アカンダナ駐車場に着いたのは、pm8時過ぎだった。我が家から、高速道路を乗り継いで、10時間、しかし、明りに照らされた看板には利用時間と、付近での車内泊やキャンプ禁止と書かれていた。ナンテコッタイ・・。
 一刻も早く疲れを取りたい、明日の為に!
 どこへ行けば駐車出来るの?
 事前に分かっていれば、近くの道の駅を探して来たのに〜

 平湯温泉を一回りするが、何の当てもない。暗い中で雨が降っていては、何も見つけられないし、道の駅らしきものも無い。結局、交通量の少ない道路の道端を見つけ、仮眠を取ることとした。雨は、断続的に降っている。

 上高地への乗用車の乗り入れが禁止され、沢渡か平湯でバスを利用する事が周知の事なのだ。その駐車場が閉まる時間があるのはどういう事なんだ。それならば、深夜、無料開放の駐車場を設けるべきだと考える。それが無理なら、近くの駐車場への案内図ぐらい案内しておいてくれ〜〜。


【後日談】ネット検索にて、平湯の近くの“道の駅”として『奥飛騨温泉郷 上宝』がヒットしました。
明神館
2011年10月5日(水)〜10月10日(月)
槍沢ロッジ
 ロッジには、12時過ぎに到着。明朝の出発をam2時と予定しているので、個室を取ることとした。
屏風岩
梓川沿いを遡る
 事前にネットで入手した始発便は、6時50分だったが、アカンダナ駐車場に貼ってある時刻表では6時20分となっていた。大きな荷物の若者たちが沢山乗車してきたのが好ましい。近年の登山ブームは山ガールや山ボーイと呼ばれる人種が後押ししているらしいが、我々のホームグランドの四国界隈の山域ではあまりお目にかかれない光景でもある。しかし、ここ“北アルプス”では珍しいことではない。兎に角、30分余りの車上の人を我慢すれば、都会の喧騒とは別世界の上高地である・・はずなのだが、今の時期そう甘くはなかった。上高地も喧騒の時期に突入するのだった。そう、“紅葉見物”である。そして、我々もその一員なのだ。 
 小屋の夕食は、40名程だった。この時期この小屋の宿泊客は、平日は少ないそうだが「昨日も横尾が一杯なのでこちらへ流れて来たお客さんがいた」そうで、今日もそういうお客さんがいるのだろう、と談話室で暫し休憩。お向かいの部屋の人たちは、早々と布団に潜っていた。明日の起床予定は、am2時であったが、夜中に雨音の凄い音がする。
 心なし、梓川の水量も増えているように感じる。日本に近代登山という思想の礎を築いたウェストンの“槍が岳行”は、上条嘉門次を抜きには語れない。この草創期の登山は、案内人として地元の猟師を雇うのが常であった。その猟師達は、熊や鹿を追って山へ分け行っていたし、イワナを求めて峪を遡行していたのである。今回辿る槍沢には、その頃の臭いを嗅げる場所に出合える。梓川がその入り口である。そんな事を想いながら足を運ぶ。『帰りはいつものように嘉門次小屋へ寄ろうか』と、相棒に話しかけた明神に着いたのは、8時頃である。 
河童橋
・10月5日(水)〜6(木)
   
川内IC〜(松山・徳島・神戸淡路鳴門道経由、山陽・中国・名神・東海北陸道)〜飛騨清見IC〜平湯(高山清見道路経由)〜アカンダナ駐車場

 アカンダナ駐車場〜上高地バスターミナル、上高地〜明神〜徳沢〜横尾〜槍沢ロッジ(槍沢散策)

 部屋に上がる前にカウンターの“生ビール”の文字に素早く反応したのは、相棒だった。この最初の一口の旨い事。至福の時だ。もう、帰っても良い〜。この一口の為に、重い荷物を担いで来たんだ・・。んにゃことないじゃろ〜。≪明日の景色を見る為にきたんじゃろ〜≫と、一杯ぐびぃ〜っと飲みほし、部屋で一眠りの後、偵察にお出掛け・・。
 上高地から涸沢へは、三年前にも撮影で訪れている。その折りは、横尾に宿泊したのだったが、今回は槍沢を辿るルートなので事前に槍沢ロッジに予約を入れている。今回も小屋泊りなので、相棒の三脚を担いでも重量は16kg余りだろう。相棒も、ザックは小さいにも関わらず12〜13kg程度だろう。朝方まで降っていた雨は、上高地に着くと止んでいた。取り敢えず、横尾までの快適な歩きは梓川の向こうに垣間見える光景が疲れを癒すのに十分である。河童橋を7時15分頃通過。 
上高地バスターミナル
 上高地は、その昔“神降地”と呼ばれていたそうだ。この道筋には、由緒ある地名と由緒ある小屋が在る。“徳沢園”もその一つである。“氷壁”で有名になった小屋は、その昔、牧場の番小屋があった場所に、登山ブームの到来とともに建ったそうである。木曜日の朝はまだテントも数張りであるが、広いテン場も連休中は満杯となるんだろう。9時前のこの時間ではアイスクリームはまだ早い。 
槍沢の紅葉
 槍沢ロッジから30分程のところに、キャンプ場“ばば平”がある。一人用のテントと、2〜3名用の二張りがひっそりと張られていた。この辺りは、西岳から南に派生している赤沢山が近くに迫っている。大きな赤い岩がゴロゴロしている。落石注意の看板、そして、岩小屋の標識が建っていた。それにしても、辺りは紅葉していない。まだかまだかと紅葉を追う内に、水俣乗越への別れがある“大曲”に着く。今日はここまでとし、小屋へと引き返した。
槍沢ロッジの廊下
雲に隠れる
遠くに槍の穂先が
赤岩の落石群
ばば平のテント場
 梓川を挟んで見える山々は、西穂高岳〜明神岳〜前穂高岳へと次々と形を変えながら覗ける。我々はほとんどの場合、左岸沿いに歩いているので視界が開けていない場所では、梓川左岸の山々を望むことは出来ない。
2011年「waiwai隊」 秋の山歩きの記録(撮影山行)
 槍見河原を過ぎ、数年前テント縦走をした、常念岳や大天井岳を源として流れ込む“一の俣”“二の俣”に架かる木製の橋を渡ると、もう、槍沢ロッジまでワンピッチである。雨模様の朝から、一転しての好天気へと変わった日差しは汗を噴き出させるが、清々しい風が季節の変わり目であることを実感さすのである。
二の俣に架かる木橋
アカンダナ駐車場の朝
槍見河原付近
横尾大橋
大曲り
 バスターミナルから槍沢ロッジまででも、5時間はかかるし重い荷物だから疲れたんじょ。部屋で一眠りしてロケハンに出掛けたんやけど、ナナカマドの葉はちりぢり、枯れていたんでがっかりじょ。こうなると疲れは倍増よね。ロッジのパソコンで涸沢は2時から3時雨となっているのを他の人が見ていたのを横から見てたんやけど、良く当たるわね。
徳沢園
一日目
 横尾には10時前に到着。私達は、早い昼食とする。山での昼食と云えば、カレーである。食べ終わる頃、“山ガール”と呼んでも、この場に相応しくない服装の二人組のお嬢さんが現れた。この小屋での三年前の事件は“おばさん”だったのだが、今回は“お嬢さん”である。その内のジーパン、とっくりのセータ、スニーカー姿の一人が、小屋で働いているらしい女性を呼び出して話している。「こんな恰好で来てしまったの・・。涸沢まで行きたいんだけど。」と漏れ聞こえてきた。彼女の友人だろう小屋で働いている女性は、着替えとザックなど一式を小屋の奥から持って来た。程なく、小屋の前で其々の彼氏らしい人達と談笑し、横尾橋で記念撮影していた。我々、年金生活者ペアは、人通りの少ない(割合は、10:1か?いぃや100:1かも)槍沢へと道を辿る。
一の俣に架かる木橋