2014年     


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 26日【岩伽羅山】

23日(木) 東温市総合公園
はりま塚 の祠 自転車置き場
 おっちゃんの放射線治療終了から1週間が過ぎ、そろそろ口の中の痛みも薄らいで来る頃なのだが、本人でないと分からないのでなんともね。家の中ばかりで過ごしていると気が滅入るばかりなので少し歩こうと出掛ける。今日は、閉鎖になったアクロス重信までと決める。ハリマ塚のバス停から旧11号線を横切り東温市のツインドーム重信を目指す。

 午後3時前だからなのか、体育館、テニスコート、サッカーコート等、施設は充実しているのに閑散としている。広い自転車置き場に一台も駐車していない。

  山茶花
 ハロウィンの森への道で登山装備の女性3人組が帰ってくるのにすれ違ったので「何処へ登られたのですか?」と聞くと、「岩伽羅山と、高森山です。林道歩きが長かったです。」との事。それからハロウィンの森の長い階段を上がり一番上部に行く。トリムコースで私でも出来そうなのにトライしながら下りる。ローラーコースターを若い女性が恥ずかしそうに滑り下りていた。2、3組の家族連れが来てはいたけれど空いているな〜。久し振りに2時間くらい歩けて気持ちが良かった。


26日(日

 そう言えば、1人でハロウィンの森の上部まで行った事を思い出して“waiwai山行の記録 2002年5月19日”を見てみると、アクロス重信の所に岩伽羅山の登山口があったのかその事も書いてあった。ネットで調べると、林道の途中に車が置ける広い場所もあるようなので、おっちゃんに行こうと言うと、昼食後なら行ってもいいとの返事で行く事になった。

閉鎖されたアクロス重信 出発 12:50 標識 12:56 標識に沿って歩く
 閉鎖になったアクロス重信に車を停めて、12時50分に出発。私は車で林道を行けるところまで行ってと思っていたのだが、おっちゃんはここから歩くと言うので従う。標高696m、ここから4、8kmの行程だ。林道には所々に岩伽羅山への標識が立てられていて分岐でも迷う事はない。

左右に ミカン畑 梅林 がある 東温市を見下ろせる 13:16 13:18 第一ベンチ
 15分くらいでミカン畑や梅林が現れる。そこから10分くらいで見晴らしのいい広場があり、東温市を見渡す事が出来る。13時18分に第一ベンチに着く。綺麗に掃除され、木の枝にボンボリやお正月の飾りがあったりする。鳥の巣箱も設置されていた。

 13:36 第二ベンチ 
 少し休んで出発。林道は、コンクリートと土のままと交互に変わる。13時36分に第二ベンチに到着。軽乗用車が捨てられている。ここからは2、4kmとなっているので丁度半分来たのだな。

  14:20 林道終点
 林道から山が見えてきた。林道の傾斜もきつくなり、車の轍に泥水が溜まっている所もある。14時20分に林道終点に到着。ここから5分とのことなので休まず出発。

尾根道 14:27 到着 
 植林帯のトラバースを抜け、尾根道を歩き、刈り込まれた笹藪を抜け、開けた所が岩伽羅城跡だ。岩伽羅城跡由緒の看板があり、昔に思いをはせるのも面白い。少し下にも広い台地があるので城の跡だろうかと少し下りてみる。持ってきたコーヒーゼリーを食べ、15分くらいいただろうか帰る事にする。

第三ベンチ 15:13 コンクリートの道路だけ残り 路肩崩落している 第二ベンチへ帰ってきた 15:23
 林道終点を14時50分に通過、15時13分に第三ベンチをスルーして、路肩が崩れコンクリートだけになっている場所を過ぎ、15時23分に第二ベンチで休む。林道からはいろいろなゴミを捨ててあるのを見るが、自動車まで捨てにくるとは・・・。

15:52 梅畑 いしずえの碑 16:13 下山
 15時36分に第一ベンチを過ぎ、梅林まで下りると男性二人が談笑している。「梅林の梅はいつ頃咲くのですか」と尋ねると、岩伽羅城跡の事を説明してくれたり、ミカンをくれたりした。片方のオジサンが、第一ベンチに置いてあるノート(10年来、欠かさず訪問している“いわがら自然の会”のメンバー)の主という事らしい。アクロス重信の東側に≪愛媛 いしずえの碑≫が建立されていた。1996年6月と記された石碑には『1935年東京青山墓地に「無名戦士墓」が建立され、戦後毎年三月に開放運動の中で無くなった人びとが合葬されている。そこにおさめられる愛媛ゆかりの人びとを顕彰し、運動の継続発展を誓い、碑を建立する。』と、刻まれていた。16時10分に登山口に着いた。おっちゃんはあまり疲れも見せず帰れたので良かった。

 さて、次回はどんな山行記が載せれるのか?


 16日【木野山神社】
 去年の12月9日(月)から始まったおっちゃんの放射線治療も、14日(火)で23回を数え終了した。まだまだ口内の症状は一週間後でピークを迎え、それからだんだん良くなるとの事だ。どこかへ出掛けようと思っても、何かを食べようにも痛い(家だと、30分前にボルタレンを1分以上含み吐き出す、15分前にロキソニン錠を飲む、直前にグリセリン「ヨシダ」でぶくぶくする、こうしてやっと食べる事が出来る)ので、あまり遠くには行けない。

 天満神社 
 今朝配達された愛媛新聞に、毎月一回はさまれているアクリートという雑誌が目についたので見ていると、“えひめ巡り逢い”という記事の≪オオカミ様≫という見出しが目に止まった。オオカミを祀っている神社があるのかと、載っていた地図で場所を確認する。ドライブするには丁度良い距離だと出掛ける事にした。

 おっちゃんは、昨年開通した平井から喰場へ抜ける道が好きだ。霊園を過ぎると、R317号線に出合うが信号は直進して県道40号線を走る。“薄墨桜”で有名な西方寺を横目に伊台小学校の所の信号を過ぎたところで道路脇に停車した。どうも、ナビに頼るようだ。入力を終わると、先ほどの信号まで戻って、県道20号線を走るようだ。五明郵便局を過ぎると、道は北条へと向くが少しで堀江方面への県道204号線へと走る。ちらちらと瀬戸内海を望みながら、道を下ると木野山神社の標識があった。

 木野山神社に着いて境内に入ると、油げ(一枚100円)とろうそく(一本10円)を売っていたので買って参道を奥に進む。つきあたりが木野山神社だと思いお参りしたが、入口で買った油げとろうそくを立てる場所がなくウロウロしていると、神主さんが来られて、こちらへどうぞと右手の社殿に招き入れてくれた。靴を脱いで社殿に上がると暖房の良くきいた部屋にろうそくをたてる場所もある。お参りをしていると、太鼓がなり祝詞をあげてくれ、お祓いもしてくれた。たった110円の油げとろうそくをお供えしただけで、こんなにしてもらって恐縮だ・・・(笑)

 この神社は、“オオカミ様の木野山神社”と呼ばれていて、社殿にはオオカミの剥製があったので、神主さんにニホンオオカミなのか聞いてみた。今はニホンオオカミの剥製は、国内には3体(国立科学博物館・東京大学農学部・和歌山大学)しかないそうで、ここにあるのはロシアのオオカミの剥製だそうだ。それから、ニホンオオカミの絶滅の話から最近の猪・鹿の被害が多くなった話まで少ししておいとました。

木野山神社の社殿 伊予灘が見える 
 神社を出て道路を横切って階段をすこし上がり小高い丘に登ると、神社の全体と、伊予灘を見る事が出来た。その後、喫茶店にでも寄ってなんて事は、おっちゃんが何でも食べたり飲んだり出来るようになるまでお預けなのでまっすぐ帰宅した。


 5日【双海・水仙】
 昨年の9月におっちゃんの病気が発覚、10月4日から入院となってしまい、それ以後は山行は出来なくなっている。今は自宅から通院治療をしているのでお正月も家で迎えた。こうなると近くの寺社仏閣へ散歩に行くくらいしか出来ないが、少しでも歩かないと足がなまるから『街ブラ』ならぬ『里ブラ』をしよう!

2日 道音寺・隻手薬師
 道音寺 隻手薬師
 元旦は、おっちゃんが抗がん剤治療を4クール終えた後だからと、おせちを奮発して予約しておいたのだが、3クール後は放射線治療となり、なんとお正月もまたがっている。30日、31日も放射線をあてたのだ。最初のうちは自覚症状もなかったのだが、2週間目頃から口内が酷くなり普通の食事は出来なくなってきた。元旦は、おかゆか、おじやくらいしか食べられないのだ。それで、おっちゃんの実家の家族全員に家に来て貰い食べてもらう事になった。なんという年明けなのだ!

 それでも、気を取り直して二日には檀家の道音寺へ初詣に出掛けた。それから隻手薬師へはしごして、郵便局へ年賀状を出しに行く。正月だというのに郵便窓口が開いていた。以前は閉まっていたような気がするが、最近は開いているんだな〜。

 3日は家でごろごろして過ごす。


4日 病院・日吉神社
電気が消えている病院 日吉神社 奥の院
 今年に入って初めての放射線治療だ。病院の廊下も暗い。帰りは、家の北側の松山市にある日吉神社に行ってみる事にした。他の神社のように初詣のお札やお守り等は売ってない無人の神社だが良く手入れされている。裏に本殿が建っている。彫刻が美しい立派な建築だ。“愛媛県下の古建築は、本州から職人を招いて建築した、いわゆる本州依存型のものが多い。明治15年の建築ながら、県人工匠のみの手で古典制式をよく踏まえ、彫刻も長州大工と優劣を競うまでの作品が仕上がった事は郷土建築史上、記念すべき建物である”と立て札が立っている。ほんと素晴らしい! 横にあるため池にも上がってみた。


5日 双海・水仙
 
おっちゃんの闘病記 6日 の再掲
 先日、hp繋がりの“おいわさん”のサイトに載っていた“双海の水仙”の確認に出掛けました。この場所へは何回か探しに来ていたのですが、まだ大阪に居た頃に来た折は全っく場所の特定が出来ませんでした。

 その折は、インターネットだけの情報でしたので、“上灘か下灘”も判っていなくて、取りあえず街中で誰かに聞かなきゃ〜と、通りがかりの女学生に「水仙の咲いている所、知らない?」と聞くも「そこら辺に咲いとる」と、にべもない返事に愕然としたものです。

 それから数年を経て、いろんな情報を得ていますので、無事に水仙群生地域の特定だけは出来たのです。しかし、該当地域に着いたものの駐車場所を探してウロチョロ。最終的には、漁港脇の空き地あたりに留める事で良かったのでした。ここら辺りでは駐車場は必要が無いようです。

 水仙の群生地へは地元のおじさんに聞いて無事にクリア〜。しかし、花はまだまだ咲き始めで、今月末から来月初めあたりが良いのかも?


消防署 横の細道を奥へ 登り口 長浜線の線路を横断
 伊予市消防団第十分団第第一部の向こう側の細い路地を進むと、水仙畑への登り口がある。少し登ると長浜線の線路を横切る。そういえば、この間CATVでこの長浜線の始発(伊予市)〜長浜までを、ただ運転席から写しているだけの映像が放送されていた。これが見えるのはひたすら線路と踏切だけなのだが、結構面白かったのよね。その時にここも映っていたのよね。

  
 よく手入れされた小道をしばらく登ると、水仙畑になってきて水仙もぼつぼつ咲いてきた。最上部は良く咲いていたが、他はまだまだこれからというところだ。

   
 山側に日が隠れ始めた。海側にはまだ日があたっている。一束100円の水仙を買って下りていると、2、3人上がってきた。

夕陽  
 帰路、太陽が沈みかけたので、海岸に下りて撮ってみた。少しドライブするだけでも気が晴れるものだ。