1趣旨と活動

アルケミスト草創の頃   1998.5 盛口襄

(前略)

 さて「アルケミスト」はメールサークルとして発足しました。今を去る20ウン年前のことです。発端は山形教研の帰りの列車の中です。たまたま席を同じくした新潟の富樫繁春さんと、年に一回のお祭り教研じゃつまらない、もっと恒常的につながりのあるメールサークルを作ってプリント交換をしょう、と話し合ったことがきっかけとなりました。さっそく千葉へ帰って石井信也さんに話したところ、そりゃいいということになり、取りあえずこれはと思う人に手紙を出しました。当時科教協の委員長だった林淳一さんの紹介で長崎の鳥取益之さんと連絡を取り、九州の方は鳥取さんに固めてもらいました。
 亡くなった塚原徳道さんも最初からの仲間でした。塚原さんは「理科教室」編集長、烏山工業高校の化学の先生で、人懐っこい、それでいて筋の通った実践家でした。館山にお出でになったこともあり、赤塚のお宅へも何度かお邪魔をし、アルケミスト最初の著作である「化学と教育」(今は幻の名著とか)の最初の構想を練ったりしました。その塚原さんが思いもよらず交通事故の犠牲になられ、痛恨の思いをしました。遺児の東吾さんが今は東海大学の教授になられたとか、今昔の感に堪えません。仲間で既に亡くなった方が、塚原さんのほか、鈴木厚さん、大月健彦さんと三人を数えるまでになってしまったということも20余年という月日の疎(おろそ)かでなかったことを思わせます。塚原さんと言えば人も知る化学史家、三省堂から「明治時代の化学者」の著もある。鈴木さんには山梨合宿をお世話願いながら参加できなかったのが何とも残念、篤実な人柄とともに思い出されます。大月さんは石井さんなどと清水高校で初期の理科嫌い対策に奮闘された仲間。その中から生まれた和紙づくり、あい染め、紅花染め、中でもたたら製鉄などは、伝統技術の復元実験としてその先見性が高く評価されるところです。その大月さんも亡くなって3年。
 最初はよく言われました。メールサークルなんてせいぜい3年。ところが大方の予想を裏切ってこんなに続いてしまった理由は何でしょうか? 本当の所はよく分かりませんがあえて言えば、決まりもなにもない、破れかぶれのその時まかせの「柔構造」にあったのかな、と思ったりしています。組織とか発展とか成果は二の次で「人と人との付き合い」を第一にしてきたように思えます。それは私がそうしたと言うより、自然にそうなってしまったと言った方がよいでしょう。その現れが「合宿」です。合宿をいつから始めたのか定かではありませんが、「島原」「青ケ島」「田沢湖」「倉敷」「仙台」「大宮」「奥多摩」「川崎」「京都」「白馬」「広島」など順不同に思い出します。それぞれに武勇伝あり、エピソードあり、懐かしいものばかりです。この懐かしさがアルケミスト存続の理由かな、と思ったりしています。2、3思い出すままに例を上げてみましょう。島原では蟹がうまかった。あんなにうまいワタリガニはその後も食ったことがない。たしか塚原さんも健在だった。青ケ島は前座があって、林さんと6時間差して呑んだ。それからどうやって青ケ島へ辿り着いたのか覚えていない。倉敷は吉備津彦神社での忘れ物。白馬では雨雲の下の雪渓、宮崎の馬場さんが感動していた。岡山では沖縄の幸地さんが参加された。厚くてお好焼きがうまかった、などなど。思い出は何だか本筋でないことばっかり記憶していて、どんなことを話し合ったか、実験したか、は何も残っていない。が、それでいいのかも知れませんね。本筋にわたる部分はしっかりと肉体化していてそれが会員の力量として蓄積されたと言えましょう。アルケミストとしての著作活動、実験開発、発言などなど、それなりの足跡を残してきました。
 アルケミストとはアカデミズムの反語でもあります。とかく教科書流や公的な研究会の「疑似学者」風に嫌気がさし、もっと地に着いたというか、泥くさいというか、生活臭のある化学、を念頭に置いてきました。特権化学の庶民化でしょうかねえ、肩肘張らない気安さ、居心地のよさ、も特徴でしょう。そうした特徴ははじめはひんしゅくを買い、「気持が悪い」などとも言われてきましたが、ついに、ついに市民権を得たようです。逆に言えばアカデミック指向の正統派化学というものが、欧米追随の後進性の現れ、かえって「似非(えせ)異化学」だったのでしょう。土着の化学はもっとしたたか、アルケミストにはその土着の強かさがあると自負しています。
 20年、この間に多くの仲間が出入りしました。川の流れほどではなくとも、惜しい人が去り、また思いもかけぬうれしい人が参加してきます。京都の山室健治さん、芦田浅巳さんも古い会員。顔はすぐ思い出せてもお名前を度忘れしてしまった人や、名前は知っていてもついにお顔を拝見しないでしまった人もいます。新しい会員は、出先の研究会などでの出会いがきっかけになることもままあります。小野さん、町井さん、高橋さん、佐藤さん、松本さん、山本さん、藤田さんなどはそうして出会った人たち。林さんともどこかの会での出会いがきっかけでした。野曽原さんとは館山でのサークル以来の付き合い。それらの人がさらにネットを作り、ネットがさらに広がって、が、悲しいことにメールサークルには物理的制約があり、制限30人、やってみると分かりますが事務局は意外にたいへんなのです。(野中さんご苦労様)
 林さんの努力でインターネット版アルケミストが発足着々と成果を上げつつありますが、そのつながりで参加された鬼塚さん、今年の福岡での合宿でお会いできるのが楽しみです。こうして北は岩手から南は沖縄まで、どこへ行っても親しい仲間がいるということはたいへんな宝です。そのことひとつを取ってもこの集まりの貴重さは分かります。四ケ浦さんは金と豆腐、のはずだったがこの頃はバイオマットとか言うものの研究に傾斜。小野さんは到達度評価。石井さんの電気で遊ぶ(石井氏の曰く、遊べばものが教えてくれる)。野曽原さんの科学読み物と小さな発見シリーズ。鈴木久さんならペンギンの羽毛にドジョウの鱗。ところが久さんに初めて出会った頃(その頃は彼も大学生だった)は量子力学だった。OBの村上さんなら食品添加物。公害対策の実践家の町井さんは暮らしの化学の大家である。あい染め、はに染め、紙作り、ビールまで。公害と言えば林・町井・小林・石井・村上の五人衆。長野さんは物理からのお客人。
 愛知の伊藤さんはこつこつと前掛けをかけてマーブリング。松本さんの爆発と「炭素とケイ素の物語」は言うまでもなく。中台・杉山ご両人は千葉・神奈川の科学の祭典の仕掛人。以上は私が教わった皆さんのスペシャルな部分。竹野さんのあすなろ方式授業もユニークなら、100キロの道も遠しとせず二人のサークルを守り続ける高橋・佐藤のご両人も立派なもの。沢田さんには根性のあい染めを習ったし、外村さんからは手抜きガラスを習った。ガラスと言えば杉山さん。鏡作りも一回やったところ、松本さんが参入。この夏は鏡作り名人対決をやろうというのだから、楽しいじゃありませんか。分らないことがあったら藤田さんにきけ、というのが私たちの合言葉。新聞4紙、雑誌数知れず、実験無数、乞うご質問!
 馬場さんの宮崎奮戦記や、小林さんの地域に根付く公害教育も聞きもの。アルケ初期には鳥取さんがきれいなガリ版で、ハッとするユニークな教材論を展開され、随分勉強になった。靴墨を油で溶かす、といったコロイド論は今でも使わせてもらっています。
 こうしてみるとアルケミストのスペシャリストも多士才々。中には絵筆を取る人、フルートを吹く人、シャンソンを歌う人。
 こうしたことも、断片的には皆さん十分ご承知とは思いますが、最近入られた方もあり、この際書留めておきました。ついでながら私のダイヤモンド、ついに超簡易法確立、試験管を容器にメタノールのみにて手軽に合成。とにかくこの人たちは油断禁物、うっかりするとすぐに出し抜かれ、せっかくの発見も昨日の証文。この安心ならない危機感が私をいまだに現役に縛り付けています。山本さんじゃないけど「盛口さんを引退させない」仕組みが自動的に働いています。実験も、化学教育論も。
 化学教育論と言えば、今いちばん頭にあるのは「何のために化学を」という問題意識です。「どのように化学を」はずいぶんやってきたし、「誰のために化学を」もかなりやってきました。しかし「何のために化学を」となると分っているようで今ひとつ分っていない。たとえばの話、私は1928年の生まれ、あのフロンと同じ年の生まれです。頑張って、今まで化学に憂身をやつしてきました。フロンも頑張って世のため人のために尽くし、お金も儲けました。それがオゾン層破壊につながるとは。化学の努力は、この世に無かったものを生み出し従順な召使にすることです。人が生み出した「物質」は、一見有用、無害、従順。それがある日突然牙を剥く。その時は取り返しのつかないカタストロフィー。いったいこれは何なのだ。そうした悲劇のために、なけなしの力を振り絞り、子どもたちの目をこちらに向けさせ、実験と格闘してきたとするならば、それは戦時中の戦犯教師と同じじゃないか。「教え子を再び戦場(ただし経済戦争)に送り出した」という思いに忸怩(じくじ)たるものがあります。
 理科嫌いを云々する前に、すでに用済みの価値観を子どもに押しつけている「わが授業」を絞め殺し、古い殻を脱ぎ捨てんものと悪戦苦闘中。子どもたちの方が鋭い時代感覚。さて、そうした反省をこめ「あすの科学をどう考え、あすの化学でどう教えるか」再構築しようとしています。今この社会と科学の曲がり角に来て、従来の「理科」にとらわれず、これからの社会に対応できる理科の構築を目指します。これは日教組教研の課題でもあり、共同研究者のひとりとして、とてもスケジュール教研だけでは対応できない、できたら自前の出前教研をやろう、という話さえ出てきています。できたら、知恵と力をお貸しくだされば幸せです。
 何だか言いたいこと、筋違いなこともいっぱい言いましたが、取りあえず今回はこれにて。


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