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 20日【七鳥〜高山】


 早くも旧土佐街道踏破モードに入ったおっちゃん! 偵察に行こうと誘ってきた。明日は病院の診察日と思ったが、偵察だけならと出掛ける。15日に見つけておいた七鳥の面河川にに下りる所に、【近世土佐街道(三坂越え)】の看板が立っている。

 10時55分、コンクリートの道を下りると沈下橋がかかっていた。橋から見える面河川は澄んでブルーだ。


 向こう岸のコンクリートの道を左に歩く。このところ冷え込んでいるのでツララが出来ている。山道に入る所に久万高原町教育委員会が立てた<土佐街道>の標識がある。植林帯の中の薄い踏み跡を上る。


 分岐で迷う所もあるが、赤テープの印を頼りに上って行く。暫く山歩きをしてないので、おっちゃんの息があがり休み休みになる。供養塔や古いお墓がある。そして、11時50分に道路(美川川内線・県道210号線)に突き当たる。今日はここまでで引き返すこととした。


 そこらへんをブラブラして廃屋や、住んでいるのかどうか不明の民家を見る。ここから先は、柵の道を上るのを確認して、12時3分に来た所を下り始める。


 途中で、茶トウラ渕・老僧渕だろうか、水流の音が聞こえる。12時25分、水害の被害者の供養塔を過ぎ、七鳥熊野神社の横の道を上り車に戻った。9月14日から3ヶ月間、山歩きをしていないのだが、おっちゃんの心肺機能が落ちているのを実感した。


 15日【東明神・七鳥】

 12月になって初めての歩きは15日になった。

 おっちゃんの肝臓の治療が10月末までは順調だったのに、11月5日に八釜、11月8日に天狗の庭に行った辺りから検査の数値が上り出したのでしばらく少々の歩きも自粛していた。ブレドニンを飲み始めて11月26日の検査結果が良くなってきたので、少しは外に出ないとと、ドライブに出掛けた。


11月27日 山ノ内・神子野
 
 おっちゃんの診察が終わって、学校跡?のイチョウがどうなっているかと行ってみる。既に散ってしまっていたが、向こう側のモミジが綺麗だった。途中の道端に咲いていた皇帝ダリアだが、初めて見た時の驚きはない。

12月3日 河之内・金毘羅寺


 おっちゃんの診察が終わると、その足で何処かで食事をしてドライブというのが定番になった。モミジ狩りにあまり行けなかったので、金毘羅寺はどうかなと行ってみる。イチョウは散ってしまい、モミジは少しは残っていた。

12月8日 久万高原町大川・砥部・伊予

 大川の常夜燈は、二つ並んで風情がある。一度目に行った時は、おっちゃんがあまり写せなかったみたいでもう一度行ってみた。それから、七鳥辺りに常夜燈が見当たらないので探索に行く。

 その帰りに砥部町にある常夜燈を見に行く。金・石(金毘羅山と石鎚山の意味)常夜燈で大きさが半端なかった。それで帰るのかと思ったらついでに伊予方面の大洲街道の常夜燈を見に行くとの事。私は砥部から帰るとばっかり思っていたのでイマイチ面白くなかった。県道沿いに切り石の常夜燈があちこちに立っている。興味深かったのは、大日如来が奉られているモルタルの家の中にたくさんのお地蔵様が並んでいた事だ。由来を聞いてみたいものだ。



12月15日 東明神

 8日に久万高原町の七鳥辺りに探しに行き見つける事ができなかった常夜燈が、ふと、ネットで久万高原遊山会【旧土佐街道の紹介】を見ていて、街道沿いの東明神と七鳥にある事を見つけたので行く事になる。

 東明神の河内神社の駐車場に車を停めて参拝。そこから地図を見て歩く。道なりに歩いているとお庭に常夜燈が見えた。そのお庭のお家の方がおられたので聞くと「爺さんが作った」との事。その方に、「旧土佐街道に常夜燈があるとの事ですがありますか?」と聞くと、「前の道を行くとあるよ」と指します。そして歩いて行くと少しで常夜燈が見えた。【松山札辻6里】の里程石と、向かい側に常夜燈が立っている。竿石と火袋石はコンクリートだ。倒れて粉々になったか、それとも行方不明になったのか・・・。


 先程のお家の倉庫に干し芋と干し柿が干してあった。美味しそうだな〜。その前に続く小道が旧土佐街道なんだろう。車に戻り国道に出る途中、冬にも咲く桜だろうかが、綺麗に咲いていた。

七鳥

 国道に出て、美川道の駅でお昼を食べ七鳥へ行く。8日に探索した時に、お寺までは行ったのだが、その横の道を行くと【松山札辻10里】の里程石があり、向かい側に常夜燈が立っていた。この先を少し歩いてみたが整備された道(旧土佐街道)だ。これで、わいわいさんの探索好きに火がつき、来春は旧土佐街道の踏破を目指すそうだ。


 それにしても、さすが久万高原町、寒さが半端なく身にこたえた。