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3月
3月30日 渓流釣り
28日【皿ヶ嶺】
七折梅林(3月23日)
写友から昨日は京都御苑に梅の撮影に行ったと電話があった。最近あまり撮影に行きたくなくなっていたのだが、1時間30分以上かけて電車で撮影に出掛ける写友の事を思うと、おっちゃんが行こうと言ってくれるのに・・・と思い、朝の用事を済ませたおっちゃんと雨の中を撮影に行った。梅祭りが終っているが、満開だ。Falconさんの情報通り無料だし、誰もいない梅林。良かった〜。(*^。^*)
渓流釣り・とろめき(3月24日)
おっちゃんの渓流釣り、いままで私は全然釣らなかったのだが、今年からは釣ってみるのだ。ところが、釣り場に着いたとたんに、寒さと雨で・・・、「車で寝てる」と早くも腰砕け。2時間たっておっちゃんが帰ってきておにぎりを食べたあとは、ようやく重い腰をあげた。これからの釣り場は30分くらいとわかっていたから。岩の所を流れが落ちてくる所の流れの水の厚みが不思議なのと、グリーンの色が綺麗だったので、おっちゃんのコンデジで写す。私は釣れず、おっちゃんが始めの所で4匹、後の所で2匹釣った。
皿ヶ嶺
10日に剣山に登ったっきり、大阪(美術館・写真展)、京都(山岳写真展当番)、奈良(写真クラブ)に行ったり、帰ってからもブラブラ(撮影、釣りには行ったけど)していた。そろそろ山にも行かないとと皿ヶ嶺に決めた。春は来ているのか、あの靴はどうなっているのかと水の元から神の庭経由で登る事にした。下から上ってきた単独男性と挨拶をする。
神の庭への途中で単独男性が下りてきた。そう熱心に探した訳でないので、ハシリドコロの芽を見つけたくらいだった。この木の横にはキツツキの穴(?)が一杯あった枯れ木があったのだが、もうすっかり朽ちてしまっている。なにかツルのような植物が巻いていたのだろうか、その痕が痛々しいがしっかり生きている。
トンネル横の道に上がる所に2月26日に通った時には(右の写真)転がってきた岩に押されて倒れていた木が起き上がっている。よ〜く見ると、誰かが岩の下から起こしてくれている。自然に優しい人がいるんだな〜。
石の階段を上り、峠道の名残りの石垣の道を歩くと、何ヶ所か沢を横切る。所々に少し先日の雪が残っている。たしかこの辺りに靴があった筈と思うがなかったので、持ち主が取りにきたのだろう。
11時に上林峠のベンチで小休止。長い階段を上り、ベンチの所で失くし物を探すが見つからず。
竜神平への道の途中で大木が上の方で折れているのが見えた。枯れてもいないのにこんなに折れるものか・・・。枝に雪が積もり、突風でも吹いたのだろうか。何年か前に伊吹山のブナも酷い事になったが自然とは凄いものだ。竜神平の木々は新芽の色だろうか淡い色になっている。
11時45分に愛大小屋に着く。暖かいので頂上で昼食にしようと頂上に向かう。頂上が近づくと何人かの声が聞こえてきた。水の元で挨拶をかわした単独の男性、3人連れの登山者、男女二人連れなどが食事中だった。お湯を沸かし、味噌汁と弁当を食べた。
十字峠を経由して愛大小屋に戻る。着いた時は日も射して気持ち良かったので外でコーヒーを沸かす事にしたが、風が強くいろいろなものが吹き飛ばされて苦労した。こんな事なら小屋に入ったらと、水の元・頂上でお会いした方が勧めてくれたのに素直にそうしていればよかった。
風穴経由で下りる事にする。いつものベンチの所の枯れ木を見ると、あらま〜 サルノコシカケが下の方二つ無くなっている。2月10日(右側の写真)に通った時には確かにあったのに、いつ取ったのだろう。癌に効くと聞いた事はあるけれど・・・。水の元には我車と水汲みの車が一台あるのみ。全行程4時間、丁度良い歩き具合だった。
10日【剣山】
9日(金)、“剣山、一の森に咲く花たち”写真展が徳島・池田のヨンデンプラザで開催されると案内を貰ったので、土曜日に剣山に登ろうと計画した。
写真展は、3月11日まで三日間だったが、伊方原発(愛媛県伊方町)をもつ四国電力が東日本大震災から一年にあわせて反原発の行動が起きる可能性があると、支店ごとに設けているPR施設「ヨンデンプラザ」をすべて休館にするとの事で、二日間の開催になってしまったのだ。会場はたくさんの方が来ていて盛況のようで良かった。珍しい花々の写真や、協賛展示の方々の写真、鹿の食害の実態の写真など力作揃いだった。
徳島の姉宅を7時過ぎに出発。昨日の雨は山では雪だったようで高速道から高越山の上部が雪で白くなっているのが見えた。貞光から一宇を越え、ヘアピンカーブにさしかかる頃から道路の雪が深くなってきた。タイヤの轍の所はアスファルトが出ていたのだが、そのうちに轍も真っ白になってきた。3台以上は通っているので不安はない。
見越でトンネル方向に一台、祖谷方面にもタイヤ痕が続いている。駐車場に香川ナンバーの車できた登山者が4人、出発の準備をしていた。4人が出発して10分後くらいにwaiwai隊も出発。
上部ではまだ雪があるだろうが、西島くらいまではあまりないのではと思っていたのだが、たっぷりの雪だった。先行者のトレースがあるが、まっさらの雪道も歩きたくてリフト下のトンネルでワカンを着け遊歩道の方から上る事にした。
車から夫婦池の所で立派な角の牡鹿を見たのだが、ここでは登山道を鹿が通っている。
祖谷川の源流で一休み。第2駐車場への分岐にも鹿の足跡は続いている。
途中の笹に葉は全然ない。真新しい食害の痕が痛々しい。まるで、鹿の食害調査のようだ。西島まで、1時間37分もかかってしまった。
刀掛けまで26分、ここで引き返しても良かったのだが、頂上まで行く事にした。
ところが、先行者のトレースがあるのだからワカンなど着けなくても良かったのに着けたまま来た為か、おっちゃんの足が調子悪くなってきた。ワカンでは歩きにくい場所もあったりして、13時近くなってきたので頂上まで400mの標識を少し過ぎた所で撤退した。
刀掛けまで引き返しておにぎりを食べていると、先行の4人が下りてきて「ワカンの跡が下りていましたが、もう少しだったのに」と話しかけられたので、「ワカンでなくつけて頂いたトレース通りに上れば楽に頂上に行けたのですが・・」と答える。ピークにこだわらないのがwaiwai隊なのだ。(^_^;) 西島駅で先行の4人が休んでいた。
私は簡易アイゼンに替え、おっちゃんは何も着けずに今度は尾根コースを下りた。14時10分に下山。駐車場には、香川ナンバーと鳥取ナンバーとwaiwai隊の愛媛ナンバーが並んでいた。徳島の人は来なかったのね。3月になって、雪は融けてしまって雪山は終わりと思っていたのに、展望は全然なかったが思わぬ雪と霧氷に会えて嬉しかった。カメラを持って来たら良かったな〜 残念!
3日【引地山〜皿ヶ嶺】
【waiwai記】
久し振りに“赤柴峠”へ行ってみようと、155号鉄塔の近くへ駐車する。ここは、瞽女石から皿ヶ峰への登山道を辿る時も利用するのだ。持参した地図は東温市役所でも入手出来る“東温アルプスガイド”である。このガイドマップの作成に当たっては、“おいわさん”も関わっているのであるが、私たちは10年前に辿っていたのだった。その頃は、ネットでの情報も豊富では無く、手探りでの山行(2002年1月20日)だった。
ガイドブックの記述は、156号鉄塔からだった。私たちは、155号鉄塔の上側に出てしまったのでガイドマップの記述の路を暫らく探したので、赤柴峠の案内標識は10時だった。このコースは10年前と違って、“東温市観光協会”の案内標識もあり、コースは良く整備されているものと思われる。兎に角、154号鉄塔を経由して153号鉄塔へと目指す。すぐ先の堰堤の上は増水気味で、水に浸からないよう谷を渡った。
以前は、鉄塔の案内標識を探しながら辿ったのだが、新たに観光協会が設置した案内標識が要所にあって心強い。『10年振りに辿る』というのは、これから私たちの山行には、しばしば登場するんだろう。2002年に大阪へ転居以降、石鎚や皿ヶ峰、そして一の森などの山域以外の山々へは殆ど訪れていなかったので仕方ない事なのだ。しかし、この間の登山者の増加は目覚ましい。このルートも御多分に漏れず、踏み跡は確かだった。暗い植林の中でもそうである。
当然、10年前も歩いた鉄の橋もある。この辺りは、植林も間伐や枝打ちがされ明るく感じる。今の時期は春の花々の咲く時期にも早くて、淡々と歩を進めるのみである。所々で残されている足跡は、今日のものと思われるが、一人分のものだろう。見晴らしの良い場所に建つ鉄塔は153号鉄塔で、155号鉄塔から45分程の所要時間で小休止に丁度良い。東方面には、先日来辿った、陣ヶ森のアンテナや善陣山の周回コースの尾根が望まれる。西方向には、ゴルフ場越えに道後平野から瀬戸内を望む事が出来る。
3月になったばかりなのに随分と温かい、上着を二枚脱ぎ出発だ。植林の中に続く道は、作業道が交差する中に続いている。ここら辺りは、登山道が林道に寸断されているのと同様に、作業道に寸断されている路が暫らく続く。そんな中、消えかけた“松中 東高 OB山の会”の標識に出会う。帰宅後、以前の写真を改めて出して見ると、この“失われた10年”の年月が偲ばれるし、改めて私たちの年齢の経過を思い知らされるのである。それにしても10年前に、後ろに写っている枝打ちの生々しい色あい(右の写真)には驚かされるのである。
153号鉄塔からは鉄塔巡視路の路から別れ、尾根を辿る事となるが、相変わらず植林の中なのでジグザグの路が続いている。そんな路も、前方が明るくなってくると右手には雑木の林となる。今週の初めに降った雪はすっかりこの間の暖かい日差しに融けたようで、その痕跡も見つけられない。この間、相棒は亀の如くの歩みである。相棒が視界から消えると暫らく待つ・・の繰り返しである。また、この間の彩りは、登山者が付けた赤テープぐらいであるが、林間に“ミヤマシキミ”の蕾を見付けた。
雑木林の中、少しで“赤柴峠”へ着いたのは11時38分(左が今回、右が10年前の写真、“松中 東高 OB山の会”の標識から今回も10年前も所要時間が38分と同じだったのには驚いた)だった。道後平野(桜三里以西)から久万へと抜ける峠は、東から黒森峠、割石峠、白猪峠、井内峠、上林峠、そして今回の赤柴峠は東温市にあり、東温アルプス上にある峠である。その全部が久万高原町へと通じる峠で、現在は林道や国道に改修されているが、赤柴峠は1/25,000図にはその名も記されていない。そして、松山市の三坂峠から西方は、山々が連なる顕著な連峰では無くなるのである。赤柴峠からは右へ少しで引地山の三角標識に出会う。林の中にある山名板のある場所で小休止だ。
引地山からは、前述の東温アルプスの縦走路を辿る。前方に顕著に聳えるのは、三角点標も無い無名の1140m峰である。地図上の1058m三角点辺りは、カラマツが植えられている。そこから少し降りた鞍部に別れがあった。尾根を辿るルートと迂回路だ。相棒は迂回路を行くというので、落ち合う場所を確認するのだが要領を得ない。
私が辿る直登の尾根の路には、ロープが設置されていた。右下方からはスピーカーから流れる音楽が聞こえて来た。その音楽の元・久万スキーランドを樹林の間に覗くことが出来る。尾根の頂稜から少しのトラバースの路との合流場所で、相棒が待っていた。
先ほどの打ち合わせででは話が合わなかったのは、相棒はこの場所を憶えていなかったからだった。合流地点から、直登コースと合わさって今冬の残雪が道端にある中、十字峠分岐の直ぐ上の分岐を竜神平へと左折する。昨年は3月末でも、アイゼンが必要な位の残雪だったのだが、今年は春の訪れが早いのだろうか?
愛大小屋には、13時過ぎに着いた。ここでコーヒーブレイクである。小屋には誰も居ないようだった。竜神平には地中動物が眠りから起きだした痕跡が、ここかしこにある。この間、下山者が次々と現れ立ち去って行く。我々もコーヒーを飲み終えば下山である。愛大小屋手前の十字峠への分岐に建つ看板を指さし、先ほど挨拶を交わしたペアが何やら話していた。ここで今日辿った道の事で確認していたようだったが、『この看板の現在位置の印は間違っていますよ』の私の話で納得したようだった。そんなやり取りを聞き、相棒が『東温アルプスガイドというのが有りますが、持っていますか?』と、二人に渡したのだった。そのペアは今治の方達で、以降、風穴まで下山を伴にしたのだった。
風穴にある池には、かえるの鳴き声が響いていた。昨年と同時期にも沢山のカエルがいたのだが、今年は、沢山のカエルの亡骸が沈んでいた。これは、どういう事だろう。今日は久し振りの下の登山口からの山行だったので、どんどん降りなければならなかった。少し遅れて、水の元へ降りた時、今治のペアも車で帰る準備をしていた。私達は、まだまだ降りるのだった。瞽女石の手前で、一人で竜神平へ携帯で話しながら来て、直ぐ引き返した女性に追いついた。またしても、女性は携帯で話していたようだった。そして、すぐ先の農道では男性が車で待っていた。駐車場所では、朝方より2〜3台は少なくなっていたが未だ三台の車が停まっている。下山は15時11分だった。登山口で靴を脱ぎ帰宅準備を終えた頃、件のペアの車が降りてきた。水の元から車で降りるのと、歩いて降りるのが時間が一緒なのは、途中の道路工事で時間待ちを食ったからなんだろう。