2010年・・「waiwai隊」の山歩きの記録  
   2010年9月11日〜12日  
   
    今年は、私の退職→自宅の建て替え→転居→年金生活の開始など、次々に厄介な事柄がやってきたので、一の森行を始め、山行自体が思うようには進めなかった。そんなこともあり、遠征山行も取り止めざるを得なかった。一の森の訪問も、実現出来たのは9月も中旬になってしまったのだ。今回は、八年振りの松山からの一の森行であった。(waiwai記)  
   
   
   
  ・9月11日(土) 自宅(東温市)見の越〜一の森ヒュッテ  
   
   久々の松山道を利用しての、一の森行である。もう、随分長い間使っていない感じがするが、これから何回利用するのか・・と、感慨に浸っている場合でも無い。八年前に大阪へ転居した当時、慣れない高速道路で続けさまに覆面Pにお世話になっているのだ。四国では、お世話になりたくは無いものだ。
 12時過ぎ、見の越のいつものそば屋さんに寄った。おじさんは、元気そうだった。
 
   
  12:20 登山口 いつのまにこんな階段が・・・ トリカブト  
   
   いつものように、剣神社脇の登山口を出発したのは、12時半を過ぎていた。歩き始めて直ぐ、今回も、相棒のストップの声で、リフトを潜った先で三脚を出した。そして、直ぐ先の、源流の碑がある“シコクブシ”の咲く場所では、ザックをおろす。  
   
  14:15 西島より 14:45 刀掛け  
   
   リフト駅の西島に着いたのは、14時を回っていたのだが、こんな事では慌てない。いつものペースである。刀掛けを14時40分過ぎに通過し、行場からお花畑を目指すのも、いつもの事である。  
   
 
シコクフウロ
 
  キレンゲショウマの実 穴吹川の源流の滝 15:5  
   
   当然、行場のキレンゲショウマの花は終わっていたが、花後の実が沢山付いていた。  
   
  お花畑への分岐は通行止めのロープが掛けられている お花畑の分岐で休憩  
   
   お花畑分岐は、以前の道は通行止めのロープで遮られていた。以前、相棒が足繁く撮影に通っていた時、行者さんの一人が帽子を崖の下に飛ばした箇所である。その場所は、登山道を鹿が駆け下りて、足の置き場が少なくなっていた箇所だ。  
   
  殉職碑のある分岐 15:55 一の森ヒュッテ 16:10  
   
   洵難の碑分岐には、16時前である。先週のヒュッテは一杯の客だったようだが、今日は宿泊客も少ないようである。一年振りに訪れたヒュッテの玄関に回って驚いた。小屋全体が防護網で覆われていたのだ。鹿による被害は、小屋の周りにも及んでいるのだった。久しぶりに会った内田さんとも、“鹿対策”の話に終始したのだった。  
   
   
   
   
   近年、絶滅危惧種云々、温暖化による地球環境変化等など・・。私達の周りが慌ただしい。熊。猪、猿、鹿などによる被害が新聞紙上を賑わしている。また、植物や魚などの外来種による在来種の危機。数え上げればきりが無い。
 全くの私見ではあるが、敢えてここで述べたい。

 ≪人類の誕生以降、地球上で王者として君臨してきたのは、今や人類である。振り返れば、私達が誕生するず〜と前には、恐竜が闊歩していたのである。人類の誕生は、恐竜の絶滅以降である。現在判明している事実は、恐竜の絶滅した6500万年前から遅れる事4000万年経過後に類人猿の祖先が誕生し、現在の人類の祖先は700万年前と推測されている。我々の歴史(有史)は、やっと数千年ということだろう。たかだか2000年前には、日本語の文字さえなかった筈(最も古い日本語の書物は、古事記:712年)である。

 何が言いたいのか?
 地球に生命が誕生以降、地球上から絶滅した種は無かったのか?否である。恐竜の絶滅も、マンモスの絶滅も、人類が地球上の最上位の位置を確保し、地球上を席巻して以降も同様の筈である。しかし、この項で提起したいのは、人為的(?)に(ここでは、必然で無いの意=防ぐことが可能の意)絶滅している種があることの認識である。つまり、人の手によって絶滅に追い込んでいる種を防ぐ事についてである。ずっと昔、否、つい150年前の日本。男たちは腰に刀を差し、頭にはちょんまげを結い、草履を履いて歩いていた頃の日本。人々は、身近の動植物たちと仲良く暮らしていた。犬、猿とキジを従えて鬼退治に出掛けた“昔話”や、“鉞担いだ金太郎〜”が熊と相撲を取る童話等などの例を出すまでもない程、自然や周りの動物たちと共生していた時代が続いて来たのだ。近年、確かに、先人は日本の国土から狼を絶滅に追い遣ってしまった。その付けが、今、やってきているという。しかし、鹿の食害被害が叫ばれる現在、その対策として狼を放てば150年前の自然に戻るのだろうか?
 否。確実に地球を取り巻く自然環境は、変化している。その環境の中、動植物は生きている。地球温暖化←これは、一万年前に終わったとされる第四氷河期という地球の自然現象のサイクルに関係なく、人類が起因となって、起こしている“人為的”な、つまり、作為のある現象である。過去の大規模な氷河期に大量絶滅した生物も、氷河期の終焉とともに、生き延びた種が新たに成長を遂げて来た。現在も、成長の途上と考えるのか?退潮に向かっているのかは判らないが・・。そのサイクルは、私達人間が指折り数えられるサイクルでは無い。

 要点が不確なまま書いているので、読みにくい文章となっている事については、勘弁願うとして・・
 私が『人為的』としているのは、産業革命以降の人と地球との関わりについてである。“産業革命”こそが、地球環境を襲う大きなエポックと考える。昔々、日本人は自然を敬い、畏れ、そして共生してきた歴史がある。現在日本、夜中でも赤々と照らすコンクリートに囲まれたビルディングの中で暮す私達には、忘れ去った景色は、見えないのである。私達に、何が出来るか?については、次の機会に譲ろう。≫
 
   
   
   
  夕焼け小焼け 次郎ギュウ方面  
   
  ・9月12日(日) 一の森ヒュッテ 〜お花畑〜見の越〜松山  
   
   一の森での夜明けは、いつも通り撮影から始まる。雲に覆われた東の空に朝陽が覗く時間なのだが、体よく陽が姿を現すことは無かった。しかし、朝陽が雲を染めた図は、御覧の通りである。  
   
  夜明け 朝陽  
   
   ヒュッテの前に悠然と立ち枯れている木々は、大風が吹き荒れたら倒れてしまう運命にある。いつまでもこの光景が保障されている訳ではない。  
   
  ヒュッテ前の白骨樹 トリカブト  
   
   お花畑の植生も、何年か前から変わってきた。これらも、鹿の食害の影響なのか? はたまた、温暖化のせいなのか?因果関係は不明である。しかし、双方が互いに影響しあっているのも確かである。  
   
  アサギマダラ 名前不明の蝶  
   
   前回『相棒が森に惹きつけられるのは、私達人類の祖先が生まれた場所が森だったからかもしれない』と述べたが、人の手に寄って森が失われ、そこで生活していた動物たちが追われ、植生が変わり行く現代。もう、二度と人間が森に還る事は出来ないのか?
 コンクリートジャングルが、そんなに居心地がいいのか?『そういうおまえも、街に住んでいるではないか?』という声が聞こえる。
 
   
   登山口着 11:15  
   
   一の森には、随分通った。何年もこの森を見守りたいものだ。しかし、四国に帰郷したのを機に、石鎚山系や他の山域の森にも出掛けたいし・・と、欲張っている近頃でもある。  
   
     
    おっちゃんが退職後も、いろいろな手続き、家の新築・コンテナに預けた荷物の引越し、6月の写真クラブの写真展を終えて大阪から引越しと忙しかったんじょ。その後は、毎日が日曜日と思っていたら、そうは問屋が卸さんかった・・・。8月に予約を入れた日は予約が一杯という事で、やっと今回行く事が出来たんじょ。

それにしても、おっちゃん、こんな事じゃ働いていた時の方が予定がたったやないの〜。 ($・・)/~~~