縄文文化を巡る!
縄文遺跡を巡る旅(四国・愛媛編)
2017年度、上黒岩第2岩陰遺跡の現地説明会に参加して
 久万高原町教育委員会から≪上黒岩第二岩陰発掘調査の現地説明会≫を、今年は夏休みも終わった9月の末の週に実施する・・との案内のお知らせが届きました。9月16日に≪猿楽遺跡現地説明会≫があり、上黒岩第2岩陰遺跡の現地説明会は、9月24日(日)の13:00~15:00との案内でした。現地集合ということでしたが、昨年も参加しているので要領は得ています。

 林道の集合場所のテントの手前のの広くなっている場所に愛車をデポし、集合時間の少し前には受付を済ませたのでした。先週の“猿楽遺跡・現地説明会”へ参加していた方も、既に受付をすませていました。受付のテントのテーブルには、今年出土された遺物なども見ることが出来ました。今年も大学生らしき若者が参加していました。
 遺跡の場所は林道から急坂を5分ほど上がった場所です。


 下掲のポスターで、発掘作業へのボランティア参加を募っています。


 
 下の記事は9月25日付愛媛新聞


                                          
上黒岩第2岩陰遺跡の現地説明会(2017年9月24日)

 現地説明資料として、プリントを貰いました。そのプリントには、岩陰遺跡の発掘の様子と、発掘場所の図が載せられていて、以下の紹介文が書かれていました。


 縄文時代草創期から早期の岩陰居住跡である国指定史跡上黒岩遺跡の周辺調査として、久万高原町教育委員会では、中央大学・島根大学等とともに上黒岩第2岩陰遺跡の発掘調査をおこなった。第2岩陰遺跡は岩陰遺跡の500m南の山中腹に位置する。
 2010・2011年度トレンチ調査では、縄文時代早期前半押型文土器および縄文時代草創期と考えられる石斧未製品・チャート製剥片などが出土したが、残念ながら居住痕跡は確認されていない。2015年度は、居住痕跡を求め押型文土器土器出土トレンチ周辺を中心に発掘調査をおこない、縄文早期・前期・中期の土器片、石鏃などを検出している。2015年の調査から人骨(中世以降)が検出され、2016年の調査では縄文人骨が発見された。


 今年度の調査は、2016年の縄文人骨の発見を受け、1トレンチの調査および人骨出土トレンチの精査を行った。表土下の2層(土)を中心とした層より、縄文時代の遺物及び複数体の人骨、自然遺物が検出された。縄文時代早期押型文土器後半から縄文時代後半期にかけての遺物が確認でき、四国地方では数少ない当該時期の埋葬人骨(複数)を伴う岩陰遺跡であることが明らかになった。
 また、本年度は2016年に発見された近世の埋葬人骨(4号人骨)の取り上げを行った。円形に彫り込まれた土壙から、成年男性の歯が検出された(新潟福祉医療大学:奈良貴史同定)。AMS炭素14年測定をおこなっっていないが、中世以降に帰属する可能性が高い。山間部における岩陰利用を探る上で重要な知見を得ることができると考えている。


 上黒岩岩陰と近接する岩陰において、縄文時代と考えられる人骨が発見されたことは、縄文人がどのように岩陰を利用していたかを、考える上でも大きなヒントとなる可能性が高く、今後も調査研究が必要であろう。


 『このような現地説明会への参加は初めてでした。既に新聞にて発掘の様子を拝見していましたので、今回、どのような遺物が発掘されるのか興味深々でした・・・』との昨年の書き出しとは違って、要領は得ています。
 テント内の受付のテーブルには今回の出土遺物が置かれていました。

 きっかり1時に、主催の久万高原町教育委員会の学芸員のあいさつで始まりました。昨年は町長さんの挨拶がありましたが、今年は見えていないようでした。発掘作業の様子について、小林教授から説明がありました。今回は、先週の日曜日に台風に伴う大雨が降っているはずなのに、土砂が流れ出している様子も見えないが、滑りやすいい坂道を行きます。

 人間の歯やクマの歯などや、土器や石器なども出土しているようです。出土に携わった者の興奮は、言葉の端々から伝わってくるものです。

    
   
 今年の発掘作業では、新たなトレンチを掘らないで、昨年発掘された埋葬人骨のトレンチの周辺の掘り出しと、第1トレンチに限られている様子でした。



  
 
 小林教授の説明では、屈葬で掘り出された人骨などは近代(江戸時代)の埋葬人骨だったとの説明でした。しかし、昨年掘り出された人骨の中に縄文人の特徴を持つ骨が混じっていて、今年はその2号人骨の周辺を採掘する事となったようです。そして、下の写真の埋葬人骨が出て来たとの事でした。そして、新潟医療福祉大の奈良教授は「昨年の人骨の年代鑑定は、8,500年前の人骨」との東京大学での鑑定が出たとの事でした。同時に掘り出された歯なども含めて、引き続きDNA鑑定や炭素14年代測定などを行うとの説明がありました。

 また、小林教授は「この遺跡は、全面的に掘り返す事は行いません。時代が進んで、技術的に進んだ未来なら、現在より新たな事実の解明も出来るかもしれない」と、先日、猿楽遺跡の現地説明会(9月16日)の際にも、愛媛大学の教授が話されていたのと同様の説明でした。


【下の写真は、今回発掘された2号人骨の出土状況】
 

 
 小林教授は写真の「再埋葬の状況が、上黒岩第1遺跡でも同様の埋葬方法であり、
この時代の人たちがどういう理由かは判らないのですが、
左右の腕や足の骨を綺麗に並べて埋葬している・・という
共通点がある」などの説明がありました。

2017年度の出土遺物 
 

 

 

 

 

≪おまけ≫

久万高原町教育委員会発行の【久万高原町発掘記録集 2016】のパンフレットは、
コチラから 



 テントに戻ると、先週の猿楽遺跡の説明会と同様に『クロモジ茶』や『手作りクッキー』などの接待を受けました。久万高原町挙げてのこうした取り組みは、メインの『女神の里帰りプロジェクト』を含め、大切な取り組みだと思います。