縄文文化を巡る!  
 2019年「waiwai隊」 縄文遺跡を巡る旅
國學院大学博物館 ≪2019年5月5日≫
  今年初めてとなる縄文文化を辿る旅は、東京の大学巡りとなりました。昨日は、日比谷野外音楽堂のコンサートへ行ってきました。「わざわざ東京へ行くのだから、連休中でも開いている大学の博物館は無いのかななぁ〜」と、相棒が一生懸命ネットを検索していました。
 そして、10連休が始まる頃にやっと計画が出来上がりました。
 今週は、5月1日という日があり、“平成”から“令和”へと元号が変わりました。私自身は元号がどう変わろうが何らの興味もわきませんが、日本各地で各種のイベントが催されています。昨日も、東京駅へ着いた際『皇居まで行列が続いています』とのニュースが流れていました。そんな中、訪れた國學院大學博物館で『企画展「和歌万華鏡―万葉集から折口信夫まで―」(4月27日(土)〜6月23日(日)』が催されていました。


【関連リンク先】 國學院大學博物館



 今日は松山へ帰ります。東京駅発が15時10分(岡山 18:23 →18:35 →21:32 松山着)なので、ホテルから渋谷の國學院大學博物館を見学した後、次に予定している東京大学本郷キャンパスへ移動し見学後、東京駅へ向かわなくてはなりません。十分な土地勘も無い中、渋谷駅へ降り立ちましたが、webで得た情報だけでは不十分だと思い知らされたのでした。渋谷駅の東口から明治通りへと行きたいのですが、工事中ですんなりとは交叉点を渡れません。目に付く案内標識が中国語ばかりで、日本語表示の看板を見つけるのに四苦八苦です。

 そんな回り道も数分の事。明治通りを行けば、すんなりと國學院大学へ着きました。大学の博物館の開館はam10時でしたが、5分ほど前に着きました。すると、すぐ後ろからやってきたオジサンが会館に入って行きました。私たちが入館(無料)すると、先のオジサンがホールの案内ビデオを見ていました。正面のミュージアムは開いていませんが、早速、展示室に入りました。


≪記念展示≫ 新元号
令和
典拠『万葉集』巻5

 


 展示室に入ると、係の人が座っていました。小生、最初に聞くことは「写真を撮っても良いですか?」との確認です。最初のコーナーの企画展は、小生はさほどの興味はありませんでしたが、先のオジサンは熱心に見て回っていました。そして、令和の引用元と紹介されている万葉集(巻5)を展示し、解説しています。また、この部分については撮影がOKという事でした。

 次のコーナーは『神道』という事で、時間の余裕の無い今回はパスします。もっとも、時間に余裕があったとしてもさほど興味が湧かないテーマなので、対応としては今回と大して変わりがないかも・・です。


≪考古展示コーナー≫

 私たちが入館してから、さほどの時間を経ていませんが、もう若い人達ちがボツボツ見学しています。私達の訪問の目的は、この考古コーナーにあります。このコーナーの最初の陳列棚には縄文土器が飾られていて、以下の説明がありました。


縄文土器の造形

日本列島の縄文文化は、農耕や牧畜を伴わないまま、定住生活を定着させたユニークな新石器文化であった。また、北海道から九州・沖縄にかけて用いられた土器は、地域毎に独自の形態や文様を纏っていたが、世界的に類例の乏しい波状口縁を好むなど、一定の共通性が認められる。また、過剰な立体装飾が施された作品は、縄文人の概念を具象化したものとみられるが、実用的な煮炊きに用いた愛用度を残す事例も少なくない。




 考古コーナーの左側の陳列棚には、土偶が飾られていました。このような解説文については、いちいち読みません。写真に撮って帰宅後じっくりと読む習慣がついています。


多様な土偶の姿

縄文時代草創期に出現した土偶は、早期まで胴体を造形するに止まっていたが、前期になると顔や手足の表現が加えられた板状土偶が現れた。中期になると立像が登場し、大型の土偶や、土器と融合する事例も出現した。後期の関東地方におけるハート形土偶。山形土偶・みみずく土偶や、晩期の東北地方を中心に分布する遮光器土偶のように、特徴的な形態のものも見られる。東日本に分布が偏っており、破砕された状態で出土する例が多い。



≪多様な土偶≫

 

 




 先を歩いていたカップルは、立ち止まらずに次のコーナーへ向かいます。そのコーナーに飾られていたのが石棒でした。若い女性にとっては、公衆の場所に飾られている男性自身を形どっている石棒を正視する事は堪えられないのでしょう。

 その石棒もそうですけど、土偶や土器と違って用途や目的のはっきりしない遺物については、『祈りや祭祀に使っていた』との見方が大勢を占めているようです。
 土偶については殆んどが女性像であり、その中でも妊婦像がその多くを占めていることから、安産を願う目的で作られ、大切にされていたものと考えられます。しかし、男性自身をデフォルメしている石棒の用途には首を傾げざるを得ません。しかし、本当に神秘です。

 小生、これらの遺物を生んだ縄文文化は、他の世界各地に興った新石器時代にも相当する文化だと考えます。



第2の道具

狩猟具である弓矢、調理に用いる石器、煮炊きに使う土器のように、一見して機能を推察できる考古物があるのに対し、直ちに使途が理解できないものがある。土偶・岩偶や石棒・石刀などをはじめとする謎の造形物がこれにあたり、おそらく儀器・呪術具として用いられたものと考えられる。人の能力だけでは、実現が困難な願いを叶えるため、多様な祈りが試みられたのであろう。



 続いてのコーナーから先、弥生から古墳時代にかけての遺物が展示されています。小生、縄文時代以降については、さほどの興味は覚えません。世界中のあちこちで興った新石器時代の文化は、それぞれに影響しあって発展して行きます。しかし、その事が良い方向ばかりへと向かうとは限りません。
 それらの出来事については、それぞれの文化が残した文字によって認められます。それを指して有史以来・・と呼んでいます。




 

 この頃になると、次々に見学者が入って来ています。奥のコーナーには、石器類の展示コーナーなどもありました。

 石器類については、その当時の住環境などには興味が湧きますが、このような形で展示されている遺物を見てもてもピンとは来ません。今回のように、大学の博物館などでは、日本の各地で掘り出された遺物を展示しているだけですので、遺跡の横に建てられている縄文館とは自ずと違っています。

 縄文の遺跡は弥生以降のムラとは違って、生活痕が見事です。

  

 奥のコーナーには、縄文の遺物が展示されていました。そして、掲げられているパネルには、下記の説明が書かれていました。




注:文中の歴史年代については、小生は以下のように統一して使用しています。

【AMS法による区分】


  草創期  15,000〜12,000年前
  早期    12,000〜7,000年前
  前期     7,000〜5,500年前
  中期     5,500〜4,500年前
  後期     4,500〜3,300年前
  晩期     3,300〜2,800年前




縄文時代のこころとかたち

長い氷河期が終わりを告げる約1万年前、日本列島に大きな歴史的事件が勃発した。旧石器文化から縄文文化への飛躍。縄文革命である。弓矢を使った狩や、土器製作などの技術革新によって動物・植物・魚貝類など多種多様な自然資源を徹底して活用する姿勢方針によって食糧事情は安定し、誘導的生活から定住的生活が始まった。ムラをとりまく神羅万象に精霊を意識し、ストーンサークルなどのマツリの場やヒト形に仕立てた土偶や石棒など祭祀、呪術具などを作り出し自然との対話を深めていくのである。



縄文時代草創期―イメージの時代

土器の出現
日本列島における土器の出現は、℃年代測定値の暦年較正にによれば約16,000年前にさかのぼる。中国の華中・華南地域やロシアのアムール川流域などでも、12,000年を超える古さの土器群が出土しており、日本を含めた東アジアは世界最古の土器の起源地として注目されている。土器は完新世の新石器文化の発明品と考えられていたが、東アジア・極東地域では更新世の最終氷期にすでに土器の使用が始まっていたことが確実になっている。

初期の用途
出現期の土器の用途は未解明だが、煮炊きによる炭化物が付着した深鉢が多い、青森県大平山元T遺跡の無文土器などの最古の土器群は、個体数も少なく使用頻度はまだ低い。寒冷期の鍋の用途として、獣骨からの脂肪抽出や魚油の抽出、膠の製造などのやや特殊な用法が考えられる。隆起線文土器の時期には土器の使用が拡大し、特に日本列島の南西部で顕著に増加する。温暖期に入り堅果類の食利用が増えたことが一つの要因と推定される。

造形のイメージ
草創期の土器には、早期以降の縄文土器にはない特殊な造形が数多く見出せる。室谷下層式土器などに見られる方形平底の形態は、網籠や樹皮籠を髣髴とさせるものであり、土器以前からあった既存の器の形をそのまま写し取った可能性がある。自縄自巻や絡条体などの特殊な原体を器面全体に押捺した複雑な「押圧縄文」が文様の起源となったが、これも網籠の編み目をイメージした造形と考えると、その発生理由が理解できる。


 
 

 コーナーを独り占めして、ライトに浮かぶ≪遮光器土偶≫には圧倒されます。何故、このようにデフォルメされた土偶を造ったのかと、作者に聴いてみたいものです。何千年も前に岡本太郎が存在はしていませんでした。

 また、東北地方を中心に同様の土偶が作られたのは何故なのでしょう。同じ土偶でも、国宝指定されている縄文のビーナス、縄文の女神、中空土偶、仮面の女神、合掌土偶といったこれらの土偶には同じようなものには出合いません。もっとも、関西圏でも遮光器土偶を模したものの土偶の出土は認められるようです。


 さて、土器についても触れましょう。ここにも展示されている火焔土器ですが、この火焔型土器については、出土地が偏っています。新潟県の最上川流域の地域からの出土が大半を占めています。

 そして、土偶です。下に載せた土偶は、赤ん坊を背負っているかのように見えます。


 
 




 さて、続いてのコーナーからは弥生文化となりますが、ここは、写真でのコーナーの紹介に留めます。また、世界の石器なども同時に紹介されています。


 

 
 
 ・5月4日(土) 
 松山  岡山 東京
 
 ・5月5日(日)  
 東京  國學院大學博物館〜 東京大学総合研究博物館〜 東京   岡山  松山