藪漕ぎの楽しみ

 

     

 

ハネズルへの道

【アクセス】

二ツ岳の別子山側の登山口である、肉淵登山口までは“二ツ岳への登山口”と同様である。が、“小箱越えに向かう軍隊道路”の路は2万5000分の1の路とは違っており、林道の途切れた処の小尾根を辿るルートとなっている。

 

 

 

 

 

【ハネズル登頂計画】(2000年12月9日、29日)

 その山名は一体何から来ているのか、興味津津である。カタカナの地名や山名は、古くからその土地で使われているもののようだ。私には、その歴史を紐解く術はない。“学研さん”にまかせよう。だが、“羽根鶴トンネル”とかいう安易な字が当てられるのは・・誰の案なの?

 それはさておき、

 

 

(2000年12月9日)

小箱越えに延びている筈の、分岐を探すが見当たらない。登山口から@地点まで、行ったり来たりするが・・見つけられない。仕方なく、蛾蔵越えから“中の川側”へ下り土居からのルートを辿ることとした。

植林の中を、尾根に向かい淡々と歩を進めると、笹と潅木に覆われた尾根に着く。踏み跡もはっきりしており、「これは案外、簡単かナ」と、前方に三角点・・・それも真新しい“四等三角点”の標識である。地図を出し、いくら探してもない。そんな三角点は、地図には無い。

やはりそこから先は、踏み跡も定かでなくなり二ツ岳の稜線を背にしながら、スズタケの中を先人の残したテープを頼りの前進となった。やがて、赤星山を林間に望みながら“1340mのピーク”を右手にし、身の丈を越すスズタケ林を掻き分けながらの昇りも、視界が遮られて思うに任せない。こういうときにいつもやっている、“木登りの術”での現在位置の確認も思うようにいかない。

またしても、敗退である。

 

 

 薮こぎの二番手は、撥ね返ってくる笹が顔や目に当たり、生傷が絶えない。 あ〜 美貌が〜 (>_<)

 

 

 

 (2000年12月29日)

先日の敗退の後、“別子山村役場”に問い合わし、FAXで“小箱越えに向かう軍隊道路”のルートを教わった。準備万端である。取り付きの小尾根を昇ると、直ぐに小道に出合う。地図では、川を横切ることとなっている。沢音が近くなってきたが、前方は“ザレ”と“ガレ”の崩壊地だ。予想どおりの“荒れた路”である。A地点で沢を渡るが、“元の路”より手前で渡り適当な場所で直登すると良い。尚、このルートは何度かの渡渉があり、水量の多い時はパスするのが懸命である。

 

 

 

B地点までは、尾根を廻りこんでの何の変哲もない路だ。B地点もA地点と同様、手前で渡渉すると良い。

 

 

C地点の手前は、地図のルートと違って路が入り組んでおり、注意を要する個所だ。目印に気をつけて進むこととしよう。小雪のちらつく中、なおも歩を進ませるとやがて、立派な路が“小箱越え”に続いていた。前回の到達点の尾根に“スズタケの中の踏み跡”が続いており、そこは目の前だった。“ハネズルに続く稜線”は、霧氷を纏った自然林の路だ。そして、久しぶりの藪漕ぎである。左手の赤星山を見ながら暫らく進むと、小屋があった。何の目的で建てたかはっきりしない、物置小屋だ。そこからは、間もなくでピークである。

 

 

そこは、何も無かった。目印に石でも積んで置く。(山の頂上は、ピークだ・・三角点は、測量の為に作った地点にすぎない)勿論、鬱蒼とした頂上より、ちょっとしたスペースのある三角点で小休止である。次回は、周遊コースでも辿ろうか・・・と話しながらの下山は、何時もの山行時と同じである。

 

 

 ひょっこり登山道に出た時はほんとうにうれしいんじょ! ヽ(^o^)丿 この後 '00年10月の丸瀧尾根縦走の時、土小屋〜駐車場の4kを歩いたけど、50分かかったんよ。この登山口までやったらどれくらいかな〜。