藪漕ぎの楽しみ
奥の深谷を辿る・・比良山系【2008年4月26日(土)】
【アクセス】 今回の計画は、昨年12月に当ページに載せることとなった『迷路を歩く』の奥の深谷の渡渉地点の確認を兼ねた山行計画だった。どういうルートで計画実行に移すかは、自由自在なのだ。結局、相棒の撮影と前述の思惑のどちらも満足出来るようなルートを選ぶことが今回のルートだった。 基本的にこのページ(薮漕ぎ日記)に載せる山行記は、地図上の路が記されていないルートを辿った時である。牛コバから奥の深谷の道から摺鉢山〜烏谷山へのルートは、登りに使うのがいいのだが・・今回は、“掟破り”の下山路に使うこととした。尾根筋の下山は一歩間違うと手痛い目に遭うことは承知の上での計画の実行である。 さて今回の登山口は、坊村の地主神社脇の林道を少し入った場所へと愛車を停めて、牛コバをめざす。
【坊村(明王院)〜牛コバ〜〜奥の深谷(大橋)】 《山と渓谷社(フルカラー特選ガイド30(p59)》に掲載
明王院前にある駐車場は、登山者の車で一杯だった。出発準備をする登山者は、中高年の人達である。彼らを横目に、私達は明王谷林道を少し入った駐車場所に愛車を停めた。8時半だった。
明王谷林道は、明王谷沿いに牛コバまで続いているのだが、一般車は通行禁止である。暫らく歩くとガイドブックの記述には『比良修験者の休憩所と案内された朽ちかけた小屋』がある。しかし、比良山系に通い始めて六年になる私は『比良修験者』には出会ったことが無い。四国の霊峰“石鎚山”や“剣山”では、修験者に出会うのだが・・。もっとも、大峯山系でも修験者に出会った事がある。
直ぐ先に、『三の滝』の案内がある。最近降った雨のせいか、右手の崖から水が林道に降り注いでいる。爽やかな空気が一面を包んでいた。
右手からワサビ谷が流れ込んだ場所が、白滝山の登山道だった。直ぐに“口の深谷”が合わさり、“シラクラの壁”が垣間見える。そして白倉橋の袂に、昨年暮れに降り立った“例の路”が隠されていた。中の渡り橋、そして奥の渡り橋を渡れば白滝谷が合わさり、ここから奥で明王谷が“奥の深谷”と名を変えるのだろう。
その左手に続く路は烏谷山の北面をトラバースぎみに高度を上げ、奥の深谷へと辿ることとなるが、ここで一服とする。
画像にマウスポインタを置くと説明があります
再出発後、牛コバからはつづら折れに路が高度を増す。今日の下山地点の特定しておく必要もあって、目印に注意しながら、噴き出す汗と格闘しながらの歩きである。植林の中にうんざりするほど続くつづら折れの路は、奥の深谷の沢の音を遥か下方へと追いやる。前方から、下山者が降りて来た。その方は、二本の釣竿をリュックに挿した釣人だった。相棒が「釣れたんやろか?」と、話しかけてきた。路の脇の大杉に付けてある、ハデな印が目に入った。この場所が今日の下山地点であることを物語っている。これから先、路はトラバースぎみに続いていた。相棒は「ちょっと休憩して、撮影よ」で、小休止である。相棒は、新芽の噴き出したブナの大木を被写体とした。今日持参した三脚は、自称“ユルユル三脚”である。
いくら冬が厳しい年でも、遅くまで降雪があろうとも、必ず春がやって来る。木々も芽吹きの時期である。草花も芽を吹き、花を競う。そのそれぞれが、その花の色を競う。“私の方が綺麗よ!”と、誇らしげである。対岸の斜面には、昨年末歩いた“例の路”が刻まれている。新緑の薄緑色の梢越しに、それを垣間見ることが出来る。その新緑に映える薄いピンクの花は、山桜であることは誰もが知っている。道端のショウジョウバカマは、まだ咲きそろってはいない。しかし、足音は確かに聞こえる。春の足音は、足早に通り過ぎる。
撮影が終われば、出発である。ここからは下降ぎみに路は続くのだが、右手からの沢が、登山道を壊している場所に出会う。そんな所には、トラロープが張られているのだが・・。相棒は、昨年通った路(対岸の路)とは比較にならないように、容易に通過している。そんな路端に、目的の花“イワウチワ”が咲いている。
何度かの崩壊箇所をやり過ごせば、沢の音が大きくなって、奥の深谷の渡渉地点が近くなる。私の持っているガイドブック(1999年版)では、橋が架かっていた。しかし、今はも〜う〜無い♪♪ 。
相棒は、渡渉地点(右の写真)で靴を脱ぎ裸足で沢を渡ったのだった。そこが、渡った場所の直ぐ先が、昨年末の“例の路”との分岐地点だった。仰々しい印、仰々しく導くペンキで書かれた印、それが“男道”と呼ばれる路。「誰でも間違うわなぁ〜」と、相棒が仰る。そんな場所である。
左の写真が、大橋小屋から歩いて来て見える風景である。(今回は、反対方向から辿ってきたのだが・・)そして、右手前方へと(下の写真の箇所に)導かれたのだった。その後の顛末については、昨年12月の“薮日記”をご覧いただきたい。
左手の“小川新道”を見送って大橋小屋へ着く。単独の男性とすれ違い、挨拶を交わす。
直ぐ先にある“スリバチの水”は、コンコンと水が溢れている。相棒の給水タイムである。その上の斜面には、相棒のお目当ての“イワウチワ”の群落である。しかし、この先の群落が大本命だそうで、ここでは給水のみでカメラはザックの中から取り出すことはなかった。
毘沙門岩の脇をすり抜け、足は自然に速くなる。目的の大群落だ楽しみなのである。
その場所には、息を呑む風景が広がっていた。
撮影時間は一時間半にも及んだ。その割には、思ったようには撮れないのが写真である。撮影を切り上げ、出発準備をしていると、単独の男性が来た。この路は、単独者しか通らないのだろうか。
さて下山の路は、南比良峠へと計画していた。往路に通った毘沙門岩を通り、再びの“スリバチの水”まで戻る。そこには、三度目となる単独者が休んでいた。その人は、アイゼンにメットの出で立ちだった。「ゴールデンウィークに、白馬の大雪渓へ行く。これから金糞峠へ・・(正面谷を降りるそうだ)」と、足慣らし訓練との事だった。
分岐から南比良峠への路は、踏み跡は薄かった。しかし直ぐに「ちょっと撮影する」との相棒の声である。“コミヤマカタバミ”の色付きを撮るのだった。
南比良峠の直ぐ下に、水晶小屋が建っていた。ちょっと時間が押しているが、今の季節なら少々暗くなっても歩けるだろうが、少なくとも、暗くなるまでには登山道に降りなくては・・。
荒川峠では撮影のみである。南比良峠からの尾根道には、残雪の名残がある。まだまだ春は訪れていない。烏谷山の手前で小休止である。
休んでいると、相棒が「何か声がする。それも若いグループやねぇ〜」との事である。そのグループは、「今日は、比良スキー場までです」との、大きなザックを背負った学生たちであった。新入生歓迎山行だろうか。羨ましい〜〜。
摺鉢山までは、小ピーク(コブと呼ぶほうが相応しいのかも)が三個ほどあり、アップダウンを繰り返しながら高度を落とす。
尾根の路は、北北西を指している。所々に、古びた赤テープや黄テープがある。この辺りは、左手が杉の林(植林だろう)で、右手は自然林だ。遅い春の景色は、前方が見渡せて気持ち良い。
摺鉢山の頂上は、何も無い。テープに巻かれた「摺鉢山頂上」のメモを見付けなければ、通り過ぎてしまう頂上風景でもある。ここでも、撮影のみだ。
ここからの下降が問題である。烏谷山から摺鉢山の間は、目標となるピークがあるのだが、ここからは、降るのみである。その降りは、歩き良い勾配が続いていた。また、黄テープを辿って行けば問題なかった。ただ、地図上は尾根は900m付近で左へと振っているので、そこを見落とさないように注意が必要だ。
そして、曖昧な尾根の場所(馬鹿尾根と呼ぶ)で、黄テープに巻かれた『下りは、左へ』と書かれたメモに出遭った。山慣れた人が付けた目印だろう。的確な指摘でもあり、全く有り難い。
この辺りまで高度を下げると、木々の新芽とともにクロモジやタムシバの白や黄色の花を付けた木が目立ち始めた。そして、所々で、イワウチワの花まで咲いている。
前方に、ヌタ場みたいな水溜りがあった。近くで見ると、カエルの卵のようだった。「こんな山中にカエル?」・・自然とは素晴らしいものだ。様々な営みが繰返されるものなんだ。改めて感心する。
テープに導かれての下山は、朝、確認した登山道へと4時前に辿り着けた。ここから牛コバまでは、つづら折れの道を脚を踏み出せば良い。こういう山行の、こういう場面では定番となった。口笛を吹きながらの下山である。
淡々とした下山は、牛コバで小休止である。また、明王谷林道から、今日の駐車場所までの心地よい歩きは、いつもの山行と一緒である。
牛コバへの下山路は2002年9月21日に通った事があるんで知っとったんやけど、仰々しい印を見て「昔の路は崩れて、新しく付けられたんとちゃう?」と、何かで読んだような気がしたんで、おっちゃんに言って男道に入ってしもうたんやけど・・、その場所の写真を撮ってなかったんで今回改めて行ってみて「やっぱり、知らん人やったら間違ごうて行くわな〜」と思うたんじょ。 イワウチワは、去年通った時にイワウチワの葉がたくさんあったんで咲くだろうと目星をつけて、ちょっとお掃除をしておいた場所に、予想通りにいっぱい咲いとったんで嬉しかったんじょ。ヽ(^。^)ノ
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