11月の2


 11月20日【面河本谷】
 朝、珍しくおっちゃんが面河本谷に行くか?と言ってきた。昨日の新聞に、面河本谷の道を整備するグループと、一部完成の案内が載っていたので行ってみたいようだ。この項は、おっちゃんに任すこととしよう。

別画面で面河本谷の概略図を開く。クリック

【waiwai記】
と言う事で、
前回は(といっても10年前になる)間違って、“ゆりあげ”辺りまで降りた件を思い出しながらの記録である。

渓泉亭 10:37 看板 石鎚山 面河道登山口 10:59
 面河は紅葉の時期は過ぎているが、まだ少し残っている所もある。今年の紅葉は何か変?まだ、観光客も来ているようで大阪ナンバーのバスまで停まっていた。マイクロバスなら国民宿舎まで入れるようだ。我々は、車を第二駐車場に停め出発は10時半を過ぎていた。渓泉亭の先の橋を渡ると、案内標識が立っている。事前に仕入れた情報では“熊渕橋”を渡って・・なのだが、この案内では“唐獅子橋”と記されていた。“どうなってんだ〜”・・まぁ〜どっちでもいぃんですがぁ〜。
熊淵橋  
 とにもかくにも、下・上熊淵を通り件の橋に着く。橋には“熊渕橋”と記されていたのだった。橋を渡ると、水呑の獅子の標識がある。傍らに案内標識が捨てられていた。この道が整備される以前は、この先あたりで通行禁止となっていたようだ。

虎ヶ滝 虎ヶ滝  奥面河奉行 
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 虎ヶ滝はゴーゴーと凄い水量だ。この滝を越える道にロープが張られ、“奥面河奉行”の立て看板が立っている。看板には

≪  次の者の通行を禁ず
  一人の者
  子供連れの者
  手持ち荷物を持つ者
  登山靴を着用しない者
  その他、装備が十分でない者

 その他の者の通行の判断は
  自己責任による
  また、雨天のときは
   如何なる場合も通行を禁ず≫
と告示されている。
苔の桟道   一枚岩の所はワイヤーなので安心
その通行禁止の看板の手前から“苔の桟道”が設置・整備されていた。整備された木道と、張られたロープやワイヤーの高巻きの道だった。足を踏み外すと、川床まで滑り落ちそうなスラブの場所もある。
倒れた木と岩の間を行く  
 良く整備された道の傍らには、大木も転がっている。直ぐ先で三名(この三人連れは“子供連れ”とは言えないんだろうか?)の人と出会った。『あら、××△△△さん。写真展に行きました、今治の○○です』と、相棒のフルネームでの挨拶だった。皿ヶ嶺でお会いした家族連れだった。「会長さんが整備したそうで、見に来ました」との事だった。少々の立ち話で、この先の情報を仕入れ別れた。
滝もある 大岩がゴロゴロ 石垣 堰堤
 右手から、大岩が押し出している箇所を進むと川岸には立派な石垣が積まれている箇所もある。
霧ヶ迫滝   石垣
 対岸から本谷に落ちている滝が“霧ヶ迫滝”だった。右手からの沢部じゃない場所は歩きやすい道が残されている。自然とは怖いもので、人工的に作られた桟橋などが掛けられている場所は、ことごとく壊されているようだ。そういえば、私達が山歩きを始める前の事(山釣りをしていた頃)である。スカイラインから金山谷へ降り、釣り上がった事があった。金山谷の最初の釣行の時には、右岸に高巻いた際、桟橋が残されていてそれを利用したのだったが、翌年には残骸しか残ってなくて“お助け紐”のお世話になり、乗り切った事を思い出したのだった。その際に利用した桟橋の高巻き道は、さぞう谷まで続いていたようだ。その道は、“ゆりあげ”で四叉路(左へ渡り本谷、上へ長尾根、右へ金山谷に沿ってさぞう谷へ)となっていたようだが、現在、どうなっているかは不明である。

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 渓泉亭から約一時間で、通行止めの看板である。

≪注意 この先登山道なし
  登山技術に自信のある方以外は
   絶対に進んではいけません

 上級の登山技術を持ち かつ
  本谷の遡行経験者以外は
    引き返してください≫

 とある。ここで昼休憩とした。帰路は、相棒の撮影対象をチェックしながらである。単独者がデジカメをぶら下げてやってきた。「この道は御来光の滝まで行けますか?」だが、行った事もないし、スカイラインからの道も知らないようだった。新聞記事は怖いものである。結局、相棒の対象となるシチュエーションには出会えなかったので、最後の写真の淵まで帰ってきた。この頃になると観光客の老若男女が行き交っていた。そんな面河渓谷である。

 ここで、先に記したスカイラインから“御来光の滝”へと降りた“堰堤”から下部を最後に記すこととしよう。

【2001年8月5日の記録】
 この時は、スカイラインから御来光の滝への降り口の情報が無く。何年か前に見たTVの記憶(最後にスカイラインへ戻って来る女性アナがガードレールを跨いで帰ってきた図)と、地図から当りを付けての道探しだった。10年前の写真からの記憶はそうとう曖昧ではあるものの、出来る限り記憶を引き出そう。
 
 デジカメ時間によると、9時過ぎに堰堤に降り立っていた。ここから、右岸を降りることとなった。二年ほど前にこの場所で、右岸の道を探したのだがその折りは見つけられなかった。近々に辿ってみたいものだが、相棒は首を縦には振らないだろうなぁ〜。
 
 道は明瞭に続いていたが、10年前でも桟橋は木が朽ち果てて危なっかしいものだったし、所々にあるテープも注意して見なければ、見落とすほど古ぼけていた。上の堰堤から数えて二つ目の堰堤まで一時間を要した。
 
 テープやケルンを辿りがらの偵察行は、この頃はルンルンと楽しそうな写真である。所々で、綺麗に積まれた石積みの道も現れる。


 堰堤から、二時間ほど降りた11時過ぎ、左からの大きな沢に出合った。すると、下流から一人の釣り人が上がって来るでは無いか?“えぇ〜、するとここが金山谷の出合いかぁ〜”と、当時の地図読みの不確かさを再認識する次第であった。とにかく、この釣り人は、どこから降りてどこら辺りを釣るのか不明であるが、山釣りに関しては、道がある無しに関わらず谷を詰める習性(欲どうしい)があるものである。魚影のある限り・・。

 【追記】
 この偵察行の翌週の12日に、念願の“御来光の滝”行が実現した。振り返れば、この年の前後の山行は実に充実していたように思う。山歩きを始めて3〜4年目の出来事で、2002年に当サイトを立ち上げる事により、以後のネットでの情報提供の一端を担う事となって行くのである。


 11月24日【皿ヶ嶺】
 【waiwai記】
 今回は、理由は不明なのだが前回と同様、私の担当となった。思いついたら、皿ヶ嶺である。風穴の駐車場に愛車を置き、10時前に風穴を出発。
 
 waiwai隊は、風穴から登る場合90%は横掛けの道を辿る。直ぐのベンチには薄っすらと雪が・・。昨日の雪なんだろうが、初雪かどうかは不明である。先行する登山者は、下の駐車場で出発準備していた単独の男性である。
 
 風穴から四つ目のカーブから直登の道へと上がる道に真新しいロープが設置されていた。また、夏道の目印にと、竹が道脇に刺さっていた。この道は、昨冬私が雪と戯れていた箇所(相棒が撮影している間、夏道はどこだろうと、雪の中を這い上がっていた)である。
 
 30分程で、ベンチに到着。いつも、ここで小休止するのだが、ここまで相棒は、ザックからカメラを取り出すことは無かった。休憩なしで、5分余りで竜神分岐を通過する。先の単独者もこの分岐を上林峠へと進んで行った。
 
 暫くで、相棒の「ストップ」の声。撮影タイムである。11時前に尾根の第一ベンチへ到着。カメラをぶら下げたままの相棒は、ここでも三脚を据えた。竜神分岐を小屋へと進み、11時20分頃、愛大小屋に到着する。
 
 愛大小屋には、誰も居なかった。ここで昼食休憩とする。買ってきたコンビニ弁当は、サイズが大き過ぎて私のザックに上手く入らなくて、容器の下半分に寄ってしまい、この有様。お茶を沸かそうと準備していると、直ぐに、単独の人が二人同席となった。途中で追い越した登山道の整備をしていた方も同席となり、話は弾む。その登山道を整備していた方が「あっ、直登の所で、雪の中で泳いでいた人ですか」と、思わぬ出会いだった。昼食を終え、12時過ぎに頂上へと向かう。頂上へは20分余りで到着した。この時期、花も咲いてないし(撮影対象が無いので・・という意)、雪の中のラッセルも無いので淡々と頂上へ着く。ここにも誰も居なかった。見渡すと、頂上から畑野川への道に新たに標識が立てられていた。こちらの道も利用者が多くなったようで、一年前とは様相も異なって、立派な登山道という雰囲気である。
 
 頂上では、記念撮影のみで、三角点を通って10分余りで竜神分岐である。分岐を引地山へと向かい、1165mピークの先から直登コースへと降りる。こちらのコースは、時期によれば様々な可憐な花に出合えるコースでもある。先程のコース整備の方が小屋で言っていた「道のぬかるんだ箇所に設置した板が放り捨てられた」箇所を過ぎると、横掛け道の真上へ出る。往きに通ったカーブに着いたのは、13時頃だった。
 
 淡々とした下山で、登山口に帰り着いたのは13時15分だった。

≪登山道の整備についての一考察≫
 先週辿った“面河本谷”の道の整備もそうだが、登山道の整備などについては個人の勝手な判断では出来ないようだ。既にある道のゴミ拾いや雑草刈りなどは良いみたいだが、新たに何か(ロープや梯子など)を設置したりするのには許可が必要らしい。ちなみに面河本谷の場合、『開発規制のある石鎚国定公園内であるため、久万高原町が、県環境審議会自然環境部会へと申請し、植生や動物などへの影響はほとんどないと判断した県が、久万高原町の整備申請を許可・・』という手順らしい。この場合、この登山道で起きた事故の責任は町にあるということみたいだ。皿ヶ嶺の場合は“県立自然公園”になっているので、東温市が愛媛県へ許可申請するようになるのだろう。そういえば、一時期、石鎚の弥山から天狗岳への降り口が閉鎖(ロープが張られた)された時期があったっけ。とにかく、登山道に於ける事故が“自己責任”じゃ無く、整備・管理する者に帰属される世の中なんだな、今は。

 善意で設置された標識やロープや梯子は、歩き易いようにっと、設けられているのであって、このサイトなどで取りあげる大自然の直中の山中での事と、電車や車で気軽に利用できる公園や施設とを同様に論じられる事に違和感を感じるのは私だけなのかなぁ〜。ただ、公に許可を得て整備する場合は、金額の大小はともかくとして少々の整備費用が予定されるもので、善意で設置される費用は、大概が無報酬であることも付け加える。

 兎に角、山登りに於いても『責任者は誰だ』式の話を聞く。敢えて云う。道を迷うのも、転げ落ちるのも、熊や猪に襲われるのも猿に引っ掻かれるのも“自己責任”だと。事故を起こさないよう、日々レベルアップしながら、自分に合った山登りを楽しもうじゃないですか。


 最後に、一昨年までの大阪生活で経験した出来事を付記することとしよう。
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