藪漕ぎの楽しみ

【菖蒲尾根〜瓶が森〜土小屋〜石鎚〜西の川踏破】(1999年9月12日〜13日)

【9月12日(山荘しらさ泊)】

 先日瓶が森に寄った際、菖蒲尾根への道に“通行止め”のロープが張られていた。「それなら、菖蒲峠から瓶が森に行こう!」という“不純(?)な動機”の下、決行に移された。

 今回は“小屋泊”で計画された。東の川登山口から菖蒲峠までは、経験済みのコースなので楽勝の筈・・・

 

    

 

 菖蒲峠には9時40分に到着。お地蔵さんを前に小休止・・・と、団体さんが降ってきた。その出で立ちからして“一般の登山者と違う”と思っていたら、石鎚講の一行だった。“高森”や“カゲチの頭”の話になり急坂の大木の根元に祭っていた像に話が及んで、「貴方たちも、マイナーな山登りをしていますネ・・」との事。「手を合わせてきましたよ」など等。お互いの健闘を祈り、出発・・・

 

    

 林道の途切れた処から、“石鎚講の一行”が先刻踏んだ跡を辿り、所々、足下が悪く滑りやすい個所があるものの、尾根を大きく外れる事は無い。左手に垣間見える深い谷は大保子谷である。「こんな良いルートを廃道にするのはもったいない!」・・・そんな事を考えながら1500mピークを通過する。先程、広島(?)からの登山者が深い霧の為、東の川への道と間違って降り、“騒ぎ”となった大保子新道との別れは、笹の斜面を下っていた。

 

    

 

 滑り易い笹の斜面を、汗を拭き拭き息を切らして昇ると、植生も変わってきたようで、大木が疎らになってきた。見通しの良い笹のスロープで中食とした。そこからは、直ぐに“例のロープ”に出会った。こちらからは、“通行不能”の看板は見えない(当たり前か!)

 

    

 もう何回目かの、“瓶”の頂きには13時頃に着く。「瓶壺で休もう!」と頂上を後にして、今日の“泊まり場”に予定している“シラザ小屋”を目指した。小屋には15時に到着。風呂上りのビールは今日の疲れを癒してくれる。明日も良い天気のようだ・・・

 

【9月13日(成就社へ下山)】

 今日は、「眼を瞑っていても歩ける(?)コースで危ない個所もない」と、6時出発である。伊吹山のピークを踏んで、土小屋を目指す。足下に咲く草花も、いつの間にか秋の装いと移っている。土小屋に近づくと大きな音がする。「暴走族かな?」しかし、それはヘリコプターだった。「頂上社の工事用のヘリだろう!」など等、話をしながら土小屋は8時頃通過。

 

    

 石鎚北壁のトラバース道あたりで、“ヘリ”が低空飛行しているのが見える。二の鎖元の石段で、オレンジのユニフォームの一団が休んでいた。「何かの訓練かナ」は、遭難者の捜索と知り、驚く。何処からと聞かれ、つい「昨日、菖蒲尾根から瓶が森・・・」と答え、「あそこは通行禁止になっている」と云われ、「瓶が森のところのロープには、ビックリした!」と苦しい言い訳をする。

 

 

 月曜日の頂上は静かで、ゆっくり休憩とする。面河道を駆け足て降りて行くレインジャーが見えた。「行方不明の人が見つかったんかなァ」と話しながら下山の途に着く。今回の山行も、大半はこなした事で、足取りも軽い。

 

 ロープウェイでの下山という安易な方法で下山行程をパスし、完全縦走は達成出来なかったが、西の川駅に降り立った時の感慨はひとしおだった。駅前の食堂で荷物を預けて東の川へ車をとりに行く予定が、食堂のおじさんの好意により「奥さんが店番していてくれれば、私が送ります」との申し出だ。山へ出掛けると、他人の好意は辞さないこととしている。ありがたくご好意に甘えた。

【追記】かの行方不明の人は、私達の通った前後に“八丁”あたりで、無事発見・救助との事。高齢のご婦人で、前日ご主人と石鎚に登った後、下山ルートを間違い“一晩山で過ごした”との事。

 

 おっちゃんは「・・・他人の好意は辞さない」と言っているけど、自力完全縦走がかかっている時は疲労困ぱいしていても丁寧にお断りすることもあるんじょ!