#2003.1.13

             2003年           




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 2日【瓶が森林道】

 2003年の最初の山歩きは石鎚山系とだけ決まっているものの、何処にするか未決のまま帰省した。堂が森は冬に何度も行っているし、夕方からは実家に行く予定で遅くなるといけないし・・ という事で、よさこい峠から瓶が森林道を歩いて行ける所までという計画で出掛けた。
 内心、私の目的は去年買って、まだ使用していないワカンを試したいのと、写真教室の特別企画“美ヶ原の撮影旅行”があるので、予行演習で樹氷写真を撮る事だった。

     

 9時によさこい峠に着くと、5,6台の車が止まっていて、伊吹山から降りてくる人、土小屋方面へ行く人など、ほとんどが写真が目的のようだった。隣の車から伊吹山へ行こうとしている3人のうちの1人は少し吹雪いているのに、帽子もなく、ヤッケもなく薄いセーターで出かけようとしているので、お節介オバサンとなり、帽子とカッパの上着を貸してあげた。

 林道はアイゼン等は必要なく、1時間弱でしらさ山荘、後1時間で子持権現まで歩けた。ずっと、霧の中で、その霧がさらさらの雪となって、風が吹くたび舞っている。向こうから、エンジンの音がしたと思ったら、2輪車が走って来た。こんな状態なのによく走れるものだ。吹き溜まりは雪が深くなり、南側は雪が解けて、又凍ったりしているので滑りやすい。やっぱり、写真撮影(三脚を立てる)と山歩きは両立しないものだ、帰りに撮ろうといい場所を見ながら歩いた。

 子持権現から林道はやめて、ワカンを付けてみたが傾斜のある所は歩きにくいものだ。再び林道に出る頃から、天候が回復してきて、シャッターチャンスが巡って来た。初心者の私は三脚の操作もいまひとつで、寒さでシャッターが押せなくなったり、上の樹氷を撮るのにセットの仕方が・・・

 そのうち、おっちゃんが寒い、お腹が・・・、常備薬の大師陀羅尼錠を飲ませ、駐車場までとして帰ることにした。キョロキョロして下りているうちに、滑って転んだり、自分達の足跡が浮き出ているのを撮ったり、樹氷に感嘆したりしながら、しらさ山荘が近づいた頃、石鎚山が見え出して感激した。
 コーヒーをたて、石鎚山や伊吹山方面の樹氷を写したりしているうちに時間がたってしまい、フィルムも残り少なくなって来た。ふと時計を見ると、3時になっている。おっちゃんは実家に行く時間を気にして急ぎ足だが、私は三脚が重い・・・。林道から伊吹山を見上げると・・・ あ〜あ肝心な時にフィルムがないのよね〜
 よさこい峠付近で、石鎚山に夕陽があたってシャッターチャンス、でも・・・(゜o゜)

 13日【稲村ガ岳】

 連休だというのに、何も決まっておらずブラブラしていた。天気もよさそうだしという事で12日昼前になって、吹田に転居してから半年間は比良山系を歩いたので、今年は大峰だと決定!
 温泉にも入りたいとインターネットで民宿を捜すが、ほとんどが期間限定で休業中、やっと天川村栃尾の『大谷屋』が見つかり予約出来た。(宿泊料、夏6500円、冬7500円)
 雪山の道具は帰省後、車に乗せたままだったので、ほとんど準備なしで車に乗り込んだ。

 近畿道から、西名阪に乗り換えて169号線に出た途端に渋滞だったが、今日は着けばいいので安心だ。明日のおやつを買おうと思うが、スーパーを見つけるのはいつも通り過ぎた後で・・・まだある、まだあると言っているうちに、無かったのだった。
 ラーメン、味噌汁、餅等はあるので、まっいいか〜。(パンとバナナを買いたかったんだけど)

 『大谷屋』は新築の民宿で、インターネットで見ましたというと、“世界・不思議発見!”のレポーターも泊まり、彼女のHPで <いい民宿だったが、掃除は出来てなかった> 等と載せられたので、お客さんが来た事などいろいろ話しながら、イノシシ鍋や、隣に住んでいる中国から帰国した日本人2世が持って来た肉まんを食べて部屋に戻ったら、おっちゃんが「食べ過ぎた〜」というので、また大師陀羅尼錠を飲ませた。
 13日の朝は、6時に食事を済ませ、おみやげに陀羅尼助丸(分包)や、白菜まで貰った。代々民宿を営み、教師をしていらした奥様が退職後引継いだとの事、親切でいい宿だった。
   
 さて、またまた登山口から捜さなければ・・ 私はおっちゃんまかせなので気楽なものだが・・・。なんとか、特選ガイドの積雪期の山、No・1(洞川温泉〜大日山〜稲村ガ岳・・・)の登山口(母公堂)に到着。すでに5〜6人の男女が出発するところだった。
 支度を整えて8:10に出発。女人禁制が解けたという報道があるが、今までどうり女人禁制でございますと、看板がある。スギ林の中を五代松鍾乳洞からの分岐まで登ると、横掛け道(四国だけの言い方かも)になり、雪はあるものの楽に法力峠に着いた。途中で下山の8〜10人のパーティに会ったがテント泊でもしていたのだろうか。これだけの人が歩けばトレースは万全だと安心した。

 ここでアイゼンを着けて、今度は尾根の右側の横掛け道を行くようになった。大日山の鋭鋒や、名前の判らない山々が見え出し、鉄橋を渡るごとに、雪も深く、右の谷が深くなり、足元に何かと思ったら、夏道の鎖だったりしてアイゼンで引っ掛けないように慎重に歩いた。やがて、かわいいお地蔵さんが祭られている所が少し広かったので休憩とした。にわかカメラマンの私はザックから一眼レフを出して、お地蔵さんを撮影した。(写真はおっちゃんのデジカメでっせ)
   

 ここから稲村小屋まではすぐ着いた。手前にテントを張った跡があった。ここら辺は綺麗な所で写真を撮りたかったが休まずトレースどおりに尾根を登り、やがて大日山手前の鞍部に着いた。身を引き締めて、東面岸壁下へ続いているトレースを辿るが、今までのトレース(平行に足を出して歩ける位)とは違い、靴一足分のトレースに沿って行く事になった。
 オーバー手袋も持っているのに、ここまでは大丈夫だったので、インナー手袋しかしておらず、濡れるのを気にしてでは・・・、ザックを降ろしてと言うわけにもいかず・・、 後の祭りだわ・・、 と思いつつ進んでいると、しばらく行った所の前方のトレースが雪がこぼれ落ちて見えなくなっている。おっちゃんの足がここで止まり、思案している。「どうする? ここまでにするか?」と聞くので、私もチラッと読んだ特選ガイドのフィックスロープがいるというのが頭をよぎり、持ってきてないしな〜、「別にピークを目指してる訳でなし、ここでいいよ」と返事した。(内心、写真が撮れるし〜と思ったのだった。)
 決めると早い! 私を先頭に撤退し、早速カメラを出して、ブナの木肌に付いた氷や、おとぎ話のような小屋の屋根、つらら等を撮影したのだった。
 風を避けて小屋の影で、食事をしていると、単独行の人が来て「そこまで行ったら、すぐでしたで〜」と言われたが、「夏山も登ってないのに、冬山では様子もわからないのに無理ですわ」等と答えた。「大普賢岳(写真)もよろしおまっせ」と聞いたので、又行こうネ。もう一人のクロモジ尾からラッセルで来た人も「疲れたので、ここで帰ります」と下りられた頃、登山口で会ったパーティも下りて来た。大日山(フィックスロープがいるがパーティだから・・)にも登ったのかな〜。

 私達は遅れて下山したのに、アイゼンを付けてなかったので、遅かったのか、私達が着いても帰り準備をしていた。私語なしで、黙々と準備をして帰って行ったが、普通挨拶くらいはするよね〜。洞川温泉でも遭ったが・・・・。


 
18日【堂満岳】
 日曜日はおっちゃんの用事で山へ行けないので、土曜日に行く事になったものの、天気予報は雨のち晴れだった。やっぱり朝起きると雨が降っていたが、回復傾向なので決行した。
 土曜日という事でトレースがなく、またピークは踏めないかな〜と思ったが、今度は歩いた事のあるコースなのでなんとか金糞峠までは行けるだろう。その後はワカンもあるし、ロープウェイで降りてもいいし・・。

 雨の中をいつものように名神・湖西道路と走り、イン谷口に着く頃には雨も止み、少し霧が出てる程度だった。具合によっては、どのコースで下りるか分からないので、比良管理事務所の横の駐車場に車を停めて用意をしていると、車が一台と単独の男性が通ったので、「今日はトレースがあるな〜」と言いながらシャーベット状で滑りやすい舗装された道路を大山口まで歩き、分岐を青ガレ・金糞峠方面へと辿ると、だんだん雪が深くなるが、昨日の天気で解けたのと、先行者のトレースで歩きやすい。

 
 青ガレの手前の沢の右岸には、落石注意の立て札とロープがある。「ここを登るとルンゼにいけるんぜ・・」と言いながら休んでいると、若者二人が地形図を手にやって来た。「堂満ルンゼを行きますか?」に、「ええ、第二ルンゼを登ります」とのことで、おっちゃんが「どっかの山の会ですか?」と聞くと京都の○△会とのことだ。おっちゃんは前々から、冬になったらルンゼに行きたいみたいだったが・・・、「お気をつけて」と言って貰い、私達は沢を渡り青ガレを登った。13日の横掛け道と違い、きつい登りだった。

 青ガレから45分で金糞峠に着いた。相変わらずの霧で風もきつい。トレースは堂満岳方面、シャクナゲ尾根をロープウェイ方面、峠下の奥ノ深谷、ヨキトウゲ谷方面の3方についている。思ったより楽に峠に来る事が出来たので、今日のトレースではないが、今年初めてのピークを踏むべく堂満岳へ行く事にした。下山路にあるノタノホリも写真に納めたいし・・。
   
 左手のガレ場を注意しながら、稜線を行く。手前のピークでも全然展望はない。しばらく歩くと若いペアとすれ違った。そしてルンゼを登ると何処に来るんだろう、等と言いながら50分で頂上に着いた。年配の夫婦にシャッターを押してもらって、雪まじりの風の吹く頂上を後にした。何組かの登山者とすれ違い雪の急坂を降り、風を避けて大休止とした。

土曜日なので、スコップを背負った若者も登っていく。堂満岳の辺りからだけでも、すれ違った人は十人を越えていたので、トレースはしっかりしているものの、うっかりそのとおりに進むと間違っていたりして、引き返すこととなったりする。
 が今日のトレースは登りのみで、下りは私達のみだった・・・筈だが、急に下っていく足跡が現れた。「おかしいなあ〜、誰も追い抜いていかなかったのに・・」。やがて谷筋を降りて行くと、谷を降りるトレースと、谷を越えて行くトレースとの二手に分かれていた。地図で確認して、この分岐をノタノホリへと取り、雪が溶けて水溜り状態となっ道を降りた。
 ノタノホリの手前で“オバサマ二人組み”が休んでいた。下りの足跡の犯人発見となった。ノタノホリで写真タイムの間に、おっちゃんがコーヒを点てる。ここからは、イン谷口まで“どろどろの道”を降りた。そして、駐車場の《注意書き》に、熊注意の警告があって「熊も冬眠しないのかなあ・・」と言いながら、比良トピアへと向かった。