1980年9月14日   石鎚山

 この年は夏の間ずっと雨が降った年だった。

  明日は久しぶりに晴れるというので、夏の間うんざりしていた私とおっちゃんと義妹は、石鎚山でも登るかということになり、9年ぶりの登山に出掛けたのだった。

    

    

 小康を得たものの運動不足の私は案の定、土小屋からの登りは快調だったが、降りとなるととたんに膝が痛くなり、やっとの思いで下山した。帰って膝をみると、内出血している。こんな事ではもう2度と山登りは出来ないなぁと思った。

    

1981年4月25日〜26日   三嶺

 会社勤めの悲哀か? 私とおっちゃんは1976年〜1981年までの5年間、私が松山、おっちゃんが徳島の2重生活を余儀なくされていたが、この年やっと転勤がかない、徳島の友達がお別れ登山をやってくれることとなり、山の会の人達がたびたび「みうねはいい」と言っていたのが気になっていたので連れて行ってもらうことにした。

    

    

 車2台で行って久保に1台置きに行き、名頃から登ったようだ。というのも、連れて行って貰っているので気にしていなかった。頂上には難なく着いた。小屋の前の池にはまだ雪が残っていた。2代前の小屋で寒かった記憶がある。

    

    

 翌日はお亀岩を越え、いざり峠から降りたと思う。というのも、後日山登りを始めて、この時どう行ったんだろうねと話していたのだがここへ再度行った時、帰って写真をみてそのようだから・・・。やっぱり、人任せでは登山をしたことにはならない。

    

    

 今回もやっぱり、降りとなって足をひきずりながら降りる事となった。あ〜あ・・・・

  この時、現在“徳島あすなろ山の会”の友達が地図を見て、迷わず先導してくれたり、コッフェルでご飯を炊いてカレーを作ってくれたりした。下界では見たことのない?? テキパキとした態度は我が家で語り草となっている。感謝!

    

1982年7月25日    石鎚山

    

 この年1982年は石鎚山の標高が1982mということで、徳島の姉の家族が石鎚山に登ろうとやって来た。

 前日の夜から朝にかけて、大雨で登れるかどうかわからないがロープウェイに乗るだけでもいいからと出掛けた。成就社まで行くと雨もやみ登れそうなので登る事にした。

    

 いつものように登りは快調で、鎖も全部難なくクリアし、天狗岳まで行ったもののやはり、「行きはよいよい帰りは怖い」だった。またしても、もう2度と登山は・・・だった。

    

 

  この後、15年間も山とは無縁だった。