2021年  

 

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 11日【茶堂場~(川内町)相之谷~(旧丹原町)相之谷】


 昨日の今日なのに、なんと! 又虚空蔵に行ってきました。詳細は、おっちゃんの《waiwai隊のみちあるき》で。

 10日【鍋谷線~(旧丹原町)相之谷】



 8日に『松瀬川~梅ヶ峠~相之谷』を歩いた時に、一軒のお家にいらした方から、「虚空蔵には行ったか?以前は立派なものだったが、両脇の大杉が倒れて壊れたので、小さな庵を建てている。常夜燈もあるし、六地蔵や、手水鉢もある。行ってみなさい」と言われたが、疲れたので後日来る事にして帰った。

 翌10日(金)は、おっちゃんの通院で行けなかった。さ~、リベンジに行こう!と出掛けたが、松瀬川方面に車が曲がらず、11号線を真っ直ぐに走るではないか、てっきり、梅ヶ峠経由で行くと思ったのに・・・。

 おっちゃんの調べで地図をちゃんと用意している。11号線を以前、ロバのパンがあった所の反対側を左折し、新旧の橋が架かっている向こう側に車を停める。10時40分に出発、10時47分に高速が見える。「ええ~! 早くもここ?」地図との違和感がある。クサノオウが咲いている。



 作業小屋のような家を越して奥へ進む。どうも、歩いている道と地図が合わないようだ。石垣の上の畑に女性がいたので話かけると、主人が帰ってきてますから聞いて下さいとの事。おっちゃんが地図と道が合わないと話すと、相之谷(旧丹原町側)はここじゃないと道を教えて下さる。このご夫婦は松山に住んでおられたが、ご主人の定年後に実家に戻られたとの事だった。11時30分ご夫婦と別れる。教えられた通りに引き返す。先程の作業小屋の人がタケノコ堀に来ていて、詳しく道を教えて下さった。所々に有害鳥獣駆除(4月1日~5月30日)の札が下がっている。



 広い道路は、高速道路の工事用に付けられたのだろうか、11時52分に高速道路の横を歩くようになる。暫く行くと、右手に集落が見えたので10分程探索するが、違うようだ。12時5分、農作業をしている方がいて、そろそろ田植えの準備に土・日に来ているそうだ。帰りにこちらに戻るなら、高速の高架を横切って下りると早いよと教えて下さる。


 高速道路の横の道路を通り過ぎ、つづら折れに上り、峠に12時24分到着。ここで食事をとる。後は下って行く。こんな路肩にはフデリンドウがある筈と、見ながら歩いていると、2、3輪咲いているのを見つけた。


 12時56分、三叉路を山の方へ歩く。大きなお家が見えたので奥へ行く道があるかもと探索してみるが違う。道に戻り、相之谷集会所
の前が13時7分だ。

 桜や、椿、モクレンが咲いている。畑に居られた女性に目的の『虚空蔵』の事を尋ねると、親切に教えて下さる。山の上の方に新芽の大木が見え目印になっている。虚空蔵へ行く道が崩れていたので、橋をかけ直したとの事で、橋のところまで案内して下さった。13時21分、橋を通過し5分程でぬたばを通過。


 後は、シキビ畑の中の道を進む。こういう道はwaiwai隊は得意だからね。13時30分、無事に虚空蔵に到着。常夜燈が見える。自然石(石金)と、切石のと二つある。先日の方が言っていた手水鉢(へりを使って鎌を研いで削ってしまった人がいたそう)もある。


 六地蔵も奉ってある。お堂の中に絵があり、昔の姿が分かる。


 川内側の相之谷に下りる所まで行ってみる。おじさまの言っていた通りにすぐ下にこの間通った道があった。引き返し山手に常夜燈が見えたので少し上ってみた。こちらは神社のようだ。


 過疎になって廃れてしまっているが、にぎやかだったであろう祭りの後の残骸が散らばっていた。充分堪能したので、13時53分に下りる。

  
 途中から見た、旧丹原町の相之谷方面。女性が修復したという橋の所に帰ってきた。



 14時、畑の所に戻り、山側のシキビ畑で作業をしていた女性にお礼を言って帰る。往きに咲いていたフデリンドウは、日が陰ってしぼんでいた。14時25分、峠で一休みをしていると、前をコロコロした子犬が通る。こんな所になんで子犬がと思ってよ~く見ると、タヌキだ! トコトコと呑気に目の前を歩いて行った。


 峠を下りていると、高速道路が見えて来た。14時50分、道路を右折し教えて貰った通りに高速をくぐり歩く。何年も車は通ってない道だ。谷側は高所恐怖症の私は歩けない。



 15時7分、車に戻る。勘違いで持ってきた地図とは違う道を辿ったお蔭で苦労したが、なかなかの道歩きだった。



 8日【松瀬川~梅ヶ峠~相之谷】


 5日に百十(モモト)の桜を撮影に行った際、ご家族で来られていた方の友人が書いたと言われる「奥松瀬川ガイドマップ」を頂いた。その案内マップを見ていて、2019年にwaiwai隊のみちあるき《中山越え「川上~土谷」その2》で歩いた時に地域交流拠点<ほっこり奥松>の前を歩いた事がある。おっちゃんがネット検索していると、梅ヶ峠~相之谷の間に常夜燈があるのを見つけたそうで、行ってみる事になる。

 10時55分、ツリーハウスの手前の広い所に車を停める。すぐ先に添谷集落では廃屋が目立ってきたが、倉はしっかりと立っている。ヤギが餌をくれると思ったのかメェ~と鳴いている。歩きだして5分で目的の常夜燈を見つけた。石金だ!とおっちゃんが喜んでいる。



 11時37分、梅ヶ峠に到着。何の目印もなく、続いて相之谷へと向かう。途中で、山並みの奥に[堂が森~二の森]方面が望める。やがて、下の方から犬の鳴き声がする。カーブを曲がる所で下を見ると廃屋が見える。廃屋の横を下ると近道だが、帰りに通る事にし、広い道路をゆったりと歩く。さっきの犬の鳴き声の主が繋がれている。真横を通る時はおとなしくしているが、通り過ぎると吠えだす。



 さっきの廃屋の横からの道との交差する箇所で<文化十四年 二月吉祥日 奉供 ○○ 四國八十八箇所>と彫られた石が立っている。そこから今来た道なりの右手にどう見ても常夜燈の竿石だと思える石が立っている。<寛政十二年 ○○ 金石 奉燈>と彫られている。玉石・笠石・火袋・火袋台石はない。そこから道なりに下りて行くと、白い桜?が咲いていた。そこから今までの広い道路からうってかわって細い道になる。ブラブラ歩いていると、バイクの音がして追い抜いて行った。何処へ抜けるのだろう・・・と、おっちゃんの探索好きの虫がわいてきたようだ。


 路肩にシャガが咲いている。細い道を抜けると正面に大きなお家が現れた。もう住んでいないようだ。地図によると、左手の道を行くと数軒の家があるようなので行ってみる。ふと、表札を見ると、『雪平』と読める。「珍しい名前ね、平家の落人じゃないかな~」と話ながら歩く。【後日談あり】


 12時11分、突き当りの家から5分くらいで大きな小屋が建っていた。猟師小屋だろうか、中は綺麗に整理されている。真新しい欄干の橋を渡って道なりに歩く。日の当たる所で福助寿しとベトナムフォーで昼食だ。奥への道は歩きやすい。用水路の跡もある。


 奥の家(まだ奥にもあるようだが、藪になっていて行くのを止めた)は立派なものだ。まだまだ住めるのに惜しいな~。ヤマルリソウが咲いている。結局、おっちゃんが持っている地図の道は分からなかったようで、ここで引き返すこととした。
 往きに見た白い桜?が咲いているお家に人がいる。おっちゃんが、ガードレールから「少し教えていただけますか?」と声をかけると「いいですよ」と返事をくれたので、下りて行く。いろいろ話しているうちに、「虚空蔵庵には行ったか」と聞かれる。以前は立派なものだったが、両脇の大杉が倒れて壊れたので、小さな庵を建てている。常夜燈もあるし、六地蔵や、手水鉢もある。行ってみなさいと言われた。それじゃ~行ってみますと、引き返そうとしたが、ここまで歩いてきたので疲れたな~、今度車でここまで来て行ってみますと、帰る事にした。13時18分の事だ。


 サルトリイバラ、カキドオシなどを写しながら歩き、13時57分に松瀬川の常夜燈の所に戻ってきた。道端の一眼地蔵(平成9年、庄太畑の尾根より移す)にも寄ってみた。

【後日談】

 「雪平という珍しいお家もあったのですね」と話すと、「雪平と言うのは、日本で3軒しかない」との事。帰って、おっちゃんが古い本(47年前発行の愛媛新聞社編集局・愛媛の峠)を出してきた。梅ヶ峠の項に、

 雪平キミエさん(57)はいった。『私、嫁入り前に松山で働いていたんです。兄と妹の二人の子供が小さい頃はよく言ってたもんです。母ちゃん、なんぜずうっと松山に居らんかったん』そんな辺ぴな山里ではあったが、時代の波はいつでもひたひたと押し寄せてきた。戦時中には十二戸のうち八人までも招集された。戦争は終わったが雪平さんのご主人だけが帰還しなかった。『父ちゃんは必ず帰ってくる。きっと・・・』ー娘のミヨ子さん(28)は母親のお腹の中にいて父の顔を知らない。夫の帰りを信じ祈り、キミエさんは、必死になって復員者をたずねて回った。公報がはいったのは、戦後三年もたってからで『ビルマで生死不明』とだけ記されてあった。『この間、横井さんのグアムの新婚旅行をテレビで見たんです。アロハシャツなんか着て、楽しそうに・・・』あとの言葉がつかえた。それはあまりにも違う別世界の出来事だった。この小さな集落に一軒だけ、雪平さん方の玄関には『遺族の家』の表札が、古びたまま掛っている。



 4・5日【春の花巡り】 Ⅱ


4日 五柱神社 百十(モモト)桜


 お知らせチャンネルで3日に満開と放送していたので、義母のお見舞いの後で、どんな桜なのかと雨が降っている中をロケハンに行ってきた。携帯しか持ってなかったので携帯で撮る。急に思い付いたのでおっちゃんのカメラはなし、私のタブレット画像で。日曜日なのに誰も来なかった。


5日 塩ヶ森


 3日に来た時にシャクナゲが咲きそうだったので行ってみた。もう終わっているのから、丁度いい感じのまでいろいろ咲いていた。昼食後にもう一ヶ所、百十(モモト)の桜に向かう。

5日 百十(モモト)桜(2回目)


 ロケハン翌日の5日、内科クリニックの診察が終わり、塩ヶ森のシャクナゲを撮りに行った帰りに寄った。今日はおっちゃんの撮影。天気が回復し青空の元、一段下からタブレットで撮っている。平日なのに天気が良いと来るんだね。次々に見物に来ていた。地元の奥松百十の会の方々がお世話をされているようです。美しい枝垂桜だった。



 3日【番駄ヶ森・塩ヶ森】



 昨日は、おっちゃんの通院だった。少しずつ良くなっているので山歩きを再開しよう。そう言えば桜を見に行かないと散ってしまうな~。道路から見える塩ヶ森の山肌はくすんでいるので散っているのか・・・。まあ出掛けてみる。

 10時30分、駐車場に到着。そうだ、去年の4月7日に久尾のエドヒガン桜を見に行った時に、帰りに見つけた山桜はどうだろうかと行ってみる事にする。駐車場から林道でなく遊歩道を歩いていると、小道が目についたので行ってみるとワラビが生えていたので、しばしワラビ採り。(^^♪  11時、林道に下りて久尾方面に歩く。シキビ畑の道を進むと山の斜面の桜が見えてきた。


 シキビ畑の道端にムラサキサギゴケが咲いているが、黄色い花の名前は不明(よく似た花があるので)。シャクナゲも咲いている。今日は曇り空だし、ここから見える筈の石鎚山も雲の中だ。


 作業道から電力の鉄塔が見える。ずんずん歩いていると、尾根道がある。いままでに何度か番駄ヶ森に行こうとして藪に阻まれて止めていたのだが、「ここを上ると頂上へ行けるかも」と、急斜面を上る。11時42分、10分程で頂上に着いた。キティ山の会の
<番駄ヶ森>605mの標識がある。


 頂上から向こうにテープのマーキングがあるので、鉄塔とか、ケタ山、大磨山方面へ行けるのだろう。11時50分、下り始めて7分、もう少しで そのまま尾根を下りてしまうところだった。上りで見つけておいたミツマタを見つける。よ~く見ると、色あせたテープも見つけた。来た道と違う道を下りてみる。シキビ畑の作業道なのだが、道端にはタチツボスミレ、シハイスミレ等が咲いている。


 向こうに白い桜(大島桜?)が見えたので行ってみる。山肌には色とりどりの桜が咲いて綺麗だ。奈良吉野には負けるけどね(笑)。道端にはキランソウも咲いていた。


 林道に下りると、おっちゃんが久尾のエドヒガン桜も見に行こうと言う。13時に着いたが、もう葉桜になっていた。林道を引き返す間に車が二台下りてきた。


 塩ヶ森への林道の途中に電力の巡視路の標識があるので、ここを行くとあの鉄塔に行けるのだな。13時25分、駐車場に戻る。駐車場のコンクリートに落書きがある。何故、描きたがるのかな~。


 おっちゃんは塩ヶ森はパスだと言っていたのに、やっぱり行こう! と言う。三々五々、単独女性やペアが何組か来ていた。13時40分、塩ヶ森頂上。桜は散り始めているが、まだまだ綺麗だ。13時55分、車に戻り帰宅する。


 1日【皿ヶ嶺】



 黄砂が来て、2・3日山は霞んでいた。3月29日に古岩屋に行った帰りに上林林道から下を見ると、市街地は見えず真っ白だった。今日、やっと収まって来るとの事だし、明日はおっちゃんの通院があるので今日しかないと出掛ける。11時、風穴の駐車場に車を停める。おトイレの裏の花壇を見に行く。シコクカッコウソウが一輪咲いていた。ここのシコクカッコウソウは、有志が白糸の滝方面に自生していたのを移植したとのことだったが、皿ヶ嶺連邦県立自然公園という事で、シコクカッコウソウ等は採取したらいけないとの事で、営林署・警察に事情聴取され、元生えていた場所へ市役所職員と共に行って戻したとの事だ。この場所には、去年の株から種が飛んで生えてきた株が残っているので又増えるだろう。

 トイレを済ませて登山口へ行こうとすると、池の横の広場で男性が一人、真新しい鍬を降り下ろしている。何をしているんだろう

11時10分、アワコバイモを写して登山口を出発。みずみずしいバイケイソウが逆光に生えている。


 つい一週間前に通った時にはこのニシノヤマタイニンガサはまだ生えてなかったのに、閉じた傘を通り越して、傘が開いている。気持ちのいい登山道を歩いていると、少し汗ばむくらい暖かい。この間、愛媛新聞の<単眼複眼>に、この切り株に石が置かれていてほっこりした?とかの写真が載っていたが、今日は髭も耳もついてウサギのように見える。もう少し先に行くと、今度はオオカミに見えるな~。このように置くだけなら、自然のままが良いと思っていて嫌な人は除ければ良いだけなのだが、途中の大石(テーブルのような)に石で落書きをしていたり、立ち木に名前や相々傘を掘ったりするのは、どうしたものか・・・。外国の遺産(マウイ像等)に落書きをした日本の若者がいたな~。これは良くて、これは悪いと言うのは人によって違うしね。


 12時3分、ベンチに着く。昼食の準備をしている単独男性がいる。12時13分、竜神平に到着。子供二人連れの家族が休んでいた。waiwai隊も昼食を食べる。12時43分、この前町内会のOさんに聞いた数年前から倒れていた木の根が下方に落ちている場所を見に行く事になる。(2018年8月27日の状態


 今日はこの場所までと言っていたのに、おっちゃんは頂上に行く気持ちになる。登山道脇に立っていたキノコがついていた枯木も谷側に倒れている。


 木のまたにクロフネサイシンが出ているのを確認して頂上に向かう。石鎚山が薄く見えている。


 13時15分、頂上到着。途中で追い越して行った4人(家族連れか?)が休んでいる。若い女の子は、走るように上っていたので、急にしんどくなったようだ。

 waiwai隊は、十字峠経由で竜神平に下りて、風穴コースを下りる事にする。半直登コース経由で下りるには、アップダウンがあるからね。13時40分、十字峠を通過。


 13時50分、竜神平に下り、風穴コースへ。ベンチを過ぎ、途中でおっちゃんがリスが下りてくるのを見つけた。逆光に尻尾が光って可愛かったな~。おっちゃんは、撮れたと言っていたのに、帰ってみると写ってなかった。

 14時50分、風穴の井戸の所で男性が一生懸命にサイゴクサバノオを撮っている。名前を教えてあげると、他に何かありませんか?と言うので、登山口あたりに咲いているアワコバイモを教えてあげた。

 そして、池を偵察。やっぱりカエルはいないが、一匹だけ底の石の所に潜った。メダカ、アメンボ、アカハライモリを見る事ができた。男性が鍬を降り下ろしていた所を見てみたが、土がボコボコになっているだけだ。そして、植木の外側に真砂土が一車分くらい積まれていた。何か工事が始まるのだろうか。