2003年           




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 2・3日【西赤石山】
 『私が辿りたいのは、“五代の別れのピーク”とも“鞍瀬の頭”とも云われている、無名峰の北方稜線の路です。天野さんが辿ったルートを行きたいのです。これは、一昨年来の課題でした。千代さんが「一人では、行かれんよ!」と、いつも云っているので“何時か、行かなきゃ〜”と思っているのですが、実現できていません。
が、このことは極秘ですので、あくまでも後悔(公開?、更改?ああかい・こうかい?)していませんです。』


 と、おっちゃんが某掲示板に書いているルート。途中に岩峰があり、大丈夫かいなと思いつつも、行けなくても帰ればいいやとツェルト泊で決行すべく、シュラフはやめて(寒いだろうな〜)、シュラフカバー、羽毛の上着、毛100パーセントのズボン下、ホッカイロ、カメラ・三脚、水3リットル等・・私で合計12.5キロの荷造りをして、吹田から愛媛まで高速を飛ばしたっちゅうのに、目覚まし時計が鳴る1時間前に目覚めると、雨の音がしている。
 起き出して5時前の天気予報を見ると、晴れのちくもりとなっている。コーヒーを沸かしたりしていると、5時過ぎの天気予報に変わり、くもりのち雨と突然変わった。同行することになったU氏に電話し、とりあえず登山口まで行ってみる事となった。
 桜三里を走り、トンネルを越した所の休憩所で、「これでは無理だな〜」、「せっかくだから、山小屋のあるところにしょう」、U氏が「前から一度“銅山峰ヒュッテ”に泊まりたいと思っていたから電話してみょう」と言い、マイントピアの公衆電話の電話帳で調べるも判らず、“もも”に電話して分県別で調べて貰い電話した。こんな事なら、“もも”もと思うが後の祭りだ。
 今日はヒュッテまで行けばいいので、住友フォレストでコーヒーを飲んだり、撮影したり、ダイヤモンド水でまったりしたりしながらヒュッテに着いた。

  
 姉さんかぶりの奥さんの丁寧な挨拶をうけ、ヒュッテの周辺で写真を撮っていると、ご主人の伊藤さんがお孫さんを連れて東平方面から上がってきた。U氏の親戚が昔ゆかりがあった話をすると、「良く世話になった、なつかしいな」と挨拶を交わした。食事は朝食のみ頼んだので、夕食は外で尾根で食べるはずだったじゃこ天やいわしの缶詰で乾杯だ!
 今日の泊まりは、三人組みの方と、大阪の視覚障害者のパーティとだった。おっちゃんの体調が悪いので、私達ははやばやと寝たが、夜中に窓から外を見ると、新居浜の灯りが良く見えた。
   
 私達は急がないので、他の泊り客の食事が終わる7時30分頃に朝食を頼んでいたので、ストーブのある居間に行くと、伊藤さんが名前を書いてくれとノートを出された。書こうと見ると、大阪の視覚障害者のパーティの方の住所が吹田市となっていたので、「私達も転勤で吹田に住んでいます」等と話した。視覚障害者と言っても、訓練もしているし、体力はあるし、夏山は3000メートル級の山も行きましたと言われていたが、たいしたものだ。
 みんなを見送り、朝食後の抹茶の接待も受けて、「以前、上兜山を縦走して泊まり、魔戸の滝への道をお尋ねしました」とおっちゃんが言うと「あ〜、覚えとる、小屋跡には直接降りたかな?」と伊藤さんが言うので、「植林の所から、降りてうろうろ捜しているうちに、笹を刈り込んでいる所があったので下りると小屋がありました」と答えた。今度、分県別の赤石山を書くように頼まれているそうだが、他にも黒森山とか書きたいところがあるのに、指定されているから・・等との事だった。一昨日は山の登り方で、泊り客と大論争をしたと言われていたが、私達もゆっくりと話がしたいものだ。奥様に「いつ、下に降りられるのですか?」と聞くと、「ここが自宅で、新居浜は借りているんですよ、これから冬の薪等の仕度をします」との事で、冬でもおられるとの事。雪の時にまた来たいな〜。

 予定では、石ケ山丈を経由して兜岩、西赤石としていたが、雨が降り靄も出ている事から、東平から兜岩に上がる道を辿る事にした。
 上部鉄道は、色とりどりの落ち葉の絨毯となって、ほんとうに気持ちがいい。U氏の弟さんは、今は道となっている上部鉄道跡にトロッコが走っていた時に乗った事があるそうだが、今となっては所々にあるレンガの橋桁が昔をとどめているのみだ。朽ちかけている橋は下に降りたりしながら、分岐に着き休んでいると、にわかに暗くなり、雷鳴が二度轟いた。
 「どうする〜?」と顔を見合わせたが、雷雲が引いたら行けるだろうと、大休止をし、少し明るくなったので登る事にした。兜岩から見たアケボノツツジの紅葉は、もう色が悪い。最後の急登を上り切ると、靄が晴れて物住の頭、前赤石、東赤石方面、なつかしの上兜山が姿を現した。
 敷物を屋根代わりにして、昼食としたが、カッパを着ていても蒸れて濡れるのか、滲みて濡れるのか・・、1時間もゆっくりしたので寒くなってしまった。そして、誰にもあわず下山した。


     
 どんなに靄が出ても、この山は何度も来て道に迷う事はないし、着替えも持っていたし、ツェルトもあるので大丈夫だが、これで強風が吹き、初めての所で靄がでて迷ったら・・疲労凍死って事になるのかも・・。
 帰りは、川内の“さくらの湯”でぬくもった。さて、懸案の尾根はいつの事になりますやら!


 16日【鎧岳〜兜岳】
 週間天気予報では、日曜日は雨となっていたが、夜の間に雨が降って、いい天気になった。画像掲示板に“照美N”さんが、曽爾高原から見えたと書き込んでくれていたのを思い出し決めた。
 曽爾村までの車窓からは、靄が出たり、朝陽が当たったりでいい感じ、今度撮影に連れて来てね! 途中で見えた鎧岳はどこを登るの〜と思うほど天に突き出ている。曽爾横輪のバス停を過ぎて、郵便局の手前で登山口の標識が見えたので、左折し細い道路を走るので、「そんなに入ると帰りに歩くのが長くなるんやないの?」と言うと「そうやな」と引き返して、郵便局の前の道路脇に車を停めた。準備をして“日帰り山歩き100”を見ていると、どうも登山口はまだ先のバス停になっているのでそちらに向かったが、「帰りのことを考えたら、車はここでええんやないの?」と又郵便局前に戻り歩き始めた。


    
 新宅本店前バス停まで歩くつもりが、郵便局から直ぐの所で又標識があったので、ここから登る事にした。コンクリートの農道から急な道を行くと、良く手入れされた杉林の中を行くようになる。25分位で、新宅本店前バス停からの分岐に出合った。雨上がりで湿った杉林の中はウラシマソウ(?)の赤い実だけがいろどりだ。つづら折れというか、電光型の道を喘ぎながら登ると、やっと稜線に出て清水山分岐を左にとる。自然林を吹き渡る風が気持ちいい。兜岩への分岐をやり過ごし、1時間15分で鎧岳に着いた。頂上からは曽爾高原がよく見えた。反対側には絶対行かないように!危険!の看板が賑々しい。断崖絶壁になっているのだろう、おっちゃんはこうも書かれると、行ってみたい様子だが・・。
  
 一休みして、分岐まで引き返し兜岩に向かう。分岐からの急坂は、植林地の地質か(?)滑り易くて、間伐後の木株は私の体重を支えられるほどしっかりしてないし・・、やっと平坦になったと思ったら、今度はじゅるじゅるで・・「つるつる、じゅるじゅるの二重苦やね〜」と、ぶつぶついいながら歩いているうちに自然林の尾根筋の登りになり、少し下ると逢坂峠についた。ここから郵便局へ下山出来るみたいだ。
 ここからは急勾配の尾根道で、何度アップダウンを繰り返しただろう。左は断崖絶壁だが、木々の葉も落ちて所々に鎧岳や曽根高原を展望出来るところがある。兜岳頂上直下で30人くらいの団体さんとすれ違い、55分で着いた。頂上は落ち葉ふかふかの気持ちのいいところだった。お弁当を食べていると、今度は40人程の団体さん(女性が多い)が登ってきたので、早々に切り上げ、下りる事にした。
   
 登りもきつけりゃ、下りもきつい急坂だ。岩を2箇所やり過ごすと、又“つるつる、じゅるじゅる”の植林地の下りに変わり、小さな沢に出合った。汚れた靴、ズボンを洗い、少しで下山口の目無地蔵に着いた。ずっと、車の音が聞こえていると思ったら、赤目四十八滝への立派な道路だった。曽爾横輪のバス停まで30分、郵便局まで25分の道路歩きで車に着いた。下を見ると東海道自然歩道の吊橋があり手前にベンチがあったので、コーヒーをたててゆったりした。門僕神社の葉の先に実がなるらしいオハツキイチョウも見に行ったが確認出来なかった。ちょっと降りて見るだけのつもりで曽爾高原にもドライブして、車の多さと駐車料金が600円もいるのにビックリ、ファームガーデンでは“高橋尚子が追い抜かれる”テレビ中継を見て、私だけ桑の実アイスクリームを食べて帰宅した。


 23日【仙ケ岳】
 4月から入った山の会のI女史から、連休の天気のいい日に“夜叉ケ池〜三周ケ岳”個人山行のお誘いのFAXが入っていたが、おっちゃんの体調が戻るかどうか分らなかったのでお断りした。行きたい山行は、断られたり、会報に出た時には既に一杯だったり・・(テント泊は人数が決まっているらしい)で、ステップアップをはかりたくて岩や沢(泳げずダメ)をやりたかったおっちゃんだったが・・、I女史と行く予定の夏山(北岳)も台風で中止、その後個人山行のお誘いのFAXが入っても愛媛に帰省中だったりして、どうも最初の意気込みは消えつつある。

 前日の夜、おっちゃんが9時前に早々と寝るというので「はや寝るの〜、明日は行くの?」「行くよ!」「どこに?」「大峰かな〜」、私も肩こりと口内炎で調子がいまひとつ・・まあいいか〜、行っても行かなくてもと思っていた。
 朝5時半に目覚ましがなり、ムクッとおっちゃんが起きた。行くのか〜と私も起きたが、行先が決まってないので気分が乗らない。「鈴鹿の仙ケ岳にするか」と言われるが、急に知らない山を言われたって返事が出来る訳がない。

 近畿道〜名阪国道と走り、亀山で降りてバイパスから石水渓口のバス停方面へ行く途中でコンビニを探すも全然見当たらないうちに、とうとう登山口に着いてしまった。仕方がない、いつもザックに入っている非常食で間に合うかもと出してみた。おっちゃんのザックには、お餅4個、チョコレート、クッキー、干しイチヂク。私のザックには、味噌汁、コーヒー、カステラ一個、チョコレート、クッキー、バナナ二本が入っていたので何とかなりそうだ。「非常食がなくなるな〜」とおっちゃんが言うので「まだ、水戻し餅を持っているから」と私。
 バス停のところの登山口からまだ舗装道路が続いているので、奥まで行こうとしたが、茶畑になったので引き返し、道端に車を停めた。
    


  ところが、茶畑を過ぎるとちゃんとした林道が通っていて、20分で大堰堤の所に広い駐車場があった。もうすでに5台停まって、準備しているグループもある。○○へとかの標識もある堰堤のほうに降りて行くのか、ここからまだ続いている林道を行くのか、本も地図もよく見てないのでわからない。地図と本を出して見るも現地点がどこかもはっきりしないし・・(私だけ?)、で林道を歩く事にして30分(普通車では無理)で終点に着いた。親子連れ(小学5,6年の男の子)が休んでいたが入れ替わりに出発した。やっとここで、ゆっくり地図を見て今日のルートを確認し、登りは白谷ルート、下りは仙渓尾根〜野登山(鶏足山表参道コース)を行く事にした。

 終点からすぐの所に南尾根との分岐があり、後からきた2グループは右の南尾根の方に行った。朽ちている造林事務所跡の横を通り、白雲滝の上に出た所で踏み後を辿っていると、テープもなくなり藪こぎの様相になってきた。「普通の登山道のはずなのにおかしい」と言っているうちに道が無くなってきたので引き返すと、岩にペンキで○印があり、谷を渡るみたいで10分のロスだった。後は谷を右に左に渡り(数えただけでも20回)ハシゴの上り下り1回、クサリ場1ヵ所、橋を渡り、1時間程で目前に大堰が現れた。堰堤の左岸の茶褐色の岩がゴロゴロ落ちて来ている所を登ると、谷の向こうに仙ケ岳、東峰(?)が見えた。

    
 だんだんと水量も少なくなり、上流に来た事がわかる。落ち葉の下の岩がどんな状態がわからず、滑ってしまって、人差し指が岩につき指みたいになって、指ってこんなに弓なりになるかと思うほどになった。(こういう時は不思議とスローモーションになる。指が折れたら明後日からの撮影会が・・・なんて思ってました。)流れで指を冷やしながら、なおも登る。上からこの谷で初めての人が降りてきた。水がなくなり、だんだんと傾斜が急になり途中の大堰堤から50分で尾根に出た。
   
 5分位で頂上に着いた。天気もよく、右から鎌ケ岳、御在所岳、この前歩いた雨乞岳等がよく見えた。狭い頂上は中高年の登山者で賑わっていたので、小社峠の方へ少し降りてお餅と味噌汁を食べた。

     
 昼食後、東峰へ行き、有名な“仙ノ石”をデジカメで撮って、仙鶏尾根を下りた。キレットあり、ザレ場ありのアップダウンの厳しい尾根だったが、最後は檜の植林地になり、真っ暗な中を少し上ると、野登山の道路に着いた。道路脇でコーヒーをたててゆっくりしてから、舗装道路を20分くらいで鶏足山野登寺の登山口がある休憩所だ。観光客が車でたくさん来ている。表参道が横切っているはずと、なおも舗装道路を歩くと、左手に古い道があり標識もあった。反対側のガードレールを跨ぐと昔の立派な参道が下に続いている。立派な杉の木があり往時が偲ばれる道だが、お地蔵さんが埋もれていたりして、なんだかさびしい。参道を降りていくと、坂本の集落に出て“日本の棚田○選(?)”に選ばれている、よく手入れされた棚田の間を登山口まで、35分歩いた。

 いきあたりばったりの山行で、車を下に置いて歩いたお陰で、周遊コースも選べたし、なにが幸いするかわからないな〜。非常食は今度までにまた用意しなくちゃ! 指の方は腫れているものの、つき指や骨折でなくてよかった^_^;

 結局、登りの白谷道では、一人と行き違っただけで、下山路の仙鶏尾根から参拝道では誰とも出会わなかった。それに引き換え、頂上付近や野登寺への道路は観光客が大勢いたのが印象的だった。