二ツ岳縦走

東赤石山〜二つ岳

【アクセス】

 別子山村の肉渕登山口を下山口として、車をデポする。林道をバス停まで歩き、筏津まではバスを利用する。

【筏津登山口〜赤石山荘】(1998年9月12日)

 

 この計画は、5月9〜10日に西赤石から東赤石への往復縦走の際に、宿泊先の赤石山荘で、たまたま同宿となった“高知の岳人グループ”との話の中で、「面白そうだ!それなら、私達もなんとか計画しよう!」と思い立ち、1台の車で実現出来ないか?と計画したのだ。

 

 保土野集落から林道を走り暫らく進むと、右手の岩場に“猿”を発見!「私達を歓迎してか?」「幸先が良いのか?悪いのか?」兎に角、車は登山口に着く。既に、“高知ナンバー”が1台。ポストに登山届を入れて、バス停まで林道を歩くのみだ。もちろん、かの猿の姿は無い。林道歩き50分程でバス停に着く。バスが来るまで一時間程(10:35分発)時間潰しだ。地元の“おっさん”と世間話しをしたり・・「乗って行くか?」も、方向が逆では・・そのうちに、運転手だけのバスがやってきた。

 

 

 乗車時間10分余りで筏津登山口で下車。赤石山荘へ向けて、出発である。旧登山道との別れの手前にある、瀬場谷に架かる橋の袂で昼食とする。大きなザックの青年が、一人休んでいた。今日は小屋主の「安森」さんは、小屋には上がらないらしいが、私達の今日の目的地は赤石山荘なので、分かれを左にとり、直接小屋を目指す。かの青年も、私達の後を続いてきた。

 

  瀬場谷沿いの道は、整備されていて歩きよく。谷を高く巻いたりしながら高度をあげて行き、水も適当に得られるように道が付けられている。小休後、出発しようとする処で、青年が追いついて来た。先を譲ろうとすると「荷物が大きいので、ゆっくり登ります」との事。聞けば、広島からテント泊の予定で、「東赤石山へは始めて」という。“最後の水場”から暫らくで、後続の青年の「ウワー」というような声が聞こえた。前方に立ちはだかる“八巻の岩稜”である。四国に、この景色である。

 

 

 ザックを小屋に置き、八巻へ向かう。かの青年も後を追ってきた。紅い色をした岩を越えて稜線を目指す、岩の間には“オトメシャジン”“コウスユキソウ”“タカネマツムシソウ”等の小さな花々が咲き競っている。頂きで、シャッターを押してもらう。青年は、なんとも云えぬ顔で、四国の脊稜を眺めながら「仲間と一緒に来たい!」と呟いて・・・しばらくの間、尚も遠くに視線を投げていた・・・・

 

 

 

【赤石山荘〜二つ岳〜肉渕登山口】(1998年9月13日)

 未だ、朝が明けきらない山荘の広い部屋は、一晩私達が独占した。準備を終え外に出ると、同宿となった青年が、私達を見送りに顔を見せた。“また、何時か、何処かの山で・・・(こんな別れなら、何度でもいい)・・・”

 清々しい朝と清々しい気分の出発は、山登り一年の記念山行でもある今日の縦走の、未知へのはなむけだ。そして、東赤石の頂きから望む、遥に見える二つ岳へ向け、その一歩を“権現越え”へと踏み出す。

 

 

 朝陽に輝く脊稜を正面にし、“権現越え”を7時頃通過し、頂きに祠を置いた異様な形の権現岩を右手に過ぎ、五良津への分岐の“大森越え”を左手に分けて、笹の藪をかき分て、笹につかまりながら進む。もう、朝の冷気も陽の勢いに退かされて、じっとりと汗をかく。権現の頂きは、笹の中にひっそりとしていた。

 

 

 

 「もう、遠くなったなあ!」来し方を振り返りながら、木々の間越えに連なる、前方の蛾々たる尾根をみつめて、次のピークを目指す。

 

 判然としない踏み跡を辿り、テープに導かれ蜜藪を分け痩せ尾根を辿り、ピークに躍り出た。そこが、“天狗”の異名を冠する黒岳だった。そこには三角標石と、“・・軽登山”の標識があった。この頃には、陽も上がり谷からのガスが山々を覆うようになっていた。黒岳を後にした。木々の間越しに、連峰の盟主である“エビラ山”が眼前に立ちはだかって聳える。

 

 

 だが、未だ2〜3の小ピークを越えなければならないようだ。潅木を掴み、分けながらアップダウンを繰り返し、痩せ尾根の微かな踏み跡を辿って“ひょっこり”踊り出たピークが頂きだった。ここにも“・・軽登山”の標識がある。

 

 

 

 

   谷から湧き上がってきたガスに、霞んで見える二つ岳は、こちらからは変わった形に聳えている。ふと、時計を確認すると昼前だ。適当な場所を選び中食とした。もう、木々は紅葉が始まっているが、日差しは温かく感じられる。

 前方に、尾根筋からは外れているが“権現岩”のような岩峰が現れた。路は昇り降りを繰り返すが、南側に断崖が現れたとおもったら、次は右側にあらわれる。「掴まる木々が無かったら、とんでもない路だ」

 やがて、南側に切れ落ちた絶壁の縁に出た。枯れた木が、下方を見下ろしている。相棒は、北側を巻くように慎重に通過する。目前には見覚えのある岩山が指呼の間だ、“二つ岳の西側だろう!”

 

 

 この頃には、水が切れてきた。「もう一本、水を用意すべきだったか?」など等考えながら、笹の斜面を昇って行くと左前方に“人”である。今日出発後、始めての“人”だった。そして、そこは蛾蔵越えからの“二つ岳登山道”で、三角点は目の前にあった。

 いつものように、記念写真を撮った。相棒が「隠し玉があるよ!」・・ザックから、スポーツドリンクが現れた。「学校の遠足じゃあるまいし、わざわざ隠しておかなくても・・・」もちろん、生き返る思いだ。

 

 既に2時前なので、急いで二つ岳を後にする。「あれ、どっちから来たん?」縦走路は左の笹の斜面だ、蛾蔵へは少し先の潅木の間を右方へと降りている。ここからは経験済の路だ。

 

 

 “鯛の頭”を14時30分に通過し、急坂を降りていくと70代・40代とおぼしきペアが昇ってきた。息を切らし“頂上まで、どの位かかりますか?”“まだ、1時間はかかるんじゃないですか?”聞けば、“別子山側から昇れば2時間半だから、思い立って昼から出掛けてきた”との事だが、“この先の鯛の頭で、考えて・・・”で別れる。

 蛾蔵越えを右にとり、水場を目指し急ぐ。目的は、頂きで飲めなかった“コーヒー”だ。“先ほどのペアはどうしただろう・・・無理をせんかったらいいのに”と話しながら、小休。よく整備された登山道は快適で、下山を急いだ。秋の夕暮れはすぐそこまで迫っている。16時30分に、昨日提出しておいた登山ポストに辿り着いた。充実した、縦走路の山旅だった。

 

 スパッツを落としてしまった。木の枝にザックのいろんな物が引っ掛かって歩きにくかった。細身のザックがいいじょ。