2008・・「waiwai隊」の山歩きの記録  
     
     
    一ヶ月振りの一の森だ。今回は、「梅雨の合間に一の森へ集まろう」と、ネットの仲間へ呼びかけての山行だった。しかし、ネット仲間の繋がりは、既設の「会山行」と同様には行かないものだ。それも、有料小屋での一泊という制約付きでの呼びかけだったので、メールでの呼びかけに対して断りの連絡が大半となった。  
     
     
     
   ・7月5日(土) 吹田〜見の越〜一の森ヒュッテ   
     
    大した準備もなく、いつものとおりの出発である。「梅雨の合間」の予定は、四国地方の梅雨明けが前日に発表された。いつもの通り淡路島経由だが、淡路ICを過ぎる頃、豪雨が雷とともに襲ってきたのだ。高速道路のアスファルトの上は川の様相で、ワイパーがふき取る前に雨がフロントガラスを覆うので、前方の視界さえ確保出来ない状態となったので、もよりのPAで一服する。その淡路島南PAには、同じ考えのドライバーが集まってきた。  
     
  ねむの木 登山口 10:15  
     
    梅雨明けの翌日の豪雨は、あたりの木々の緑を一層濃くしていた。一ヶ月振りのR438号線沿いに、ねむの木も花を付けていた。いつもの道順で、見の越に着く。いまにも降りだしそうな天候の中、合羽を羽織って出発である。  
     
  刀掛けより  剣山 11:20  
     
    今回も、相棒の撮影対象は少ない。“オオヤマレンゲ”の花は『今週は、満開やろ』との内田さんの電話での話しなのだが、刀掛けで昼食としてお花畑へと踏み出す。行場の“キレンゲショウマ”の花芽も成長していた。その花を咲かす時期には、この路は行楽客の列で埋もれることとなる。  
     
  精霊の森 13:30 バイケイソウの群落  
     
    行場を降りる頃、豪雨がやってきた。朝方の雨とよく似ていた。直ぐ下にある“両剣神社”で雨宿りとする。その祠に三脚を抱えた男性が駆け込んできた。お花畑の近くまで行っていたそうだが、この雨では撮影どころではない。小降りになるまで40分くらいかかった。行場やお花畑には、鹿除けのネットが張り巡らせている。オオヤマレンゲは、森の中に次々と白い花を咲かせている。ネットに守られた花の撮影は難しいが、現在の状況では遠目での見学となるのは仕方のないことだろう。  
     
  オオヤマレンゲ 15:0 オオヤマレンゲ  
     
    今年はバイケイソウの花がたくさん付いている。この花も、3〜5年に一度、多くの花を付けるそうだ。鹿は、毒のある芽は食さないみたいだが、食べる植物の種類は次々と変わっているそうだ。自然の成せる技(?)は、植生などにも影響を与えるらしい。撮影は、早々と切り上げる。一の森ヒュッテには、4時過ぎに到着した。  
     
  エントツ山さんご一行様 到着 18:30 歓談  
     
    いつものように、小屋の裏にあるトイレ側から入る。小屋には、香川からの家族連れがいるだけで、“ネット仲間”は、誰一人到着していなかった。「高知の二組は5時過ぎになる」との内田さんの話しだった。相棒は、部屋へ荷物を置き、濡れた下着などを着替えて「ちょっと寝てくる」と引っ込む。私は、香川の家族さんたちと雑談である。
 夕食の準備をしている5時半ころ、“与力さんご夫婦”と“旭の岩屋さんご夫婦”が到着。久し振りの再会であった。内田さんが「エントツ山さんから連絡があり、宿泊は二名で食事は三名で・・」と電話があったが、何処にいるか聞かなかったとの事なので、先に食事とする。

 香川からの三名の家族を合わせて、楽しい夕餉である。場が盛り上がり始めた頃、ヒュッテの窓に人の影が・・“エントツ山さんご一行様”の到着だった。
 
     
   香川の親子  
     
    メンバーは、エントツ山さん、マーシーさん、鬼手佛心さんの三名だった。私は三名とも初対面だった。今回の“オフ会”は“呼びかけっぱなし”で、参加者は直接小屋への連絡としたので、私は参加者の把握をしていないという・・無責任な計画だ。また、昨日になりキャンセルとなった三組の人たちや「あまり多勢の人とガヤガヤ言うのが好きでない」などの、断りのメールなどもあった。  
     
  宴たけなわ   
     
    兎に角、お酒をたしなまない“エントツ山さん”を中心に、ワイワイ・ガヤガヤと夕餉の楽しいひと時は過ぎる。そんな中、エントツ山さんのサイトでお馴染みのマーシーさんのイメージが違っていた。ごっつい“山ヤさん”を勝手にイメージしていたのだが、「全くの好男子!」との相棒の言を借りるまでも無い。一人歩きするインターネットのサイトでのイメージは恐ろしい。今宵は酒の量を控えている感じのマーシーさんに引き換え、どんどん進む鬼手佛心さんや高知の二組(与力さん、旭の岩屋さんご夫妻)。
 話題は、エントツ山さんの転職の話し、相棒の“リウマチと写真”の話し、山のサイトでの運営の話しなど多岐に渡ったようだが、私は酔ってしまったのか・・あまり記憶が定かでない。
 
     
     
     
     
    前回、『ピークハンティングに帰れ』と叫んだ“松濤明”の(徒歩渓流会・会報【1947.10】)から引用してみる。

 戦後、中断していた登山界も復興の兆しが出始めた頃、彼は、1946年12月に山への復帰を決意したのだった。彼の徒歩渓流会での山行は、『復員後』の新たな船出となった。その書き出しは『スポーツアルピニズムは登山界を風靡している。』であるが、以下のように続く

  今日のわれわれの観念からすれば、羚羊撃ちや地質探査は登山と呼ばない。しかし、それは漁師や鉱山師が谷から谷を探り歩いたり、山の腹を捲いて歩いたりする場合のことであって、もし彼らがーー本意ならずもーーエベレストの頂上に立ったとすればやはりわれわれはそれをエレベストの登山と認めるであろう。スポーツの場合も同様であって、沢を遡行して登りつめたところから漫然と尾根を下ったり、山の裾の岩壁を上り下りすることが、何故に登山と言えるのであろうか。
 ・・・だが、スポーツであるにしても、なんと未抹消感覚的、病的なスポーツであろう。芯からの逞しさや、均衡のとれた豊円さはとても感じられない。そしてこれで満足させられるようなスポーツ感情はなんと病的なものであろう。多少穿ち過ぎた推測かも知れないが、「他人がどう登ったから、自分はどう登る」といった競争意識、登山技術のみをもって人間の格付けをしようとする技術偏重主義、あるいはさらに進んで、取るに足らない小さな谷や尾根を漁り歩いて、それが前人に取り残されていたがゆえに、自分がひとかどのことを成しとげたように思い込む功名主義など、皆こうした病的趣味に根を発しているのではなかろうか。

 
として、次の言葉で締めくくっている。

 踏みならされた登山道を、十年一日のごとく頂へ通うピークハンティングはわれわれの採るところではない。自己のオリジナリティによって登るべし。しかしそれを排斥するあまりに、われわれ自身が妙な方向に趨ってしまうことは厳に戒めねばならない。古い盃に新しい酒を盛って、われわれは昔ながらのピークハンティングの中に健全なスポーツ的感興を求めていこう。

 彼は、登山の中でのスポーツ的側面の位置づけについて、警鐘を鳴らしているのである。単に、スポーツとしてだけ山登りを捉えるべきでは無い。前回は『登山の定義』として私見を記したが、山へ登るという行為の中で、スポーツ的要素のみを強調するあまり、本来の“山へ登ること”の楽しみを見失っているんじゃないか・・との言葉として、私は読む。

 初心に帰ろう。私達は、山が好きだから山へ登ってきたんじゃないんだろうか? ただ、山が好きなだけ。
 
     
     
     
   ・7月6日(日) 一の森ヒュッテ〜見の越〜姉宅  
     
    相棒は、今朝も早くからカメラを抱えて撮影に出た。私は、ベッドから起きだすことは無かった。相棒と、エントツ山さんは、朝早くからカメラを抱えて走り回っていたみたいだった。それぞれの組は、朝食後、下山のルートを予定している。昨日、内田さんに連絡してきた“勝ぼうずさん”は、8時ころ「龍光寺に着いた」そうだ。  
     
   
   マーシーさん撮  
    朝食後、三々五々それぞれのコースで下山である。私達は、“勝ぼうずさん”の到着を待つこととした。出発準備をする最中、小屋にメット姿の二人連れが訪れた。徳島のK田さんの訪問だった。私へは事前に、断りのメールがあったので、その訪問には驚いた。
 後で判ったことだが、以前からメールのやりとりをしていたK田さんとは「実は10年ほど前に、一緒に山へ行った」とのことで、相棒の「やっぱり、あの時のJAの人やったんやわ」と思い出したのだった。おまけに、K田さんの連れのS山さんは、スーパー林道を歩いていて、
車に乗せてもらった方・・という縁だった。お二人は、ネットに載るのを避けているようで、今回の小屋泊は遠慮したみたいだったが、お知り合いには“今回の件”を案内してくれていたのだった。その二人は“槍戸山からほら貝の滝へ降りる”と出発した。
 
     
  ほら貝の滝へ出発する マーシーさん 8:55 二人を見送る  
   与力さん撮             
     
    小屋前での集合写真は、私のデジカメのタイマー設定の誤りで上手くいかなかった。“エントツ山さんとマーシーさん”は“ほら貝の滝”へと沢を降りていった。同行の鬼手佛心さんは、剣山へと道を採った。高知の二組が出発した頃、小屋の外で『わいわいさんはどちらですか?』の声がする。香川の“kyoさん”だった。ご夫婦での訪問である。もちろん初対面で、相互にサイトへの訪問が無かったのだが、同じ“山のサイト”を運営していることもあって、共通に感じるものも多かった。庭先での雑談は話しが尽きない。  
     
  コメツツジを写そうとする鬼手佛心さん 与力さんご夫妻 旭の岩屋さんご夫妻 仏心さん下山 9:16  
     
    kyoさんは、『槍戸山へ寄って降りる』ことだが、私達は『誰も居ないのでは・・』と、“勝ぼうずさん”の到着を暫らく待つこととした。しかし、遅い。10時半を過ぎ『遅いなぁ〜、電話しても繋がらんのじゃ〜』と、内田さんも心配顔である。11時まで待とうかと相棒に言う。その11時前に『お〜〜ぃ』と、噂の本人の登場である。。  
     
  かつぼうずさん到着 10:50   
     
    初対面で、皆んなの伝言『まだ アホな事しとんか〜〜』『待ってられんわ』を相棒が伝えると『アホ・バカ・マヌケと叱って下さい』と恐縮しきりだ。そして『飯をくれ〜』と内田さんに叫んだ。暫らく“勝ぼうずさん”の労(JR徳島駅を前日の13時に出発して、一の森へ11時に到着する)をねぎらい。帰りの車での打ち合わせ(見の越からもよりのJR駅まで送ることとかった)をして、小屋を後にした。  
     
  記念撮影  
     
    下山は、いつものようにお花畑経由で刀掛けである。昨日は、突然の豪雨ということもあり、行場に咲く花々を撮れなかったので、それらを撮りながらの下山である。。  
     
  おくさり ヒメフウロ  
     
    行場に差し掛かると、kyoさんご夫妻に会う。『一の森に寄ったら、勝ぼうずさんが食事していた』とのことだった。刀掛けのベンチで昼食だが、相棒は“刀掛け”から頂上への直登の道に咲く花“イシダテクサタチバナ”を探してくる・・と、カメラを抱えて行った。直ぐ上で、両手で○の合図である。相棒が三脚を持って行くと、暫らくの時間は必要である。待ち時間中に降りてきた人が“勝ぼうずさん”だった。「いやぁ〜、ガソリン切れを実感した」そうで、食事を摂ったら元気が出た・・と、またの再会を約して分かれたのだった。  
     
  ヒメレンゲ   
   エントツ山さん撮  
    西島駅に着くと、先ほど分かれたkyoさんたちが腰を掛けていた。そこへ朝方“ほら貝の滝”へ降りていった“エントツ山さんとマーシーさん”が降りてきた。ここから暫らくご一緒の下山となった。何の因果か、昨日からの出会いが続くものだ。  
     
  エントツ山さん マーシーさんと 一緒に下山 夏つばき 撮影  
  バイカウツギ 下山 15:0  
     
    登山口の近くに咲く“夏つばきの花”を撮るため、エントツ山さんとは別れた。今回の“花”の写真は、ギンリョウソウを含め5〜6種類だった。見の越には予定通り、ちょうど3時だった。“勝ぼうずさん”は、知り合いに逢ったので、その方と一緒に帰宅するとの事であった。  
     
  ひたすら食べる 牡鹿  
     
    駐車場で、帰り支度をしていると「鹿がいる」との声だ。駐車場の直ぐ上で、雄鹿が食事中だった。こんなに人が沢山集まる界隈にも鹿が姿を見せる。“鹿の食害被害”は、想像以上に深刻なものとなっているみたいだ。大阪へ転勤後に経験している“大台山系”と同様となっている。  
     
     
     
     
    情報の氾濫などと呼ばれる現在、ネットの及ぼす影響が無視できない状況が生まれている。そんな中、当サイトを含めて、山のサイトでもその運営者自らが自主的に規制すべき“何か?”を考える時期にあると思う。もちろん、その事を他者に押し付けることは出来ないし、断じて、そうすべきでは無いと、私は考える。

 現在“山歩きサイト”を公開する上で、考慮すべき問題点として思いついたものとして、
 
 ◆ “絶滅危惧種”への対応はどうすべきか?.....hpでの公開の際の配慮。
 ◆ “山歩きサイト”はどうあるべきか?...不必要な情報を公開していないか。
 ◆ “山歩きのマナー”について、サイト上での啓蒙が必要。
 のような問題などである。

【絶滅危惧種の公開について】
 現在、地球の温暖化やそれに伴う生態系の変化などによって、動植物の絶滅が危惧されている。これらの絶滅危惧種を公開する場合に、場所が特定出来るように記述しない。《例えば、地図上に記述しない。また、登山道の記述に於いて場所の特定をしないなど・・。》
 《その理由に就いて》
  花を採る(採って帰る)事を目的に山へ行く輩が存在するから。また、山歩きの目的に、希少価値のある可憐な花々に巡りあいたい・・との思いで『連れて行って登山者』が存在する。もちろん、仲間内だけの『連れて行って』ならいいのだが、バスなどを利用する営利目的での『連れて行って登山者』が問題である。何故なら、動機が不純(あの花を見たい!・・だけ)だから・・なのだ。自分の足で歩いて、探そうよ・・地図を片手に。(でもねぇ〜、自分では行けない人もいる訳で〜、西大台ケ原(規制前)駆け込みツアーや、ポンポン山福寿草ツアーに遭遇した事があったけど、連れて行く側の問題だと思う。千代)


【不必要な情報の公開について】
 新たなルート(登山の)を作ることを目的としないで、ただ自分の歩いた軌跡だけを地図上に記し、サイトへ公開することは必要なのかどうか?もちろん、市販のガイドブックに記述されている道が間違っている場合など(この例はよくある)や、道が新たに付け替えている場合などは、その旨を記すのは当然ではある。

【山歩きのマナーについて】
 この件については、サイト上にて出来る限り、啓蒙活動を進めるよう心掛けよう。



このような提言は、当サイトでは初めての試みですが、最近、ネット社会の“歪み”が言われている最中、私たち自身が心掛けなければ・・と。
 
     
   【後書き】
 今回の“無計画な計画”にご参加して下さった皆さんに、この場をお借りしてお礼を申し上げます。又の機会がありましたら、その節は宜しくお願い致します。
 
     
     
    オオヤマレンゲの撮影は、「まあ〜 こんなもんでしょ」の写真しか撮れんかったけど、楽しかった〜(*^_^*) 旭の岩屋さんには虫刺されに良く効く軟膏を頂きました。美味しいお酒と楽しいお話、みなさんありがとうございました。これからもよろしく! <(_ _)>

waiwai隊が登山道以外の所にやむおえず入る時に気を付けている事は、カナダ方式じょ。前にカナダにトレッキングに行った時に、「一度踏んだだけなら植物は大丈夫起き上がる、二度以上踏むと枯れるし道が出来るので、みんな違う所を歩くように」って現地のガイドさんから聞いたんじょ。カナダのように一面のお花畑になっている所ならではの話やけど・・。剣山でも、鹿の親子や群れが走ると獣道がすぐ出来るでしょ。それで、精霊の森では踏まないように気をつけるのはもちろん、同じ所は通らんように気をつけて撮っとるんじょ。

それにしても、テンニンソウの群落を撮り直そうと思うとるんやけど・・・、鹿に食べられてしまったわ〜、茎の上と根だけ残して。(-"-)