2015年4月14日【環10(岩屋寺の逼割行場(せりわりぎょうば)を行く)】 ≪四国のみち≫に指定されている四国霊場・第45番岩屋寺の裏山に逼割行場(せりわりぎょうば)がある。昨年暮れに岩屋寺を訪れた際にこの行場の存在は知っていたのだが、その時には寄らなかったのだ。今回、機会があり巡ることとなった。 岩屋寺の直ぐの駐車場は既に一杯だった。たくさんの参拝の人が歩き出していた。10時15分の出発だ。すぐ先に歩いていたお母さんらしき人は、最後の売店あたりで足が止まった。旦那さんと娘さんらしき二人で参拝に行くようだ。山門では歩き遍路風の方が写真を撮っていた。私達を見て「44番から?」と問う。「今日は車で・・」と応えたのだが、その方は「私はバスで・・」との事だった。 一通り参拝を終え、相棒が納経帳への記帳の間、私はトイレを借りた。今日の目的の逼割行場の鍵は小生の担当・・との事で、改めて納経所へ。一人に付き300円を納めて三十六童子のお札をいただき、逼割行場の入り口のカギをお借りして、出発は11時だ。 以下の撮影は相棒に任せる。 三十六童子だけかと思っていたのだが、番外の仏さんも一緒にお参りするので案外時間が掛かった。 小一時間、専属カメラマン(笑)同行でした。 逼割行場の案内には 開山の法華仙人が、弘法大師に通力を見せた跡と伝えられます。岩の裂け目を鎖と梯子でよじ登り頂上の白山大権現に詣でます。山岳修行者達の古くからの行場で、山岳重畳の眺望をほしいままにし、はるかに石鎚を望むこともできます。 とあるが、今日の天候では、眺望は望めない。さて、出発は11時52分である。いきなりのドロドロの急坂は“小錦はムリだろう”と云うような狭い岩のワレメだ。 ネット情報に拠ると、ロープが掛かっているようになっているのだが、こういう場所では数年を経ると様子が違う場合が多々あるのは承知・・と、ドロドロの斜面を這い上がる。登っている最中に遠くから昼を告げる音楽が聞こえた。下の集落のチャイムだろう。ワレメを上から撮ったのは12時2分だった。小屋の赤いトタン屋根が僅かに垣間見える。そして次の写真が上方の鎖と梯子の全景である。 鎖の下からの写真と、鎖を登りきって下を撮る。朝までの雨の仕業かどうか、ツルツルの岩は濡れて良く滑るので、慎重に登った。 梯子を下から見上げたのは12時6分で、まずは、後方へ続く路へと進む。祠が祀られていたが展望も無く、写真を撮れば用は無い。 戻って、梯子を登る。12時10分頃に白山大権現が祀られている岩峰の突先に着く。予想通り、遠くの山を覗く事は叶わない。こちらも展望が無いので長居は無用。 木製の梯子を降り、鎖の場所を降り、ドロドロのワレメを慎重に降り、相棒の居る門へと降り立ったのは12時20分だ。門扉を閉めて、鍵を掛けて行は終わったのだ。 岩屋寺の周辺には春の花が咲いていた。小さな花々を撮りながら降り、納経所へ行場の鍵を返却したのは12時55分だった。 参拝の人は次々に来ていた。中にはリュックを背負った異国の若者もいた。近頃、外国からの四国遍路の人たちも多い。 山門の脇に以下の碑が建立されていいた 当山の縁起は、弘仁六年(八一五)弘法大師がかって修行の霊地を求めて投げていた明王鈴の音をたよりに当山に巡錫されて 山高き谷の朝霧海に似て 松吹く風を 波にたとえむ と詠われ 山号を海岸山岩屋寺と名つけ自ら不動明王を刻んで開創されたものであります この碑は、平成三年に建立されていた。 帰路、面河渓谷へ寄ってから帰宅しました。山桜がちょうど見ごろでしたし、もう、アケボノツツジが咲いていました。 |