≪愛媛大学 最先端研究紹介 infinity≫として、柴田先生の紹介があり、転載します。
2016.06.27
海と山の考古学 埋蔵文化財調査室 / 准教授 柴田 昌児 / 専門:考古学
瀬戸内海の古代船と山稜の弥生集落
私は瀬戸内海の辺りで生まれ、海がある景観を見て育ってきました。海産物料理などの「食」は言うに及ばず、潮の「香り」やさざ波の「調べ」など、匂いや音にまで海を感じて生きてきたのです。このように普段はとくに意識することはありませんが、私たちが育った海や川や山などの自然環境は、いつも身近にあり、知らず知らずのうちに生活の中に溶け込んでいるのです。これは、いにしへの人々の生活や社会にも当てはまることではないでしょうか。
私は、こうした視点に立って弥生時代から古墳時代(約三千年から千五百年前)の日本列島及び東アジアにおける海域沿岸社会の多様性を解明するため、おもに考古学的手法を用いながら「土器製塩からみた王権と地域社会」、「古代木造船と海運技術の研究」、「高位置立地弥生集落の実証的研究」の3つの柱を主軸に研究を展開しています。
研究の特色
人とモノは移動します。人は効率よくモノを運ぶために様々な運搬具を作り、物質文化として発展させてきました。人は水上運搬具として船を作り、飛躍的に物流を活性化することができました。奈良時代前後の遣唐使や遣新羅使、江戸時代の朝鮮通信使など、朝鮮半島や大陸とつなぐ文化や物流の原動力が海(瀬戸内海)にあることは今も昔も変わりません。古代木造船の構造を復元し、瀬戸内海における海上活動の実態を明らかにすることで、沿岸部で生活した古代人の実像を浮き彫りにすることができるのです。
弥生社会は農耕を主な生業としており、その生活領域は水田可耕地付近の低地であることが定説です。またその一方で標高300メートル前後の丘陵上にも弥生時代の遺跡が展開していることが知られており、古くから軍事的な役割を持った高地性集落として注目されてきました。私はこうした丘陵上の遺跡には軍事的機能を持った高地性集落と、農耕や狩猟などの生業を行いながら丘陵に住む「山住みの集落」があることを指摘しました。さらに、最近では久万高原町の標高1100m前後の山稜に立地する猿楽遺跡を調査し、西日本で最も高い位置に立地する弥生集落の一つであることを明らかにしました。
弥生時代の遺跡を発掘する 四国山地の山稜には弥生集落が点在している
研究の魅力
考古学者である私にとって、遺跡や出土遺物は人間の様々な活動が残した痕跡であり、当時の社会や歴史を復元する重要な研究題材です。「海」と「山」に視座を置いて、遺跡や出土遺物を見つめ直す研究は、今まで明らかにすることができなかった新たな歴史像を導き出すことができます。つまり、フィールド調査に出かけ、遺跡を発掘したり、出土遺物を分析したりすることで、物質文化を解明し、社会や人間活動の実態に迫ることができるのが、考古学の最大の魅力なのです。
猿楽遺跡から出土した打製石器 猿楽遺跡から出土した弥生土器
今後の展望
研究成果は、地域資源の活用にも新たな視点を見出すことができます。現代、瀬戸内海は、架橋や鉄道によって、陸路として往来することができるようになり、サイクリングや自家用車で瀬戸内海を観光する機会が増え、海上交通から乖離する傾向があります。四国山地の交通網も大型道路に収斂する傾向にあり、その沿線から離れた山間部は深刻な過疎が問題となっています。こうした現状を踏まえ、海と山の視点に着目した考古学的研究成果は、歴史的景観がどのように移ろい、現代に至っているのかを改めて認識する機会となり、またその足跡を辿ることが過去と現在をつなげ、未来を展望することにつながります。海と山の考古学は、海と山のエコツーリズムへと昇華することが期待できるのです。
この研究を志望する方へのメッセージ
大学時代、私は研究室の仲間とともに発掘調査に参加し、研究調査報告書の作成に関わることができました。小さな石器や土器の破片を手掛かりに当時の人々の暮らしを読み解いていくことが、とにかく楽しかったことを今でも鮮明に覚えています。この楽しさこそが私の研究の原点です。考古学は物質文化から人間活動の変化を研究する学問です。発見から仮説を立て、その要因や過程を解明し、歴史の実像を導き出す醍醐味がそこにあります。みなさんも考古学を味わってみませんか。
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