2003年           




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 1日【雨乞岳】


 本来、このページは“わがまま千代さん”の担当なのだが、「今度はアンタが書きよ!」との事で“waiwai”の出番となりました。
 相棒は先週、ず〜っと体調を崩していて、“ごほっ・ごほっ”(ゴリラではありません)と咳きをしていた。そのせいか(?)、瀬戸内海を東進した台風のせいか(?)後述する同行者のせいか判らないが、前日まで返事が無いままに過ぎていった。
 雨乞岳は、どちらからのルートを採っても安易では無いらしい。そして、台風が去った(?)後ということで、これまた悩ましい。こうなればぶっつけ本番で乗り切るしかなかった。新大阪へは我がアパートから10分程で着いた。待ち合わせ場所の2Fは、実は3Fだったのだが「彼女」は心配をよそに現れた。登山口の武平峠までは、松山や愛媛での懐かしい話題(ここでは公開しませんが、『二ツ岳から西赤石のテント縦走』の話題等で盛り上がった)でいっぱいだった。

 武平峠の駐車場で、今日のルートの情報を仕入れ、『午後からは回復の兆し』の予報を半分信じて、ガイドブックのルートを辿ることとして出発である。崩壊箇所を上がっていると、男性が追いついて来た。カッパを着ているので、既に下着までも汗で濡れてきている。“コクイ谷”の分岐で先の人と話を交わすと、私達と同じルートだった。「今日みたいな台風の後に、“あまごい”でもないだろう?」と、内心想いながら、増水した谷を渡る。いやっ!、飛ぶ。


 「興味が無いので、花の名を知らない」という彼女に、相棒は「あっ!ギンリョウソウ・・・」と、暗い林に輝く林を指す。愛知(えち)川の最上流域のクラ谷を何度飛び、渡ったか?やっと、七人山のコルに着く。笹の間につけられた“樋”のような道を、背をかがめて笹を払いながらの前進も、しばらくで「眺望の良い東雨乞岳」に着く・・・が、今日はそれもわゃ〜しまい。風が雲を運んで来ているので“ジット”していると寒く感じる。記念撮影だけにして、とにかく雨乞岳へ向けて出発である。しばらくでピークに立った、10時40分である。私達のどアップの写真の初公開(笑わないで!)である。“風の当たらない処で休憩しようか?”と相談していると、ガサガサと下山路から先の男性が現れ「すごい藪で、ルートが判らないので・・」と引き返して来た。こうなれば、私の決断は早い“元の道を帰ろう”である。

 帰路の七人山のコルまでで二組に出逢った。風を避けての昼食を済ませて、朝方より強くなったような風と雨雲の中、下山を急いだ。
 さて、今回初登場の彼女は私と同様に、昨年松山から大阪へと転勤して来ていたのだった。もっとも私達とは違い、うら若い“ヤマヤ”さんで、その行動力は羨ましく感じる。彼女の相棒は、東京へと転勤となってしまっているので、「一人で山へ通っている」そうで、今回の同行の話が成立したのだった。彼女との話題で、山に関わる共通の知人の話や、netの話題など話は尽きない・・・。
 仕上げの温泉は、『希望荘』で締めくくった。

尚、彼女への“ファンレター”の類は、当hpでは受け付けません・・・ヽ(^。^)ノ



 15日【白倉岳】
 4月に入会した山の会で、昨日は登山口でテント泊し今日は白山の“三方岩山〜妙法山”へ登る予定だったが、雨で中止となった。昨夜の天気予報では、太平洋側は雨模様だが、日本海側は曇りでところによると日が射す場合もあるとの事で、それなら比良ならどちらかといえば日本海側だし、病み上がりの私にはいいかなと前から麗しい名前で気になっていた朽木の白倉岳に決めた。
 何の準備もしていないのに、おっちゃんたら「5時起きよ!」と言い早々と寝ている。日曜日の早朝からバタバタしたら、下の階の赤ちゃんが生まれて間もないお宅に迷惑が・・・と、いつもサッと出かけられるように準備をしているのに・・そんな事も気にならない暢気な性格・・で結局6時30分に起床して静かに(?)準備して出発。
 栃生の登山口を通り越し、村井の登山口も通り越しと、少し手間取ったが、なんとか村井の登山口を捜して準備をしていると男性が1人先行した。通りかかったおじさんと、最近車上狙いが多いとか、アマゴとイワナの違いの話、車のナンバーから「四国の人はイタドリを食べるのかね? 知り合いから送って欲しいと言われて塩漬けにして送った」と言うので、「高知の人は食べますよ。同じ四国でも愛媛はあまり食べませんが・・」等と話し込んでしまい、出発は9時30分になってしまった。
   

 最初は杉林の中を登るが色とりどりの目印のテープがいたる所にあり迷う事はない。松本地蔵からは自然林になり、登山道もよく整備されている。ジグザグの急登を上りきると、桑野橋や大彦峠からの登山道に出会った、今度は、あちらからも挑戦しなくてわ! 少しで烏帽子岳、次に分岐があり、小川に至る標識が・・、おっちゃんはこの道はどんなもんかいな〜と観察している。

 大きなスギを見ながら歩いていると、いまさっき剥いだかと思われるような木に出合った。登山口のおじさんから、熊が出ているという話を聞いていたので、ちょっと気持ちが悪い。3本位写真のようになっていたが、上の方まで剥いであり執拗に爪で柔らかい所を引っかいたような後があった。鹿にしては高い所までというのが・・・熊かな〜 (@_@;)

 整備され過ぎ(?)トラロープの張ってある頂上直下の急登でトラロープに頭を引っ掛けながら11時50分に頂上に着くと、20名位の団体さんがお弁当を食べていた。私達と同じコースを登ってきたそうで、下山も同じコースとの事なので、休憩もそこそこにお先に下りる事にした。
   
 雨こそ降っていないものの、ガスで展望もないのでひたすらアップダウンを繰り返す、中岳、南岳と小ピークにもちゃんと山名の標識がある。このあたりのブナやスギの木は大きく、西側の斜面に動物のノタ場が見えた。南岳から少しで東に降りる。やっと、展望が開け武奈が岳が見えてきた。登山道には至るところに標識があり、白倉連峰登山道と書かれていた。連峰??? 烏帽子岳、白倉岳(949.9m)、中岳、南岳(941m)と立派な名前がついているな〜と思っていたが・・・朽木山行会の心意気かもね!
それじゃ〜愛媛の無名峰(人呼んで鞍瀬の頭、五代の別れピーク)、東三方が森の手前の3つのピークも・・・なんてね!

 そして、クライマックスはここからの急下降で、朽ちてくると切れやすいし、出来るだけロープ等に頼らないようにしているが、この下りのトラロープは有難かった。朝、登山口を通り過ぎたお陰で、こちらから登らんかってよかった(^^♪

 帰りは、てんくう温泉で汗を流し、おいしい牛乳とアイスクリームで閉めくくった。



 29日【稲村ガ岳・大日山】
 オオヤマレンゲ

 今回も「waiwai」のアップとなった。今日は土・日を使ってのテント泊を予定していたが、予定は未定の優柔不断さが“とりえ”の私達は、“オオヤマレンゲ”見物に出掛けることとした。行き先は今冬に敗退した「稲村ガ岳」で、吹田のアパートを出たのはAM5時で、高速と地道を走って洞川温泉の母公堂から7時30分に出発だ。今冬はあたり一面の冬景色だったが、今日は“みずみずしい緑”の中での山行だ。しかし、昨夜からの雨のなごりの雲の中、黙々と高度を稼ぐ。相棒の「あっ!ショウキラン」の言葉で、忙しく撮影タイムである。法力峠の手前で、単独の人と隣へ駐車した“アベック”に道を譲り、小休止だ。

 峠からは何回かガレた沢に架かる鉄橋を渡り、緑のシャワーの中を行く。前回は周りの景色も望めたが、今日は木々の間の雲しか垣間見ることが叶わない。やがて稲村小屋に着き、小休止である。

    
 「オオヤマレンゲは鹿が食べるので、登山道からは見えない」との小屋の人の言葉に、相棒はガックリしているみたいで足が重そうだ。やがて大日山のトラバースの箇所(今冬に撤退した)に差し掛かった。やはり、冬に山へ入る場合は下見ぐらいしておくべきで“引返して良かった!”と思いながら進むと、キレットと呼ばれる箇所に着く。右手にあるだろう山頂へは、今までとは違って急登が待っていた。人の話し声がし、山頂が近い事を語っている。三角点を確認して“櫓”の階段を登ると“あれ××さん!”の声がした。頂上で陣取っていたグループの一人が職場のM女史だったのだ。
 全く世の中は狭いものである。彼女らは昨晩豪雨の中、下の駐車場でテント泊との事だった。団欒中の彼女等に挨拶をして、我々は大日山へと引き返した。

  
 大日山へはキレットから階段と梯子の連続だが、あっけなく頂上に着く。昼食を稲村小屋で摂り、消化不良気味の“オオヤマレンゲ”捜しに、レンゲ峠へと帰路を取る。小さな沢を渡る所で、団体さんとすれ違った「オオヤマレンゲは咲いていましたか?」の相棒の問いに「この先の沢の所で一輪だけでした」との事である。鹿も生活(?)、否生き延びる為には食べれるものは口にするのは本能なのである。がけ状のところに下向きに咲いているオオヤマレンゲを写真に収めて、直ぐにレンゲ峠の「女人結界門」に着く。ここからは、岩のゴロゴロした沢筋を急降下である。林道手前で小休止(コーヒータイム)していると、朝方のカップルが降りてきた。「オオヤマレンゲは見つけれなかった」そうである。そして直ぐに林道に出合った。清静大橋は観光客の行き来する場所で、朝方の駐車場へは14時過ぎに帰り着いた。洞川温泉で汗を流し帰路に着いたが、稲村ケ岳で会った4人組は「駐車場で食材の後始末をしていた!」そうだ、彼女らの食欲には感心してしまう.......(@_@;)。