藪漕ぎの楽しみ
三十六王子道(今宮道)
【河口〜成就社〜今宮〜河口】(2001年12月2日) 今日は、虎杖(いたずり)から黒川道を辿り成就社への路を歩こうと出掛けた。周桑バスの回転場跡へ着くと‘軽トラのおっさん’が居たので路の様子を尋ねると「歩けん事はないが、壊れとる所がある」との事、それならと、今宮道の事を聞いたら「そっちは整備しとる」・・・で、河口に戻る事とした。車の中で、「今から猟に行くのに、先に歩かれたら困るんだろう?」等、相棒と話した。 この成就社への路は、職場の‘Iさん’から聞かされていたので、いつか歩いてみたかった路でもある。尤も、黒川道の脇を流れる黒川谷には別の‘思い’もあったのだが・・・
それはさておき、地図には河口から黒川道にも路がついているので歩いて行くと、直ぐの橋で「私は、よう通うらん!」との訴えで、今宮道に最終決定! 今宮道に入り、西の川への道路を下に観ながら、植林の中の路を辿る。暫くで、@地点でお堂に出合った。ここに‘三十六王子道’の真新しい標識があり、今までの経験では登山道脇に王子が祭られていたので、そちらに路をとった。(このことが、私に石鎚神社に足を運ばせたのだ)
路は、間もなく踏み跡程度となり、やがて、尾根を辿って行くようになり、この路は、今宮道と合わさらないかもしれないなあ?と思いながら、王子道を行っても何処かへ出る筈・・・と進む。左手の植林と、時々見える右手の黒川谷の自然林に挟まれた尾根は、勾配を増して来た。最近路を整備した(?)と思われる新しいナタの痕は、やせ尾根へと導いた。 王子道は、次々に標識が現れるので注意して辿れば良い。‘第12今王子’で小休止。滑りやすい足元に注意しながら、急勾配の尾根を辿ると小ピークに着く。黒川谷は真下に流れているようだが、姿は見えない。小ピークからは、歩きよい路が付いていた。そして、植林の作業道のようなトラバースの路を辿ると、前方に(B地点)電柱が建っている。そこが「今宮道」だった。
今宮道に出てからは、古くから使われている路らしく快適に歩く。木の間越しに見える瓶が森を前にして(1000m付近)小休止。今はもう崩れ落ちるのを待つだけと思われる小屋は、往時の繁栄を語ってはくれない。そして、壁板の落書きも30年〜40年の歳月を経ている。
こんな古道を、一人でも多くの人に辿って貰いたい・・・と想いながら成就社へ足を踏み出した。 ‘第17女人返し王子’を左手に見送り、暫く進むと前方にリフトが現れた。開通直近かのスキー場なのに、雪の姿が無い。近年の暖冬の影響で、四国のスキー場は、苦しい経営を強いられているに違いない。相棒とそんな話をしながら、黒川道への路を確認し成就社に着く。‘今日は回り道をしてしまったので展望台で昼休憩して、降りよう。’と石鎚と瓶が森が見渡せる展望台に急ぐ。
ゆっくりと休憩をとり、下山の途に着く。帰路は、今宮道の確認が命題だ。‘第17女人返し王子’を過ぎた辺りで‘鈴の音’が聞こえた・・・‘誰か登ってきたな’と、修行僧姿の髭をたくわえた大柄な青年だった。挨拶を交わし、「成就社まで、あとどのくらかかりますか?」「降りで二十分ぐらいですから・・」「昇りだと三十〜四十分ですね」等などを話し別れた。
B地点の王子道との別れを確認して、植林の間の薄暗い路はジグザグの降りとなった。間もなく「今宮の大杉」の看板の在る所に差し掛かった。
尚も降ると、今宮の廃屋が現れる。数軒の家の間を縫うように路は降りている。往時の‘お山開き’の繁盛振りは今は無い。お地蔵さんを見送ってすこしで、林道に出合った。D地点だ。林道に裂かれた古道を降り、小さな枯れ沢を渡り間もなくで、朝方通った‘お堂(@地点)’だった。 〔追記〕帰路、三十六王子道の事を知りたくて、石鎚神社で本を求めた。・・・消費税は要らなかった。
ひょっこり登山道に出た時はほんとうにうれしいんじょ! ヽ(^o^)丿 この後 '00年10月の丸瀧尾根縦走の時、土小屋〜駐車場の4kを歩いたけど、50分かかったんよ。この登山口までやったらどれくらいかな〜。
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