わいわいさんの大阪への転勤で、仕事を辞め一緒に大阪に転居、たいくつしのぎに写真教室に入ったのが写真にのめり込むきっかけでした。そうなったのも、大阪でわいわいさんの定年まで最長8年間というタイムリミットがあったので、その間ただ遊んだでは・・・と思ったので、大阪を去るにあたりある程度の足跡は残したいとの思いから富士フイルムフォトサロン大阪(2009年1月)で写真展を開催したのでした。
その写真展を、故郷の徳島(2009年6月)、愛媛に戻ったら松山でするのが、一応の私の目標でした。わいわいさんは2010年4月に、私は7月に戻ったのですが、フジグラン松山がリニューアルするがギャラリーはどうなるかわからないとかでなかなか予定がたたず、2011年1月に地元の画夢舎で“白き神々の山”を先に開催しました。その時、皿ヶ嶺の登山者の方々、さくら山行会の方々、同時期に写真展を開催していた‘くもの会’の方々、hp関係の方々にたくさん来て頂き、その方達が今回の写真展にもたくさん来ていただきました。
もうこんな大がかりな写真展は最後になると思うので、日程が決まった4月からいつまでに後援の以来をするか、決まったら案内状の手配、それをフジグランに承認を受ける、いつまでに案内状を発送するか、どこに案内状を置いて貰うか、お礼のハガキはどうするか等、出来るだけ手抜かりのないようにいろいろ考えることがありプレッシャーがかかります。個展て、グループ展と違い準備を全部一人(わいわいさんが相談にのってくれますが)でしないといけないのが大変です。今回も、いろいろ手抜かりがありました。画夢舎に来ていただき芳名帳に書いて頂いた方には案内状を郵送したのですが、それで安心してしまい、もよりの方々に出すのを忘れていたり、メールで案内すべき方々にもすっかり忘れていました〜。(*_*;
そうこうしているうちに搬入の日がきました。今回も大阪でプリント等で世話になっている匠工房のОさんに来ていただき、友人のTさんにも手伝ってもらいました。フジグランのリニューアルなったギャラリー、今までの会場の中で一番良かったです。だいたい写真集通りに並べられたし、精霊の森コーナーも上手くいきました。スポットライトも作品のベストの位置に良く当たり白骨樹が浮き上がって見えました。そして初日が来ました。
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