2012年      


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 10日【皿ヶ嶺】
 【waiwai記】
 朝からお出掛けは、明日・明後日の山行の為に、相棒の冬靴をコンパスで購入する事だった。帰宅後、アイゼンの調整をし足慣らしへと出掛ける事になった。いつもの場所まで走る途中の鉄塔のところで、Nさんが単車に乗ろうとしているところだった。そして、先日より少々早い時間(13時45分)に風穴を出発だ。この時間ともなれば、皆下山しているんだろう。一台の車があるのみだった。
風穴 13:45 登山口上の小屋

 先日の雨のせいで雪は随分減っている。しかし、昨晩からの新雪は数センチ積もっているようだ。このままだと、今年は昨年より積雪量は少ないまま推移しそうだ。そして、昨年のような積雪量にならないまま春を迎えることになるのだろう。
十字峠への直登分岐 綺麗に付いた霧氷

 今年、十字峠への直登ルートへロープが新設された場所にも沢山の足跡があった。今日は従来の横掛け道を辿る。相棒は、新しい靴にアイゼンを装着しての試し歩きを試みるようだ。少し高度が上がっただけで、木々には霧氷の花が・・。いつ来ても、皿ヶ嶺は良い。ベンチの枯れ木も薄っすらと、雪化粧。
飽くまでも倒れない木 14:30 愛大小屋 14:55 駐車場4:55

 撮影対象のブナも数カットで終り、いつもより相棒の撮影は手筈が良い。下山者のペアに会ったのみで、もう山中には登山者は居ないんだろう。愛大小屋での小休止で、直ぐに下山である。途中、相棒が三脚をセットしていると犬を伴った女性が上がって来た。もう3時過ぎなのに、何処まで行くのだろうか? 相棒を置いて先に下りる。

 っと、相棒とさっき上がって行った犬連れの女性の下山は16時前だった。帰路、鉄塔の所に車が一台停まっているだけだった。


 5日【伊吹山】
 【waiwai記】
 先日、hp仲間で相棒と同じ趣味の“のんびり山”さんから“「山荘しらさ」が2月から冬期営業をするようだ”との情報を入手。相棒は、『何時行くの』と事有るごとに私に振って来る。私的には、計画が立てれば何時でもOK・・なのだが、相棒は週刊天気予報を毎日チェックしているにも関わらず、中々決まらない。夏でも行った事のないルートなので、まずは下見が必要・・と、“のんびり山”さんの1月28〜29日の山行記録を拝見。その後、“エントツ山”さんの掲示板に登山口などが詳しく載っていたので、参考にするものの、冬季、何処まで乗り入れ可能かは不明のまま・・で、行って見てからのこととする。なにせ、小生の持参のガイドブックは1994年版“分県登山ガイド「高知県の山」”なのである。

 月日の経つのは早いもので、冬の伊吹山へは“よさこい峠”まで車で行けば良い・・なんて話は、大分前に無くなった事で・・。四国の小屋も次々に新調されているのだった。「しらさ」の避難小屋もご多分に漏れず改装されているらしいので、訪問しよう・・との計画だ。
9:12出発 秋切橋より 子持ち権現 秋切橋から
 兎に角、カーナビに白猪谷野営場を検索し出発だ。自宅から川内IC→小松IC→国道11号→(西条)国道194号→(長沢)県道石鎚公園線→(寺川)林道秋切線と乗り継ぐ。が、旧本川村へ入ったあたりからカーナビが迷走を始めた。セットした西条から、3時間も掛かるのは可笑しいなぁ〜と、思っていたのはこういう事だったのか〜。まぁ〜、無事に林道秋切線に入った。九十九折れの道を寺川の集落を過ぎると、除雪はしていなかった。車の轍は“吉野川源流碑”と“白猪谷野営場”の分岐で途絶え、雪の中に足跡しか無かった。ここで、どうするか思案投げ首である。しかし、良くしたものでスズキの4WD車のオジサンがやってきた。


ロッジ 9:29 下のワサビ田 9:44 やっと登山口がわかる
 その方の「ちょっと雪の状況が判らないし、スタックしたら大変なんでここへ車をデポしましょう」との案に乗り、準備が出来た私達が先行した。少し降り橋を渡るとロッジがあり、雪の中の足跡は当然林道を奥へと続いている。直ぐ先の“わさび田”で足跡は混乱していて、何処へ向いているのかハッキリとしないので、先程の人を待つ。直ぐに現れた単独者は大きなザックだった。登山道の入口は左手の植林の中へと続いていた。“ナンテコッタイ”で、標識も無い登山口を出発は9時半である。

10:8 沢を渡る 10:20 林道に出る 林道歩き5分 10:25
 登り始めて直ぐにアイゼンを着用する。先程の単独者も直ぐ先でスノーシューを履いていた。前述のガイドブックに依れば、秋切橋(袂にロッジあり)から下のワサビ田まで30分であるが、滑り易い深雪の所為か10分余り余分に掛かった。ひょっこり林道に出たが、やはり足跡があるだけで雪の中には車の轍は無かった。昨日(土曜日)も、積雪が多くて山登りの皆さんは歩いて上がったようだ。沢山の靴跡が雪の中に残されている。
 沢を渡る ロールカステラ? スノーローズ?
 植林の中、道脇の小沢に水場があった。その周辺だけ雪が融けているのである。上のワサビ田までも前述と同様の時間だったが、林道を上まで車で上がれる場合は、随分と時間短縮が可能だろう。上のワサビ田のある沢の上流部を抜けると、真新しい新雪の深雪が親切に待っていた。そして、斜面を転がり落ちている白いロールケーキが何個も転がっている。

  子持ち権現が見える
 危なっかしいトラバース部を過ぎると、トレースは上へと向かっている。ここらで腹ごしらえが必要だっ、で小休止。昨日訪れた人達の尻セードの跡は、昨日の皿ヶ嶺とは違って、地肌までは削っていなかった。高度を上げる毎に見え隠れする山は、子持ち権現から瓶ヶ森だろう。

やっと避難小屋 12:16 ストーブ しらざ山荘
 シラサ小屋は、避難小屋である。小屋には12時10分過ぎに到着。小屋は、ストーブに火が焚かれて暖かかった・・筈は無く。誰も居なかった。取り敢えず、質素なコンビニで調達の昼食である。小屋内は、昨日雪遊びに来た人達の足跡が残されていたので、それらの後始末をした後、アイゼンをワカンに履き替え相棒は撮影に・・。私は、芝刈りに・・じゃ無く、久し振りの雪の伊吹山へと出発だ。山荘シラサは2月3日からの冬季営業となっていたが、開いている感じはしなかった。

  
 林道を歩き、伊吹山への山道へは私一人入って行った。先行のスノーシューの跡と、消えかかった昨日以前のトレースとは、はっきり判別出来る。相棒は『林道辺りで撮ってるから』との事である。この伊吹山北の稜線付近のブナは、何年か前の春の大雪の際ボキボキと折れて、見るも無残な姿である。トレースを辿りながら、デジカメでの撮影をしながらトレースを辿る。トレースは林道へと降りていた。そこで、先行のスノーシューの人と出会う。暫くの立ち話で彼は、「ひょっとして、奥さんは一の森の・・」と言うではありませんか。「石鎚にも通っていたのだが、天狗岳だけの写真は飽きたので、今は木を撮っている」との事だった。その彼は高知の人だった。

13:58 伊吹山頂上 瓶が森方面 
 何処で、どういう知り合いに会うかは分からない。小屋からは、一時間程だった。まっさらの白の頂上でカシャっと記念撮影。この頃になると、時々強風が襲って来た。石鎚方面は濃い雲が覆っていて、その裾も垣間見る事は叶わない。一方、瓶ヶ森は雲の間から姿を現そうとしているが、私は、待ってまで写真に収める気持ちは無い。急いで下山である。帰路は林道を辿る。相棒の待つ避難小屋でコーヒを沸かし、下山の途に就く。14時55分だった。降りるに従い、雪から霙に、霙から雨へと変わる。淡々とした下山で、林道終点は15時45分に通過した。朝方のバンガローへは30分程で、愛車に帰り着いた時に件の単独者も帰って来た。



 もう、自宅へ帰るだけなので長沢ダムの凍った水面などを見ながら途に就く。尚、日曜だったので、工事の規制は無かった。



 先日、『いのち五分五分(山野井孝有著)』を読み、改めて感動を貰った。その文中、沢木耕太郎さんが「凍」を書く事となるきっかけが書かれていた。恭史と妙子が「ギャチュンカンに残して来たゴミを持ち帰るため」に、事故から二年後にギャチュンカンへ向かった時に同行した際に決断した下りがある。また、奥多摩の家の前には分別された大きなゴミ袋が置かれているが、休日の翌日にジョギングしながら二人でゴミ拾いをしている・・というエピソードが書かれている。

 また、熊に襲われて入院した際に頂いた“御見舞”の使い道に「職を失い、住むところを追われた派遣労働者と、障害を持った人を支援したい」と、カンパしたそうである。ここで、私が言いたいのは、立派な事だ・・。とか、私には真似出来ないな・・。とか、そう言う事では無く。彼らくらいネームバリューのある人が、そういう行動をとればなんらかの形で広まると思うが、淡々とそんな事が出来る。実行する。

 殆ど決まった収入など無く、スポンサー無しの登山をしながら、派遣労働者以下の生活状況下にも関わらず、見舞金をカンパに回す・・という考えに至るのは、凡人の私には理解不能だ。コマーシャリズムに流される「自称登山家」など、クソクラエである。本当に清々しい一冊だった。





 4日【皿ヶ嶺】
 【waiwai記】
 いつもの皿ヶ嶺だが今日のお出掛けは、昼からとなった。先週からの小生の体調不良がピークを迎えたようで、午前中は病院へ再診である。近くの皮膚科の女医さんの診断では『脂漏性皮膚炎』との診断だ。私の言葉で言えば“全身かゆいかゆい病”だ。伝染はしないらしいが、指先から頭のてっぺんまで痒くて堪らない。寝ている間に、ボリボリと掻いていまっている。出血するまでは引っ掻かいていないので、未だ良い方なのかも?

 そんな事もあって昼過ぎのお出掛けとなったのだ。上林の集落の外れにある鉄塔広場には10台程が駐車していた。横目にやり過ごして、雪道の林道を走り風穴駐車場に到着したのは14時過ぎだった。

家族連れがソリ遊びしています 14:18 出発 直登コースを登る事に
 出発準備をしながら下山してきた方とちょっと立ち話、「ひょっとしてwaiwaiさん!写真展をしていた・・」と、話が弾む。お話から主に皿ヶ嶺の花の案内をしている“
花の山を歩こう”のサイトの管理人=Kさん夫婦だった。「おいわさんにも会いました」との事だった。10分程の立ち話だった。

けやきの大木の横を登る  14:31 標識
 今日は久々の十字峠への直登ルートを辿る。雪のある時期のこのルートは余り通っていないが、雪の上にトレースが続いているので何の不安も無い。20分程で、横掛け道に入った。所々、夏道とは違った場所へとトレースが出来ている。ブナの大木に付いているのは、雪で霧氷では無かった。

夏道からそれて 高巻き過ぎ 14:48 一般道との分岐 のっこし 15:0
 トラバース道のヘアピンの真上辺りは滑り落ちそうな箇所もある。雲間から時々射しこむ陽は、大分、傾いてきている。山は、もう夕暮れの雰囲気である。

15:30 分岐  
 十字峠分岐の手前のショートカットを辿り、愛大小屋へと降りるのだが、直ぐに撮影タイムである。相棒は数カットを撮り終えると再出発だった。気のせいか、今日は何時もより動作が早く感じる。その理由は簡単である。三脚の雲台に付けるカメラのクイックシューを取り外したまま持って来たのだった。

15:55 愛大小屋 小屋のちょうつがいが壊れている 
 愛大小屋で小休止なのだが、中に誰も居ないのに戸が閉まっていなくて、おまけに床が雪まみれだ。“最後に小屋を出る人、使う権利が無いんちゃうか?”。おまけに、内鍵が壊されていた。内鍵を掛けているのに、無理やり戸を開けたのが原因だろう。小休止を終え小屋を出たのは、16時を回っていた。もう、皆降りてしまったようだ。

16:23 分岐  
 それでも我々は、さほど下山を急がない。所々で、カメラの出番がある。一組のペアが降りて来た。我々が最後では無かったのだ。

おっちゃんの定点観測の木  シリセードの跡
 もう夕陽の時間なのか、空が茜色になっている。もちろん、私のデジカメでは色が出ない。トラバースのつづら折れの道では、ショートカットした無残な尻セードの跡が残っていた。薄暗くなって来た頃、愛車に帰り着いたのは17時15分だったが、駐車場には乗用車が未だ一台残されていた。帰路、登山道で無く林道を歩いて降りるグループに遭った。当然、鉄塔駐車場にも車は停まって居なかった。


 2日【白猪の滝】
 【waiwai記】
 昨晩のテレビは“降水確率60%”で雪の予報だったが、朝起きると外は何も変化も無い。しかし、はるばる京都から重い機材を乗せて長距離移動の“ひよこさん”夫妻の希望を天は見放す筈が無い。昨日、ご主人のデジカメの充電が切れ充電器や電池を“XXカメラ”へ問いあわすも、やはり「お取り寄せになります」との返事。ここで諦めないのが相棒。結局、店で充電して頂ける事となった。2時間余りの充電で、今日の撮影の準備OKとなった。

  

 予定通り、7時に我が家を出発。昨日通ったと同じ道端の風景で30分余りで上の有料駐車場に着く。誰も居ない白猪の滝で撮影開始である。時々、霰の様なものが降る中、滝見見物者もボツボツ来訪。暫くの時間撮影していると、若いアベックが到着した。オバサンは無視するが、若い人達には話しかける私。彼らはそれぞれ兵庫と大阪からのアベックだった。「今朝、高瀑へ行こうとしたが雪が深くて引き返して来た」との事で、ここら辺りの滝にもしばしば訪れているようだ。11時頃には撮影は終了。

 帰路に白猪屋さんのおでんを食べて帰ろう。先日のテレビで「済みません、私、あまりTVを見ない者でどなたか存じ上げませんが、何方でしょうか?」と言われ、困惑していたインタビュアーのルー大柴の顔が放映されていた。白猪屋さんには、その女将さんがいた。その件を話すと「恥ずかしいわぁ〜」と言っていたが、話は弾むものである。肝心のおでんの“こんにゃく”は、私達の到着直前にオバサン軍団の大量買い占めにあって、食せなかった。
 前日同様、小生のデジカメ写真のアップである。