天野山金剛寺と富田林の寺内町散策

2017年4月30日(日)参加者8名で開催しました。

 

天野山金剛寺と塔頭

聖武天皇の勅願により行基菩薩が開創し、のちに弘法大師が修行された霊蹟。南北朝時代には後村上天皇が6年間食堂を正殿として大政を執られた。同じころ北朝の光厳、光明、崇光の三上皇と皇太子直仁親王の御四方も4年の間御座所とされた為奇しくも南北両朝が同座されることとなった。本尊と言い、建物と言い、重要文化財の宝物類最高級の寺院であり数少ない歴史を有するお寺です。現在建て替え中のお堂が多く、今回は南朝の行在所となった摩尼院が拝観出来なかった。北朝の行在所となった奥殿(元金剛寺塔頭観蔵院)は公開されています。

 

堂塔伽藍 本坊庭園
本坊庭園、奥の建物は北朝の行在所となった奥殿 奥殿(元塔頭の観蔵院)の庭園 天皇御座所

 

富田林の寺内町散策

寺内町の歴史、永禄初年(1558〜1561)に京都興正寺の証秀上人が訪れ(荒芝地)を銭百貫文で購入、近隣4か村から8人の有力者を集めて『興正寺別院』を建立し8人衆の合議制のもとで御坊を中心とした町づくりが行われました。江戸時代には幕府の直轄地となり、近くを流れる石川の水運と東高野街道・千早街道が交差する陸運に恵まれ、商業の街として大いに発展、特に酒造業が盛んで、寛文のころの記録(1668)では51職種149の店が軒を並べていました。今も寺内町には往時を忍ばせる17世紀中頃から明治にかけての町屋が多く、旧杉山家住宅、中井家住宅など個々に文化財としての価値が高いものがあると共に、町そのものが日本の優れた文化遺産として平成9年10月、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。

 

古い面影を残す、町屋風景 寺内町の中にある食事処『栞』昼食
寺内町の中心・興正寺別院   杉山家住宅の庭園