藪漕ぎの楽しみ 黒岩山で雪のブナを愛でよう・・【2012年2月19日(日)】 先日来、相棒の目の調子がイマイチだ。そんな事もあって、本来、この欄の山行記録の“藪漕ぎ”とは言えないが、この時期の記録としてはあまり山行のサイトに登場しない山域という事もあって、敢えてここに登場と相成ったのである。 先週の笹ヶ峰行の際にお世話になったJoeさんからのお誘いは“滝の撮影”だったが、相棒が『この時期の黒岩山へ行こう』との希望もあって、その旨をJoeさんに連絡すると、気持ちよく応じて頂いたのだ。結果的には、Joeさんの同行があって実現出来た山行でもある。四国の山々は、夏と冬とでは様相が違う。それは、登山口の違いにある。夏、林道を奥まで入り山裾の登山口まで乗用車が乗り入れ可能である。四国の冬でも降雪直後は通行不能となる大量の積雪量の日がある。しかし、雪国と違って南国四国では、そんな日が何日もは続かない。そして、四国山地の雪は12月〜1月と1月末〜2月以降では様相が違ってくる。また、高度と登山道どちら側に付いているか(東西南北)という状況による変化も、雪道の難易度に変化がある。それは、日本アルプスのようには高度は高くないし、また、緯度も低く太平洋にも近い地理条件にもある。
四国山地では、あの急峻な道を辿る石鎚山さえも、冬季に長靴姿で行けてしまう場合がある。しかし、無事に辿りつけた山頂へ、翌日も辿りつけるかどうかは判らない・・・。それが“山”なのだ。先週の笹ヶ峰でも経験した事・・、数時間の違いで山の様相は一変するものだ・・という事だ。
【野地峰】 平成の大合併以降、私の住む愛媛県では“村”が消えてしまった。今日は四国でも数少ない村を訪れるのだ。その、大川村の公式hpには《日本一最小の人口、大川村。高知の大川村は、四国三郎・吉野川の源流域で西日本一の貯水量をもつ四国の水瓶・早明浦ダム、大座礼山のブナに逢える》とある。しかし、今日は、大座礼山のブナとは違う大きなブナに逢いに行くのだ。まずは、野地峰の登山口を目指す。
今回ご一緒のJoeさんは、こちらの山域は初めてだそうだ。大阪の山岳会所属の彼は、お知り合いで四国で興味を持つのは主に“沢登りルート”だそうで、その案内をしているそうだが、さほど標高が高くなくし、松山からのアクセスも悪いこの山域へは、初お目見えという事だったのだ。我が家を、ほぼ予定の時間どおりに出発したが、川内ICの掲示板に“川内IC〜伊予三島IC間通行止め”と表示されている。数日前に一旦緩んだ気候が、昨晩からの寒波の襲来で降雪があった。そんなに大雪(高速道路がストップするほど)とは思わなかったのだが、とにかく地道を走る。桜三里は道路にはもう雪が無い。順調に走り西条市のコンビニへ寄り、R11からR194の新寒風山トンネルへと向け進路を取る。車窓から垣間見る山は真っ白の石鎚だ。暫らくで雪道となり4WDにシフト変更だが、上手くシフト変更が出来ない。結局、4WD-AUTOモードのまま登山口まで走る事となった。“北海道にも住んでいた・・”、というJoeさん曰く“安全運転”で、登山口の山村広場(現在は整備されたグランドがあり、トイレもある)までは予想を超えて時間が掛かった。出発準備は“アイゼンもワカンも要らん”の、Joeさんの言だが、私はザックに忍ばせて準備OKは、9時25分だった。
山裾を廻るようにつけられているトロッコ道跡に付いている足跡は、野地峰への登山道へと続いていた。当然、この辺りでは登山道を覆うほどの積雪量では無い。ずっと続いている足跡は鹿のものだろう。所々、足跡と混じって円型の窪みがある。それが何かは判らない。夏季のゴロゴロ・ガタガタ道よりは、踝までの雪で均された道の方が歩き易い。朝方の日差しが随分暑くなってきた。さすが、南国高知は違う。上着を脱ぎ、汗まみれの体にもちょっと一服。ジグザグの夏道どおりに辿り、伐採された植林の場所を通過。野地峰から黒岩山へと続く稜線が青空にくっきりと浮かび上がっている。斜面の向きが関係あるのか、所々で膝までの雪の昇りに、脹脛が重くなってきた。相棒は先ほどから遅れがちだ。
夏だと水場の場所は、今の時期ツララがぶら下がっていた。われわれの場合、新雪が積もった道に青空が拡がる日の山行は、経験が少ない。植林を抜けると、もう稜線まで手が届きそうであるが、ジグザグの道は中々高度を稼げない。灌木に積もった雪が、道に覆い被さっている場所では、ピッケルで払い落としながら進む。そうしていないと、通り抜ける時に雪が、頭に降り注ぐ事になるからだ。稜線の反射板がみえて来たが、私の足がだんだん重くなって来た。夏だと一時間余りで着く頂上へは二時間余り掛かって、ようやく到着した。頂上では撮影だけで、少し降った反射板で小休止である。
【野地峰から黒岩山】 さて、小休止は定番のコンビニ弁当である。ここからは先頭を替わってもらおうと思っていたが、Joeさんは“そんな事は承知済み”と出発である。もう12時前だった、前方に見えるピークに向け稜線を辿る。Joeさんの後を追うのは大変だ。相棒はマイペースで歩くので、こちらはこちらのペースで歩く事とする。今は上着を二枚脱いで歩いている。
Joeさんは、時々我々を振り返りながら進んでいる。前方に見える山々も、振り返り見る山々も青空を従えている。また、木々に積もっている雪や、発達した霧氷は誇らしげに天の青と競っている。
遅れがちな相棒を待ちながらの前進も、当方のデジカメ撮影で時間調整ができる。尾根歩きの場合、小ピークを辿るのは常の事であるが、この時期、雪に隠れた岩場の足掛かりを探すのも大変である。
夏でも厄介な急坂の場所へ差し掛かった。Joeさんが悪戦苦闘している。結局、灌木へ体を入れて上がって行った。私も同じ要領でパスするが、問題は相棒である。足が上がらない硬い体は、同じルートを辿るのに時間を要した。相棒が上がって来るのを待つしばらくの間に、右手がジンジンして来た。私は、一月程前から近所の皮膚科に掛かっているのだが、治りかけている指先や掌のかさぶた部が割れてきて、水分が浸みると痛みを覚えるのである。ここまで、天候が良いのでオーバー手袋をザックに括り付けたままだったのだ。結局、心配していた最後の急坂は何とか上がれたのだが、予定より時間を喰ってしまった。
黒岩山の北尾根にある“目的のブナ”は、精一杯手を拡げ、太陽の光を全身に浴びているかのようだ。急いでエネルギー源を腹に収め、まずは主目的の撮影タイムである。相棒は、雪と霧氷を纏ったブナをあっちに行ったり、こっちに来たりと忙しい。私はというと、コンデジをぶら下げて、笹の中をウロチョロするだけである。
この記録を書いている最中、遭難騒ぎを聞く事となった。遭難騒ぎは、19日の石鎚も高瀑も“長靴姿のご婦人”らしい。同じように滑落したのだが、滑落した場所が危険個所だった故、一方では、残念ながら最悪の事態とならざるを得なかったのだ。ただ、ご冥福を祈るのみである。今や、TVの情報だけでなくネットの情報を元に霧氷見物や氷瀑見物を計画する場合がある。もちろん、TVでは、“ここへ行くにはこういう事に注意して下さい”式の注意喚起などしない事は、既に視聴者には織り込み済みの事である。しかし、情報収集の最新版である筈のインターネットでは、その種危険個所の情報収集が可能である。公営のサイトの場合、営利を含む思惑などが絡んで来る。それに対して、個人が発信源の場合は営利を目的としていない(例外はあるが)ので、収集した情報を自分で判断出来る。つまり、取得する情報の取捨選択が可能なのだ。 ここでの問題点は、どちらも冬の山へと入る事だった。石鎚の場合は、成就社まで簡単に辿りつける。しかし、八丁から前社森への登りに掛かると、もう、冬山に入ることとなるのである。前社森から先へは、夏と違い、天気の良い晴れた日の休日に入る場合とそれ以外の場合とでは全く状況が異なる。一方、高瀑の場合は、夏でも危険個所が点在する場所である。近年、ロープや梯子が整備されているものの、バランスを崩し足を滑らすと川床まで真っ逆さまの場所も待ち受けている。そして、木製の桟橋が朽ちている個所もある。確かに、合併前の小松町の観光案内には“高瀑渓”の案内もあり道も整備されていた。しかし、合併後の西条市では主要な観光場所からは外されているのである。近年、観光地ではレジャー施設などが整備され、渓谷の紅葉や滝見物などの単なる物見遊山などは若者からは見放されてしまった感がある。訪れるのは主に中高年層である。江戸時代後期より、日本人が育んできた感性は何処へ行ってしまったのか?まぁ〜、そんな事はいい。少々、話が逸れてしまったが、当方のサイトも他人事とは捉えない様努めるべく『ここへ行けました』式の報告だけではなく『何故、行けなかったのか?』などの情報も提供するよう努力しているつもりだ。冬山に限らず山歩きの場合、天候次第で計画の実行が不可能な場合がある。当サイトの“笹ヶ峰行”のように、数時間の違いで全く違う山歩きとなるものである。晴れた日のみの山行記録や、冬の日の休日にトレースの跡だけを辿る山行だけをアップしているサイトは、そのような事をわきまえるべきだと考える。 ここで小生がつぶやいているのは、インターネットで発信している情報の“危うさ”を、受け取る側に伝える事の大切さについてである。匿名性を良い事に、疑問や反論などを反映しないサイトと、そうでないサイトとの違いは絶大なのである。その点では、四国の山のサイトとしては《エントツ山さん》のサイトは出色である。
【帰路】 Joeさんが「黒岩山から直接集落の方へ降りれる道があるかどうか探してみよう」と、南尾根の降り口をウロチョロする。実は、私自身も昨年偵察していたのだが、スズタケの繁る斜面には足を踏み入れてなかったのだ。Joeさんも、斜面へ一・二歩踏み出したが、すぐに「ダメダ、引き返そう」と、雪に足を踏み入れると背の高いスズタケが起きてきて引き返せなくなる恐れがある・・、と断念したのだった。この下山路の探索に一時間を費やしたのだった。
結局前述の探索もあって、午後3時前に黒岩山から下山の途に就くのだった。昇りに難儀した斜面も下りは難なくクリア・・。この路は、滑っても滑落事故の心配が無用の路なのだ。往路に付いた壺足を辿れば良い。真っ白の雪を纏った四国の山々を見ながらの淡々とした下山は、反射板の場所に4時頃に着き、コーヒータイムとした。冬でも一日中陽を浴び続ければ、その威力は絶大である。朝方とは、もう随分様相が変わっていた。その陽も大分傾いている。日の入りまでに下山出来るのかなぁ〜、との思いがよぎる。
16時25分に再びの野地峰のお地蔵さんを通過。結局、この冬空の晴天の登山日和に我々三名のみだった。やはり、ネットで騒がれていない山域へは見向きもしない現状が、こんなところへ顕れるものかもしれない。
今日一日陽が差し込んだ雪道は、随分、朝とは様相を変えていて、所々で黒い地肌さえ見え隠れしている。稜線のアップダウンの路と違い、野地峰と登山口の間は、ジグザグの下りであり、また昇りでもある。結局、駐車場所に辿りついたのは、17時15分だった。帰路、道の駅“木の香”で夕食を取り家に帰り着いたのは、随分、夜も更けた頃だった。
黒岩山のブナ、私に手強くその素晴らしさを撮りたいのに思うように撮れないんだけど、霧氷が着いたらどうかな〜と思いをはせていたんじょ。前日皿ヶ嶺に行くと、今年は雪はそれほどでもないし夜には寒波と雪との天気予報だったんで行ってみる事にしたんじょ。Joeさんには前日にお誘いしたので事前の準備が出来なかったみたい。waiwai隊だけだったら、途中撤退だったわねぇ〜。(^^ゞ ブナは、霧氷の上に雪が積もっていて、大自然の中よく耐えていてくれましたという感じだった。青空に霧氷に雪・・・ それでもやっぱり手強いわ〜。
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