういう事だ?」 フォーマーが、怪訝な表情を浮かべて、レイエスに尋ねるのを、ドゲットは、無言で見守っていた。 「私は、十一丁目に、行きつけの店があった。壁に穴が開いていた、“カルロス”っていう店よ」 「話が見えないな」 「三年前のある夜、“カルロス”で、あなたを見たわ。壁の穴越しに、あなたが、ギャングから、お金を受け取るところを見たのよ」 「今頃になって、三年前の事で、僕を告発する、とでも? その事が、ドゲットの息子と、関係あるのかな?」 「レガーリが、犯行を隠蔽するため、捜査関係者に、賄賂を渡していた可能性がある」 ドゲットは、レイエスの代わりに、そう答えてやった。すると、フォーマーは、溜息をついて、レイエスに向き直り、 「君が見たのは、情報屋だよ。金は、僕から渡したものだ。潜入捜査のために、情報を買ったんだよ。全て、局の作戦だった。報告書も作った。必要なら、全て、証明できる」 ドゲットとレイエスは、顔を見合わせた。自分達はどうやら、見当違いをしていたらしい、と。 「どうして、三年前に、面と向かって、聞いてくれなかったんだ?」 わずかな非難の色を浮かべて、レイエスに言うと、フォーマーは、気を取り直したように、 「新情報がある」 そう言って、今度は、ドゲットに向き直った。 「レガーリの事を言い出したのは、アカデミーの訓練生だと聞いたから、そのあたりを調べてみたんだ」 「ああ、ルドルフ・ヘイズ。実に、優秀な訓練生だ」 「ヘイズは、七八年に、自動車事故で死亡している」 「まさか……」 「ヘイズを名乗っている訓練生の本名は、スチュアート・ミムズだ。ミネソタ州出身で、記録に残っている限り、最後の住所は、ダコタ郡の精神医療施設だ。 偏執性統合失調症という病気で、九〇年、自分から、入院を希望している。九二年に退院してからは、行方不明だ」 ドゲットはまたも、レイエスと顔を見合わせた。自分は、病人の言葉を真に受けて、見当違いの場所を捜査していたのではないか、と。 「それだけじゃあないんだ。ミムズは九三年、どこにいたと思う? ニュー・ヨークだよ」 それを聞いた瞬間、ドゲットは、動悸が激しくなるのを感じた。 「君の息子が、殺害された年だ」 −3− その夜、“Moon Ey's”の駐車場に停まった高級車の助手席へ、人目をはばかるように、乗り込んだ者があった。レガーリであった。 「いい車だな。昔は、ひどいポンコツに乗っていたが、変われば、変わるもんだな……副長官殿」 運転席に座っていたのは、何と、フォーマーだった。レガーリが、ドゲットとレイエスに暗示した、後ろ盾の正体は、犯罪組織ではなく、フォーマーだったのである。 「運が良かったぞ。別の被疑者が現れた」 「それを伝えるために、ここまで来たのか?」 「聞きたい事は、他にもある。お前も関わっていたのか、ドゲットの息子の事件に?」 「何だよ? 俺を問い詰めようっていうのか?」 「だから、どうなんだ!」 フォーマーが一喝すると、車内にはしばし、沈黙の時間が流れた。 「冗談じゃあない」 レガーリがようやく、その一言を発した。 「ガキを殺すほど、腐っちゃあいねえよ」 フォーマーは決して、レガーリの返答を、鵜呑みにしなかった。その事は、フォーマーが次に発した、 「お前とはこれまでだ、レガーリ」 という決別宣言からも、明らかであった。しかしながら、レガーリも、そう簡単には退かなかった。 「嫌だ、と言ったら? 俺が、あんたなら、俺を殺して、正当防衛で逃げてやろう、って思うだろうな」 「……」 「だが、忘れるな。俺に、何かあったら、ワシントン・ポストに、ヴィデオが届く事になっている。若き日のフォーマー副長官が、ギャングから、賄賂を受け取るところを収めたヴィデオが」 「……」 「だから、仲良くしようぜ」 そう言って、にやりと、底意地の悪い笑みを浮かべると、レガーリは、車を降りていった。 一人、残されたフォーマーは、項垂れるしかなかった。 −4− 取調室に通されたヘイズ――いや、ミムズは、手錠がかけられた両手を、器用に使って、椅子に座った。その一部始終を、ドゲットは、壁際に立って、無言で見守っていた。 すると、机を挟んで、ミムズと相対していたスカリーが、手元の報告書を、ミムズに差し出して、 「報告書に全て、記されているわ。あなたがどうやって、身分を偽り、FBIアカデミーに入局したか、その全てが。全ては、ドゲット捜査官に、近づくためだったのね?」 「僕を見た、と、証言したんですね、ドゲット捜査官の元奥さんが」 ミムズの推測は、正しかった。この取り調べに先駆け、バーバラによる、ミムズの面通しが、秘密裏に行われていた。 「昨日は、レガーリを識別できなかったのに」 「それは、ルークを殺害したのが、レガーリではなく、あなただからよ」 「違う」 「じゃあ、何なんだ!」 ドゲットは、スカリーを押しのけるようにして、ばん、と机を叩き、ミムズに迫った。しかしながら、ミムズは一向、動じる気配を見せずに、 「前にも、言ったはずです。ルークの写真を、ずっと見てきた、と。理由は分からないが、呼ばれるんです。写真の声が聞こえるんです」 「ルークを殺害したんでしょう?」 最終確認をするように、スカリーは、ミムズへ尋ねた。しかしながら、ミムズは、それを相手にせず、 「あの事件に、取り憑かれたんです。統合失調症は、異常なほど、何かに執着する。ドゲット捜査官と奥さんの監視もした。奥さんはそれで、僕に見覚えがあったんです」 「でたらめだ! FBIも騙したじゃあないか!」 「もし、僕が統合失調症だと知っていたら、僕の話を聞きましたか?」 「……」 「あなたに近づきたかった、助けるために」 「あの密告も……君だったのか」 「レガーリが、ルークを誘拐したハーヴィーと、仲間だった事を、知らせたかったんです」 ミムズは、自分の話したい事だけを話してしまうと、ドゲットとスカリーの困惑も構わずに、 「また、声が聞こえてきた。施設に戻れ、と」 −5− ミムズの取り調べを終えて、ドゲットは、取調室を出た。 そこには、レイエスとフォーマーが、取り調べの結果を聞くべく、待ち構えていたが、ドゲットは、一瞥をくれただけで、その場を後にした。 ドゲットが向かったのは、“Moon Ey's”だった。 店内に足を踏み入れると、日中の事なので、客数はまばらだったが、ドゲットが期待した通り、レガーリは一人、カウンターで、酒と葉巻を楽しんでいた。 「これは、これは。FBI捜査官殿」 「今日は、捜査官として、来たんじゃあない。一人の父親として、来たんだ」 レガーリの隣席に腰かけて、ドゲットは言った。 「ルークに何があったのか、知りたい」 「犯人が誰かは知らない……だが、あんた、気に入ったよ。だから一つ、仮定の話をしてやろう。 あるビジネスマンがいたとしよう。そのビジネスマンは、仕事柄、社会のはみ出し者と、付き合いがあった。ギャングや異常者、変態……例えば、ハーヴィーみたいな男だ。 ハーヴィーは、男の子が好きな、変態だった。ハーヴィーはある時、自転車に乗っている子供を見て、たまらず、誘拐しちまった。それで、家に連れ込んだんだが、その事を知らないビジネスマンは、ハーヴィーを訪ねちまった。 俺の言っている意味が分かるか? 子供は、ビジネスマンの顔を、見ちまったんだよ。これは、まずいだろう? だが、どんな問題にも、解決法はある」 レガーリは、話したい事だけを話してしまうと、グラスに残った酒を飲み、“Moon Ey's”を出て行った。 カウンターに取り残されたドゲットは、茫然自失に陥ったまま、レガーリを呼びとめる事も、できなかった。 仮定の話、と、前置きしていたが、レガーリが今、語ってみせた内容こそ、ルークが殺害されるに至った経緯に、間違いなかった。レガーリは、ルークを殺害した犯人に言及する事を、最後まで、避けていたが、ドゲットにしてみれば、そんな小細工は、無意味だった。ミムズの分析を思い返してみれば、ルーク殺害犯の正体は、明白であったからだ。 ドゲットは静かに、腰のホルスターから、銃を抜いた。 捜査官としてではなく、父親として、というドゲットの言葉は、偽りのない本心だった。立件ができないのなら、せめて、愛息の仇だけは、取りたかった……たとえ、一介の犯罪者に堕ちようとも。 周囲に、銃声が木霊した。しかしながら、それは、ドゲットが発砲したものではなかった。銃声が聞こえてきたのは、店外からであった。その銃声によって、ドゲットは、危ういところで、復讐者としての自分から、捜査官としての自分へと、はっ、と、立ち返ったのだった。 “Moon Ey's”を飛び出した、ドゲットの視界に入ってきたのは、路上に、仰向けになって倒れた、レガーリの姿であった。一撃の元に、撃ち抜かれたと思しき顔面は、真っ赤に染まっており、即死は明らかであった。 「その人が撃った! その人が撃った!」 駐車場に居合わせた女性が、ドゲットの方を見ながら、半狂乱の体で叫んでいた。 ドゲットは最初、問題の女性が、誤解をしているのではないか、と思った。つまり、銃声を聞いて、駐車場に駆けつけてきたところで、拳銃を握っているドゲットを目の当たりにし、犯人と誤認したのではないか、と。 しかしながら、ドゲットはすぐに、自分が、考え違いをしている事に気付いた。問題の女性は、正確には、ドゲットではなく、ドゲットの背後に、視線をやっていたのである。 ゆっくりと、背後を振り返ったドゲットは、瞠目した。そこには、銃を構えたまま、立ちつくすフォーマーの姿があったのである。 レガーリの返り血に濡れた顔を、ぴく、ぴく、と痙攣させているフォーマーを、目の当たりにして、ドゲットもまた、呆然と立ちつくすしかなかった。 解放 ドゲットはその日、バーバラと共に、海辺にいた。 ドゲットとバーバラが、共に出かける事など、ルークが亡くなってからは、全くなかった事だった。 ドゲットの手には、ルークの遺灰が収められた箱がある。 ドゲットは、言葉もなく、バーバラと視線を交わし、互いの意志を確かめ合った。今のドゲットとバーバラには、それだけで十分だった。 ドゲットは、箱を開けた。 海辺を吹き抜ける風に乗って、箱の中から溢れ出したルークの遺灰は、やがて、なくなった。これでようやく、ルークは、大地に還る事ができたのだ。 ドゲットから、空になった箱を受け取ると、バーバラは、一人で歩き出した。 ルークが大地に還り、苦悩の日々に、決着がついた。しかしながら、その苦悩の日々は、すでに、ドゲットとバーバラの行く道を、別々の方向に、分けてしまっていたのだ。 バーバラが立ち去った後も、ドゲットはしばらく、還らざる日々を思って、海辺に立ちつくしていたが、やがて、歩き始めた。 ドゲットが行く道の先には、レイエスが立っていた。 ドゲットは、言葉もなく、レイエスを抱き締め、レイエスもまた、何も言わずに、それに応えた。 >> 終わり |