2013年・・「waiwai隊」の山歩きの記録  
   2013年9月28日〜29日  
     
    今年も随分とご無沙汰してしまっている一の森行は、“ある事情”があって、相棒と私の共通の友人“ひよこさん”夫妻が同行の山行となった。そのあたりの“事情”については、後述する事とする。(waiwai記)  
     
   
     
   ・9月28日(土) 自宅(東温市)見の越〜一の森ヒュッテ  
     
    “ひよこさん”達との待ち合わせ場所にしたのは『美馬IC』を出た駐車場にしたのだが、美馬ICの到着時間が予定より15分ほど遅れそうだとの連絡があった。

 京都から名神を通って四国へ乗り継ぐのでそのぐらいのタイムロスは十分織り込み済みである。一方、私たちは20分ほど早く到着したので、相棒の故郷“美馬”で一仕事終える。ICの近くのコンビニで久々の再会の挨拶を終え、当方の車の相乗りで一路、見の越を目指す。
 
     
     
     
    貞光から見の越までは、もう通いなれた道だが、久し振りの邂逅の車内の会話は尽きない。“ひよこさん”達の、カナダトレッキングのお話や私の病気診断の話などなど・・留まる事はない。

 R438号線沿いの、一宇(いちう=徳島の人は“いっちゅう”と呼ぶ)にある“最奥のスタンド”で、愛車に補給し、見の越のリフト横駐車場に着いたのは11時半頃だった。ここで、腹ごしらえをし登山口は12時18分の出発だった。
 
     
     
     
    私達の一の森行の際の通常ルート(大回りコース)を案内する。“祖谷川源流の碑”には30分弱で到着。丁度、5名ほどの下山者と行き違った。小休止と少々の撮影タイムであるが、辺りの様相が以前と違う。笹が見当たらないのである。ここ一年一年、辺りの自然が様変わりしているのである。

 ここで、皆さん、上着だけカッパを羽織る。
 
     
     
     
    私たちの撮影隊は三脚を立てての撮影なので、手持ちで“カシャッ”の人達とは違う。何が違うっていうと、その全てが『ブレていない。ボケていない。納まっている。』などなど、これが当方のコンデジと同じ写真という分類で良いのかどうか?

 これは、道具が一緒なだけで、違う種類のもの・・と、言った方が良いのかも。そういう言い方をすると、私の場合は“記録”のためのもの・・と、呼ぼう。
 
     
     
     
    リフト西島駅でも小休止。少し“大剣神社”への路を行き、直登コースへと合流し“刀掛けの松”に着く。ここからは、一の森へと“お花畑コース”を取る。いつもの事で、剣山頂やジローキュウには何の未練も無い。

 行場へと降りる道になると、後ろから「どこまで降りるの、せっかく登ってきたのに〜」との声がする。
 
     
      
     
    この辺りは、真新しいパイプで路の補修がなされていた。全く景観を損なっているのだが、そんな事より、“道の管理者”は事故が起こらない事が全てなのだ。『事なかれ〜、事なかれ〜』で、全て終わってしまう。

 文句言う輩は“ブツ・ブツ・ブツ〜”っと、死ぬまで言っとけば良いのかなぁ〜。
 
     
     
     
    お花畑分岐の通行止め標識の場所は、頑丈な通行止めとなっていた。行者さん達が使っていた古の路は、果たしてどうなっているんだろう。それはさておき、随分と時間が押して来たので、ここでの撮影時間にさほど割けない。もう、15時前なのだ。

 遅くても出発は16時としたのだが、結局、15時半頃にはヒュッテに向けて出発である。
 
     
     
     
    お花畑分岐を今日の泊まり場のヒュッテへ向かう。この辺りは、丈は低いものの笹の緑を望める。しかし、笹の丈が低いだけでも辺りの様子は変わるものだ。随分と、見通しが良くなっている。『殉難の碑』分岐には、16時に着いた。ヒュッテまで10分。

 一年ぶりの一の森ヒュッテでは、大声の話し声が聞こえていた。
 
     
     
     
     
    先日、『2020年の東京オリンピック』招致が決まった。首相を始め、関係者のパフォーマンスが取り沙汰されているのだが、安倍首相の厚顔振りはどうなんだろうか?

作家の室井佑月氏は疑問を呈する。以下は、週刊朝日 2013年9月20日号からの転載である。

*    *    *

 法案成立後からずっと放置されていた「子ども・被災者支援法」は、放射線量基準値を決めないまま、福島県内33市町村を「支援対象地域」に指定するようだ。復興庁がそんな基本方針案を出してきた。

 線量を基準にしたら、もっと広い範囲に対象が広がりそうだからじゃないのか。ホットスポットが見つかった場所の放射線測定費として、国はこれまで6億4千万円の予算をつけたが、結局、原子力規制庁はなんにもしなかった。

 ほんとうにそれで大丈夫なの?

 この夏、増え続ける汚染水の問題が出てきた。しかし、それはオリンピック招致のニュースで消されてしまった感じ。収束の目処がつかない原発のニュースは暗いから、オリンピックの明るい話題にしましょうってことじゃないよね。

 こういった世の中の雰囲気についていけない。そして最近ではそういった自分に、罪悪感を抱くようになってきた。まるで、世の中を暗くしている元凶が自分なのではと思えてきたりして。そういう気持ちにさせられてしまう雰囲気が怖い。

 かろうじて雰囲気に流されていないのは、子供の親だからだと思う。

 じつはこの夏、息子の甲状腺のエコー検査と尿検査をしにいった。一度、心配してしまえば、不安な気持ちが大きくなるばかりだったから。

 結果、息子の喉には5個の嚢胞(のうほう)が見つかった。

 医者がいうには、そのこと自体はそんなに大変なことじゃないし、大事を取って二十歳くらいまで1年に1回、エコー検査と尿検査を受ければ問題ないのだとか。

 とりあえず検査して安心した? いや、あたしはその後、もっと暗い気持ちになった。

 福島やホットスポットに住んでいる子供のいる親たちは、どういう気持ちで今を過ごしているのだろうと想像するからだ。叫び出したいくらい不安なんじゃないか。子供を守るのは親の役目だから、あたしは間違ったことはしていないはずだ。うちは気にしているとあたしが正直に書くことにも意味があると思っている。

 でも、東京にいる者がなにやってんだと、後ろめたい気持ちにもなる。させられるのだ、今の世の中の雰囲気に。

 あたしは不思議でならない。「子ども・被災者支援法」に携わっている復興庁の人々や、ホットスポットの放射線測定費の負担事業を任された原子力規制庁の人々に、子供はいないのか。いたとしたら、自分の子供の心配はまったくしないのか。

 自分の子供が線量が高いといわれる場所にいたらどういう気持ちになるか、人として最低限の想像力をなぜ持っていない?

 国の方針に間違いはなく、絶対に信じられるものだという情報をなにか握っているなら、あたしたちにもわかりやすく教えて欲しい。時間が経てば経つほど、不安は増幅していく。


 長々と引用したが、小生は『室井』氏の辛口評論が大好きなのだ。私は、東京オリンピックの開催に反対している訳では無い。今、政治がやるべき事は・・、一番優先するべき事は・・何?

 震災・津波からの復興、福島の原発事故からの復旧・・。その目途もはっきりしないまま浮かれている場合じゃないでしょ・・と言いたい。

 福島の原発事故の復旧の目途が付くのが、50年後か?100年後か?1000年後かは判らないのだが、それから後にオリンピックを招致すれば良い・・・と、私は思う。

 もっとも、世界中の人々が「大災害や悲惨な事故からの日本の復興を応援しよう」と、後押しの意味で“日本でのオリンピック開催”を言ってくれるのなら、話は別なのだ。

 
     
     
     
   ・9月29日(日) 一の森ヒュッテ剣山頂上〜見の越〜松山  
     
    東の空が明るくなる前から相棒は起き出しているのだが、外はガスッているようで外に出る事は無い。昨日から同宿となった団体の人たちは、何年か前にも同宿となった団体さんだった。自炊の団体さんと一緒に私達も、6時過ぎから朝食タイムとした。  
     
     
     
    管理人のHさんは「朝起きると、喉がいがらっぽいのはどうしてか?と思ったら、昨晩しゃべりすぎたから・・」と言う。そう〜、久し振りに会えた私達同士でのおしゃべり時間が取れないくらいに、喋りっぱなしでした。  
     
     
     
    7時50分にはヒュッテを後にし、三角点から一の森へと尾根路を辿り、殉難碑分岐をお花畑へと帰路を取ったのです。  
     
     
     
    8時半頃には、精霊の森に着く。今朝もガスの中の森だった。それぞれが、思い思いの場所に三脚を立て、じっくりとシャッターを切っている。  
     
     
     
    森には、次々とガスが訪れる。  
     
      
     
    森を後にしたのは10時前だった。お花畑まで戻ると、登山者が何組か行き交っていた。今日は日曜日なのだ。もう使われなくなった旧道には、通行止めのロープが張られていたが、ここが旧道と判る人ももう少数なのかな?  
     
      
     
    源流の滝では、“ひよこさん”が、撮影タイムをコールした。私達は、『この先の祠で休んでいるから』と、先行してコーヒーを淹れることとした。祠で休んでいると、何組かの登山者が通り過ぎた。  
     
     
     
    行場の登り返しをなんとかクリアして、11時過ぎに刀掛けを通過した。昼食を往時に決めていた『時間のかかるうどん屋』に寄る予定だが、1時を過ぎるだろう。  
     
     
     
    もう、帰路は順調に降りる。往路とは違って、リフト横の路を選ぶ。元気なお年寄りに次々と道を譲るのは余裕綽々である。そして、12時には剣神社でチャリンの後“二礼二拍手一礼”である。  
     
     
    実は、小生は9月2日から近くの病院の検査・検査で忙しい毎日を過ごしていました。凡その検査結果が出たのを機に、9月最後の週を“一の森行”を決めました。そんな折り、“ひよこさん”夫妻が私に会いたいとの事・・・、丁度、“一の森へ行きましょう”というのが、今回の撮影行でした。

 そして私の病状ですが、暫らくは山へは行けません。入院治療となりました。そこの辺りの経緯については、ブログに詳しく載せていますので、そちらをご覧頂ければと思います。
 
     
     
    それにしても、10万人に約10人しか罹らない悪性リンパ腫におっちゃんが罹るなんて・・・。少なくとも私が知ってから、食欲もある、タバコも止めた、胃のピロリ菌も退治出来た、体重も増えた、と今が一番健康体だと思っていたんじょ。
 先生の、寝汗はかきませんか?、体重は減ってませんか?食欲は?熱は?の問いに全部「いいえ」と胸をはって言える健康体なのだ。しかし、喉の奥の腫瘤は「癌」ではなく「がん」なのだそうだ。検査をして待っている1週間、又検査をして待っている2週間は家でいては気が滅入るばかりだった。

 精霊の森の桂の精気を貰いに一の森に行けたのは良かったな〜。去年行った時に寄った『田舎で暮らそうよ』という名のうどん屋さんで私の写真集「精霊の森 剣山『一の森』」を買って下さる事になっていたので、帰路立ち寄った。そこで、今回作った「精霊の森 『森遍路』」の方も買っていただき嬉しかった。一宇のガソリンスタンドの方がwaiwai隊(大阪在住中に一の森に通っていた時によく給油していた)の事を覚えていて下さり、徳島で開催した写真展の事が新聞に載っていたとの事で、丁度持っていた「精霊の森 剣山『一の森』」写真集を買って下さったのも嬉しかった。

 私の写真生活の集大成の写真集「精霊の森 『森遍路』」が出来たのと、おっちゃんの病気が発覚したのとがぶつかってしまったけど、まだ初期の内に病気が見つかったのはラッキーと思って、わいわいさんには頑張って貰いたい。