縄文文化を巡る!(番外編)  
 「waiwai隊」 縄文遺跡を巡る旅(四国・愛媛編)・・伊予灘を望む旧石器集落痕
高見T遺跡
 2018年3月17日(土)
 御荘文化センターでの、≪平城貝塚遺跡里帰り展≫の帰りに、≪高見T遺跡≫へ寄る事としました。この遺跡の事は、昨年来、考古館での情報で耳には入っていましたが、場所については詳細には把握していませんでした。愛南町へ向かっている松山道の“建設中の中山スマートIC”とのことでしたが、今までは工事場所の特定が出来ていませんでした。
 松山道を伊予ICから山間に差し掛かって、トンネルを抜けた右手の場所に大規模な工事の箇所が見えました。そこが、該当の工事場所だという事は一目瞭然です。

 さて帰路、内子ICで途中下車。国道56号線を松山方面へと走り、内子町から伊予市へと入ると高見集落がみえました。高速道路の姿は全く見えませんがカーナビで確認し、走っていると“中山スマートIC”の工事中の看板が目に入ってきました。

≪松山道の東側から≫

≪左写真、大洲方面≫ ≪右写真、松山方面≫
 

≪下写真、正面の小高い部分が遺跡跡≫

 しかし驚きました。旧石器時代から縄文時代かけての遺跡がこんな山中から現れるとは・・。

 下掲の“遺跡の概要”にあるように、平成7・8年度に発掘調査を行っていて、今回の『スマートIC』建設に伴う工事の前から、遺跡があることは分かっていたようですね。また、近隣にある遺跡と共に、旧石器時代の人たちはこんな場所で住んで居たのですね。そして同じ場所から、縄文時代の痕跡まであったそうで、何とも不可思議なこと。

 それにしても、旧石器終わりでもある2〜3万年前に何故、こんな山中で狩りをする必要があったのだろう。小生の今まで得た知識では、この時期、海水の流入していない瀬戸内の草原で狩りが出来た筈。以下に関連する文を引用します。


愛媛県史 原始・古代T(昭和57年3月31日発行)

二 瀬戸内海の誕生

海進と海退

『今から約二万年前頃の洪積世最後のウルム氷期では、日本付近はきびしい寒冷気候にみまわれたため、植生も落葉性針葉樹が中心であって、現在のような常緑広葉樹はみられなかった。当時の瀬戸内海の盆地は中国北部を中心とする地域に生息していたナウマン象や現在の牛ほどの大きさのオオツノジカ・ヘラジカなどの大形獣が生息していた。これらの大形獣の存在から、伊予灘・斎灘・燧灘は大形獣の食糧となる草の繁茂した大草原であったことがわかる。
 他方、山岳地帯は亜寒帯性の樹木が生い茂るという景観を呈していたものであろう。』



 つまり、その時代に山深く分け入る理由が不明なのです。もっとも2万年前以降次第に温暖となって、6,000〜7,000年前頃の“縄文海進”と呼ばれる頃には、海水が流入して現在の瀬戸内海の誕生となったのです。その縄文時代に山間で狩りをすることは、必然のことだったでしょう。


さて、web考古館で、遺跡の紹介が載っていましたので下記からどうぞ。
高見T遺跡の紹介は、コチラから 
東峰遺跡第4地点の紹介は、コチラから 


愛媛の考古学(長井数秋著)≪愛媛文化双書:45≫より
 上掲の地形図は、四国を中心にした最終氷期の時期に当たる2,5万年〜2万年前(実線)及び、間氷期へと向かった1万年前(点線)の海岸線を推測した図ですが、≪紀淡川≫とか≪周防川≫と合流した≪豊予川≫が太平洋へと流れ込んでいる様が窺えます。この頃は、四国も九州も本州と繋がっていたようです。
 
『いにしえのえひめ展』展示遺物 於:松山市考古館

 

 
 

≪高見T遺跡2次 調査報告会の報告≫
 [平成29(2017)年8月27日(日):伊予市下三谷 ウェルピア伊予にて]

 平成29年8月27日(日)午後2時より、中山スマートIC建設に伴う発掘調査の成果報告として、伊予市上灘に所在する高見I遺跡2次・高見II遺跡・東峰遺跡第4地点2次調査について、伊予市教育委員会と合同で報告会を開催しました。
 当センターが担当した高見I遺跡2次調査では、後期旧石器時代から縄文時代にかけての遺跡が発見されており、後期旧石器時代の生活趾である礫群・多量のナイフ形石器・特定地域に集中する剥片尖頭器について説明を行いました。
 この日は約140名の方々にご参加いただき、それぞれに説明や遺物について強い関心を向けていらっしゃいました。現地での説明会でこそありませんでしたが、数々の成果の意義などを感じていただけたのではないかと思います。

 最後になりましたが、予想を超える多くの方に来ていただけたことにより、参加者のみなさまには会場内にてご迷惑をお掛けしたことをお詫び申し上げますとともに、盛況のうちに合同報告会を終える事ができたことに篤く御礼申し上げます。どうもありがとうございました。

 

:遺跡の概要:

 高見I遺跡は、中山川(肱川支流)の最上流域にあたり、独立丘陵の上にあります。以前からこの地域は旧石器時代や縄文時代の遺跡が多数存在することが知られている地域で、高見I遺跡は近隣の東峰遺跡とあわせて、当センターが平成7・8年度に発掘調査を行っています(この1次調査の発掘調査報告書はこちら)。
 今回の調査で出土した遺物総数は約5,000点にのぼりました。多くの石器が互いに接合できたのみならず、生活趾である礫群まで伴っており、きわめて良好な旧石器時代の遺跡であることが判明しました。

 出土した遺物としては、ナイフ形石器・剥片尖頭器(はくへんせんとうき)・角錐状石器(かくすいじょうせっき)・スクレイパー・彫器(ちょうき)・石錐(せきすい)などが確認できました。特にナイフ形石器は100点を数えます。
 調査区の中で石器の出土が集中する場所が複数あり、かつそれぞれが関係することがわかってきました。礫群は必ず石器の集中域に近接していました。

 また、縄文時代の落とし穴・遺物も出土しています。遺物量はとても少なく、耕作土や落とし穴にわずかに含まれる程度であるため、生活の場であるというより狩猟場的な様相が強いと考えられます。

 

  
  礫群の出土状況(遠景)     礫群の出土状況      杭の痕が残る落とし穴(縄文時代)


『高見T遺跡』2次調査 合同報告資料(2017年8月27日)