2011年・・「waiwai隊」の山歩きの記録  
   2011年7月15日〜16日  
     
    昨年から引き続いて、随分とご無沙汰してしまっている一の森行は、私の友人“U氏”の奥さん“ももさん”とその親戚の“蛍さん”が同行の山行である。(waiwai記)  
   
  夕景  
   
  ・7月15日(金) 自宅(東温市)見の越〜一の森ヒュッテ  
   
   “ももさん”とは10年前の5月26日〜27日にももさんの御亭主と私達の四名で富士の池からピストンした。その時分は、一の森の小屋番は加賀城さんだった。昨年に続いて松山道を利用しての、一の森行である。
 今回は、山登りの経験の少ない“蛍さん”が一緒なので、ゆったりと時間を取っている。いつものwaiwai隊の場合は12時過ぎに見の越なのだが、今日は10時前に到着した。
 
   
  10:0 リフトに乗る 西島  
   
   前述の事情などもあって、今回はリフトを利用しての山行(撮影行)となった。“蛍さん”とは、年明けの展示会(1月15日〜23日、ギャラリ〜画夢舎)以来の約束を果たす撮影行の実現となったのだった。
 今の時期はキレンゲショウマの開花には早いのだが、相棒の“精霊の森”撮影ポイントへの案内が主目的なので、刀掛けから行場の道を採るべくリフト駅に西島で記念撮影である。そこで事件発生である。私のコンデジの電池切れである。
 以下の写真は相棒の携帯での写真で賄うこととなった。
 
   
  お花畑を出発 11:30  
   
   行場では、防護ネット越しにキレンゲショウマの花芽が沢山付いている事が確認出来る。数年前には花芽の少ない年があり、「この先どうなるんだろう」と心配したものだが、自然の回復力には驚かされる。あと半月もすれば、観光客の眼を楽しませる光景に出合えるだろう。
 山歩きに慣れない同伴者の歩行に気遣いながら、お花畑分岐を追分への道を採る。“精霊の森”は、いつもの佇まいだった。ここで、小撮影会と休憩タイムである。
 
   
  13:0 お花畑に戻る オオヤマレンゲ オオヤマレンゲ の蕾  
   
   携帯での撮影は、画面が小さいのでどのように写っているかは分からない。また、“花モード”になったまま気付かず撮影をしている事も度々ある。今回の写真もそうなのだ。一時間ほどの昼食とコーヒタイムを終え、“精霊の森”を出発しお花畑に差し掛かる頃、ガスが上がってきた。
 お花畑の登山道には咲き残っていた“”オオヤマレンゲを見る事が出来た。
 
   
  殉職の碑 13:40 一の森ヒュッテ 着 13:55  
   
   お花畑から一の森ヒュッテまでは30分あまりの歩きで、14時前にヒュッテに着いたが、この間の出来あがった写真は、ピンボケのオンパレードだった。  
   
  いつもの風景  
   
   一年振りの一の森は、以前となんら変わり無かった。内田さんも元気そうに、忙しく立ち働いていた。相変わらず、お手伝いの女将も元気そうな様子である。今日の宿泊客は我々4名と、二組5名の9名だった。  
   
  18:57 18:59  
   
   早めの夕食はいつも通りである。夕焼けショーが始まる6時半ころには、ヒュッテの周りへと撮影会の始まりなのだ。思い思いの場所で三脚をセットし、各自辺りを歩きまわる。夕陽のドラマが終わると、月が上がって来た。勿論、相棒もその事は承知で“ああでもない、こうでもない”と、ブツブツ云いながらの撮影である。  
   
  19:17 月の出 19:21 月と一の森ヒュッテ  
   
   pm8時前に夕陽と月のドラマが終焉すると、明朝の撮影の為に就寝である。  
   
   
   
   
   近年、絶滅危惧種云々、温暖化による地球環境変化等など・・。私達の周りが慌ただしい。熊、猪、猿、鹿などによる被害が新聞紙上を賑わしている。また、植物や魚などの外来種による在来種の危機。数え上げればきりが無い・・と以前叙述したのだが、3月11日に起こった東日本を襲った大地震は、大津波とともに原子力発電所の壊滅的破壊による暴走を引き起こす大惨事となった。元の福島に復興するのに今後、何年(否、何十年か何百年か何千年かも)かかるものか不明である。事故前、直後、相棒が自身ブログに書いた文章を引用しよう。

≪3月15日ブログ≫

 当ブログの2月12日に伊方の亀ヶ池温泉に行き、入湯後にお昼を食べて、車で亀ヶ池の周りを走り神社が目についたので降りてみました。その神社は一宮客神社という神社でした。変わった木があったので、ちょうど通りかかったゲートボールに行こうとしていたおじさんに「あの木は何という木ですか?」と尋ねると、「ヨノミの木という木で、今は葉を落としているが実は食べれる。山にもたくさん生えとったが原発に一番弱いんじゃ」との事、伊方ならではの話です。

 1988年8月6日(広島平和記念日)に発売予定だったRCサクセションのカバーアルバム『COVERS』が所属レコード会社の東芝EMIから発売を拒否され、8月15日(終戦記念日)キティレコードから発売されてから23年も経ったんですねぇ。その忌野清志郎が逝って5月2日で二年、今の日本の現状を清志郎ならどう見るんだろうと今更ながら清志郎の不在を感じています。

ラヴ・ミー・テンダー

何 言ってんだー ふざけんじゃねぇー 核などいらねぇ  何 言ってんだー よせよ だませやしねぇ  何 言ってんだー やめときな いくら理屈をこねても ほんの少し考えりゃ 俺にもわかるさ

放射能はいらねえ 牛乳を飲みてえ  何 やってんだー 税金かえせ 目を覚しな  たくみな言葉で 一般庶民を だまそうとしても ほんの少しバレてる その黒い腹

何 やってんだー 偉そうに 世界の真中で OH, MY DARLING, I LOVE YOU  長生きしてえな −−−−

サマータイム・ブルース

暑い夏がそこまで来てる みんなが海へくり出していく 人気のない所で泳いだら 原子力発電所が建っていた さっぱりわかんねえ 何のため? 狭い日本のサマータイム・ブルース

熱い炎が先っちょまで出てる 東海地震もそこまで来てる だけどもまだまだ増えていく 原子力発電所が建っていく さっぱりわかんねえ 誰のため? 狭い日本のサマータイム・ブルース

寒い冬がそこまで来てる あんたもこのごろ抜け毛が多い それでもTVは言っている「日本の原発は安全です」 さっぱりわかんねえ 根拠がねえ これが最後のサマータイム・ブルース

あくせく稼いで税金とられ たまのバカンス田舎へ行けば 37個も建っている 原子力発電所がまだ増える 知らねえうちに 漏れていた あきれたもんだなサマータイム・ブルース −−−− (COVERS収録曲)

今も、テレビでおじさんが「東電に騙された」と言っています。又、ほうれんそう・牛乳に食品衛生上の暫定基準値を超える放射線量が検出されたと報じています。枝野長官は「直ちに健康に影響を及ぼす数値ではないことを十分に理解し、冷静な対応をお願いしたい」と述べています。

今はただ、福島原子力発電所の事故が一刻も早く鎮静化するよう願うのみです。

 この記述から、4ヶ月を経過してしまったが事態の収拾については予測不能の状況だ。今更ながら、人類はなんて愚かなんだろうか?と思わざる得ない。“入”のスイッチがあって“切”のスイッチが無いものを作り出した責任は誰が負うのか?それは、作った人か使う人なのか?売った人か買った人なのか?

 私達が始めて体験している“原子力事故”による放射線への恐怖。今後の生活に及ぼす影響は・・未知じゃないか?この経験を無駄にしてはならない。しかし、この事故を体験している日本で、今なお「原子力発電所の必要性」を声高に主張する輩が存在するのは何故なのか?日本の経済界の重鎮達・・。効率性?経済的?

 日本国憲法の前文には「
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と、述べられている。日本経済の浮沈の為に、私達の生命が脅かされても構わない・・そんな議論には庶民は組しないのだ。

 原子力発電所の停止により各電力会社から電力不足となり、協力要請された。しかし、暑い夏の電力不足に文句を言う国民は居なかった筈。国民は総じて協力し、被害に会った福島の人達を想い耐えている。耐えられない・・と云うのは“経団連のお偉方”だけだ。

 
   
   
   
  ・7月16日(土) 一の森ヒュッテ〜剣山頂上〜見の越〜松山  
   
   東の空が明るくなる頃にはヒュッテ前で、いつも通り撮影が始まる。昨日は、早くからベットに入ったので寝起きも快適である。昨夕とは、陽と月の配置が入れ変わり、ジロキュウの上に月が輝いている。月に照らされるジロキュが誇らしげだ。  
   
  朝のドラマ 4:38 ジロウギュウに沈む月  
   
   私のコンデジでは、朝陽が昇る前にシャッターを押すことは困難だ。しかし、今日は携帯での撮影なのだ。  
   
  ジロウギュウに沈む 4:51 一の森のシンボルに日が当たる 5:9  
   
   ヒュッテ前で、朝の光の中誇らしげに咲き競っている花々をカシャっと撮る。結局、撮影会を終えたのは5時半である。朝食を終え、出発の準備を終えると7時を回っていた。今日の予定は帰るだけなので、少しも慌てない。  
   
  シコクフウロ ナンゴククガイソウ  
   
   帰路は尾根道とした。  
   
  7:20 剣山頂上に向かう 頂上が近い  
   
   剣山までの道中は、三名のオバサン達の賑やかな話声が尽きない。オッサンの出る幕は無い。一時間程で剣山に着く。頂上小屋でお土産の買い物をする人。そして、トイレを借りる人。それぞれである。  
   
  宝蔵石 8:30 8:54  
   
   頂上で記念写真を撮り、下山開始は9時である。帰路はジロキュー寄りの大周りコースとした。こちらのコースは、距離が長くなるものの足に優しいコースと云える。しかし、思ったより大勢の人たちが上がってくるのに出合う。  
   
  ジロウギュウ   
   
   今の時期、今の時間、三脚を据えて撮る対象など無い。辺りの景色を眼に焼き付けての下山である。  
   
  御神水でコーヒータイム 爽やかな 山ボーイ 山ガール とすれ違う  
   
    大剣神社下の御神水で小休止。コーヒタイムである。そこにいた先客の老人はお賽銭箱をひっくり返して袋に詰めて立ち去った。一体何者?。10時前に御神水を出発。出合うグループに若い人達が多いのも何故?  
     
  10:33 西島  
     
    10時半にはリフト西島駅に着き、リフトで降りる。往路と逆の行程に加わるのは、下山後の温泉である。  
   
     
   それにしても、おっちゃんの準備不足は治らないものか・・・。カメラの電池がなくなるのはいつもの事だし、あれ忘れた、これ忘れたと日常茶飯事じょ。

 今回は、友達を案内しての一の森行だったし、なにがなんでも作品を撮らなきゃというプレッシャーもないので気楽な気持ちで行けたんじょ。8月31日〜9月5日のフジグラン松山での写真展の準備のプレッシャーはあったんやけどね。友達のビギナーズラックのおすそ分けも頂けて、まあまあの作品も撮れたんじょ。(*^。^*)