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小生、上黒岩岩陰遺跡を訪れて以降、縄文文化や縄文人に興味を覚え、人類の進化には只々感心するのみである。そのような中、ネットサーフィンをすると目障りな文章に出くわすのだ。全く歴史的事実に沿わない主張や、勝手な思い込みによる学説などを延々と並べたてる輩にはウンザリしている。そういうものとは全然レベルの違う話題だが、今年になって新聞・TVなどで“日本人はどこから来たのか?”と、国立科学博物館・人類史研究グループ長である海部陽介氏のプロジェクトの試みが話題になっていた。
それは、先島諸島から琉球諸島に及ぶ島々から発掘された遺跡の中に、3万年前の人骨が発見された事に端を発しているのだった。これら琉球列島で発掘された旧石器時代の我々の祖先に当たる人達はどのルートでそれらの島々に到達したのかが謎のままだった。そこで、海部氏が立てた仮設・・現在の台湾(当時は大陸と陸続きだったと想定されている)辺りから海を渡ってやって来た・・を提唱したのだった。
ここで小生が改めて稿を興したのは、この“航海”に疑問を感じたからである。以下に、海部氏の仮設と小生の推論を述べることとしよう。
以下の拙文を読んでもらう前に断っておくが、小生は南ルートの≪日本列島にやってきた先人に、琉球列島の人達は南の島々からの人達である≫説に疑問を持つ者では無い。そのルートについても現在の台湾辺りからのルートと考えるのが自然であろう。只、現在の自然条件での渡航に疑義を挟んでいるだけである。
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≪NHK 時論公論「“3万年前の航海”日本人のルーツをたどる」(2016年7月19日)≫
今春に、『3万年前の航海 徹底再現プロジェクト』と銘打って、国立科学博物館の
海部陽介氏(国立科学博物館 人類史研究グループ長)をリーダーとするプロジェクトが成立し、
先日(7月18日)、第一弾の航海が実施されたのだった。
NHKの深夜の番組の時論公論で、この航海の模様と関係者の言葉が紹介された。
結果的には、想定以上に海流に流されてしまい、自力での成功には至らなっかった。
小生は、計画が発表された当初から、計画の実現に疑念を感じていたのだが、
以下に、その疑念について述べることとしよう。
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【国立科学博物館新たな冒険!「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」】サイトより |
(図2 琉球列島の主な旧石器時代遺跡。
当時これらの島は台湾と地続きだったという説があるが、様々な証拠から否定されている)
背景地図の製作:菅 浩伸 based on Gebco 08 Grid
琉球の島々にたどりつくには、数十kmの航海を繰返す必要があります。その一部は100〜200 km あるいはそれ以上の距離があり、水平線の向こうの見えない世界へ向かう冒険でした。さらに当時も世界最大規模の海流である黒潮が、今と同じ台湾−与那国島間を流れていたのであれば、それを横断する必要がありました(※当時の黒潮の流路については現在チームメンバーの研究者が調査中です)。
このチャレンジは実際にどれだけ困難だったのか、この3万年前の事実を徹底的に追求するため、多彩な分野の一流研究者と探検家が力を合わせる壮大なプロジェクトが、2013年に始動しました(図3)。実験によって古代技術を検証し、海峡横断に必要だった海についての知識と経験を知り、そして知られざる我々の祖先の本当の姿に迫ります。
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(上記、「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」サイトより) |
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上掲の、琉球列島に連なる一連の旧石器時代の遺跡群は、海部氏の疑問を湧き立てるのに十分だったのだ。ホモ・サビエンスがアフリカの地に誕生したのは20万年前と云われる。そして、5万年前には世界各地へと拡散していったのだが、何故、アフリカの地を出て困難な流浪を始めたのだろう。
海部氏は、上記小生の疑問点などにはかすりもしないまま、遺跡群を追う航海に出たのだ。
現在、想定されている古日本列島へと到達した我々の祖先は、対馬・沖縄・北海道の3ルートとされている。その時期は大凡、3万8千年前とされている。それは、この時期の遺跡からホモ・サビエンスらしい行動の痕跡が読み取れることが根拠とされている。この時期は最終氷期に向けて気候が寒くなって行く時期でもある。つまり、古日本列島はアジア大陸と陸続きとなっていたようだ。
さて、安住の地だったアフリカ大陸を離れる理由を我々の祖先に尋ねる術は無い。では、渡り鳥やツバメたちに聴いてみようか?いや、アサギマダラに聴くか?否、飛ぶことが出来ない魚に聴く?いや、イルカやクジラに聴いてみる?否、水中では住めない、鹿に聴いてみようか?いや、もっと人類に近い猿に聴いてみよう。いや、動物だけじゃなくて植物にも聴いてみよう。手始めに、針葉樹はどうだろう?いや、広葉樹はどうだろう。いや、落葉樹では駄目だろうか?氷河期から生き残った高山植物に聴いてみようか?
では、それら全てが住んでいるところが違っていたり、現れる時期が違うのは何故なんだろう。
以上、全てに共通するのは地球環境の影響であり、環境の変化である。環境の変化は年単位で繰り返す場合や、数千年、数万年を単位とする変化がある事を、また、一瞬の内に変わってしまう事を現代の我々は知った。その我々が住んでいる地球では、生物は皆、絶えず変化する環境に適応するために進化してきたのだろう。当然、環境に適応出来なかった生物は絶滅してしまった。空を飛んで移動出来る鳥たちは空を飛び、海中を泳げる魚たちは潮の流れを利用して海を渡り、陸でしか生きれない我々の祖先は、陸を目指すのは当然の事。海の彼方に陸があるだろう・・で、暫くしか泳げない祖先が海を目指す事は無い。ずっと昔の我々の祖先は冒険心や「そこに山があるから・・」と、山へ登ることはしなかった。あくまでも、獲物を追って、木の実を探して山へ入ったのである。
また、最終氷期が終わった頃から人類史に特筆すべき“縄文文化”が興り、九州・四国・本州・北海道へと拡散して行ったのに、琉球列島に広がらなかったのは何故なのか?縄文文化については、この稿では詳しくは触れない。
≪今回の挑戦について≫
【小生の考察 T】
まず、陸に住む我々の祖先が、海の彼方に陸が確認出来ないままに大海を目指す事についての、納得できる理由を見いだせない。しかし、この問題の答えを見つけるヒントとして“瀬戸内海の島へと泳いで渡って行くイノシシ”の生態を研究してみるのも一計なのかも?
【小生の考察 U】
上記図中の“当時これらの島は台湾と地続きだったという説があるが、様々な証拠から否定されている”としているが、台湾は地続きであり、琉球列島の島々は現在と同様の姿だったと言える根拠は何なのか?大陸の端に位置するこの地域、天変地変は当然。突然、島が表われたり、一回の地震で島が海の底に消えてしまう事は近世の日本でも経験済みである。また、古本州と云われる地域にだけ縄文文化が広まった事・・つまり、最終氷期が終わった後には大海に漕ぎ出す船を手に入れるまでの間、文化交流が無かったのも事実なのである。
【小生の考察 V】
上記文中の“当時の黒潮の流路については現在チームメンバーの研究者が調査中”とあるが、地理が変わっているのだから潮流の流れが当時と違うのは当然であり、調査も完了しないままに大海に漕ぎ出すことに何の意味があろうか?現代の地図と3万年前の予想地形図を大きな水槽に造り、潮流を再現実験するのは、そんなに難しい事ではない筈。プロジェクトチームには、日本を代表する立派な大学の学者さんが沢山集まっている筈。
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【第一弾の冒険】与那国島→西表島に挑戦
まずは、当時の 舟を学術的な証拠に基づいて復元し、2016年夏に第一弾(与那国島 → 西表島)、そして2017年夏に第二弾(台湾 → 与那国島)
の実験航海を行い、祖先たちが挑んだ困難を自ら体験して検証します(図4・5)。成果はもちろん国内だけでなく世界に向けて発信。総費用およそ5,000万円の大型プロジェクト。今回は、主に第一弾の実施にかかる費用として2,000万円を目標に支援を募集します。(上記、「3万年前の航海
徹底再現プロジェクト」サイトより) |
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7月18日の航海の模様は、TVニュースなどで放映された。今回の試みの航海は、与那国島・カタブル浜から西表島・シラス浜までの75kmを凡そ真東(やや南となる)へと、十数名の若者が二艘の草船へ別れて漕ぎ出した。しかし、実際の航海は目的の地からは大きく海流に流されて事実上の失敗に終わった。勿論、これはあくまでも試みなのだが、遺跡資料のみの考察での仮設を立てることについては、小生が当初から憂慮を感じていたものだ。
海部氏は、来年の台湾から与那国島への航海を試みるようだが、幸運を祈るとしか言えない。。
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上掲の図は海部陽介氏の『日本人はどこから来たのか?』(文芸春秋刊)に載っている≪図5-4 5万〜3万年前の日本列島、現在の地形のまま海面を80m下げた地図(p120)≫と≪図5-5 海面が今より130メートル下がっていた2万年前頃の日本列島(p121)≫である。
前述の“小生の考察”の前提となるのが上図。日本海や東シナ海が奥深い湾のような状況で、現在の海流と同様の潮流であろうはずはないと考えるが、如何?
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