2008・・「waiwai隊」の山歩きの記録  
   2008年11月1日〜3日  
     
    先週のロケハンに続いての剣山系で二泊の予定だ。今回は通常のルートでの山歩きなのだが、前回使った帰路を辿っての帰阪を予定している。さて、思惑通りに事が運ぶか否か?  
     
  晩秋の剣山  
     
   ・11月1日(土) 吹田見の越〜一の森ヒュッテ  
     
    一泊目の今日は一の森ヒュッテ泊まりだ。わざわざこのように書くには意味がある。実は、明日は頂上ヒュッテへ予約しているからだ。その理由については、後述することとなる。今回、アクセスに使ったのは前回と同様、徳島〜神山〜小屋平(現在は美馬市)〜見の越である。  
     
  大剣神社 13:45 祖谷川源流の谷 14:5  
     
    大剣神社脇の登山口を出発したのは、13時45分である。いつものルートで、まずは“祖谷川源流の碑”がある遊歩道を歩く。源流碑の場所には見慣れない光景が出現しているではないか、そこには源流の水を引いたパイプが設置されていた。こういう物が“源流の碑”に相応しいかどうかは判らないが、確かに源流らしい装いだ。  
     
  西島 14:43 お花畑 マユミ 15:45 一の森ヒュッテ 16:25  
     
    登山道辺りは、もう秋真っ盛りの様相で、着々と季節の移り変わりが進んでいる。赤や黄に着飾った紅葉は、やがて葉を落として、たっぷりと足元に春までの栄養を蓄積する冬の陽射しを浴びるように準備をしている。そんな木々や、実りの果実の恩恵を受けて、冬の準備をするのは動物たちも一緒なのだ。今や人間達は、そんな四季の移ろいや季節の営みを感じないままに、忙しく金儲けに汗水流す・・そんな世知辛い世の中となってしまっている。そんな現実がある。  
     
     
     
   ・11月2日(日) 一の森ヒュッテ〜剣山本宮奥まいり〜頂上ヒュッテ  
     
    期待した朝は、いつもの風景だった。
 今日は行者さんたち御一行様の到着まで、一の森ヒュッテの周辺で寛ぐ。行者さんご一行は、ヒュッテで昼食を予定している。春(5月の行事)は12時過ぎの到着だったので、ヒュッテで談笑していると、11時過ぎに“ほら貝”の音が聞こえてきた。相棒は、カメラを抱えて飛び出した。まずは、“一の森神社”での神事である。。
 
     
  一の森の朝 一ノ森神社 11:10  
     
    夏祭り(7月17日〜)以来の再会だった。神事が終れば、ヒュッテで一緒に昼食だが、信者さんたちはそれぞれ弁当を持参している。私達は簡単な昼食である。昼食後、ヒュッテ前で記念撮影をして出発である。ここからは、私達も同行することとなる。前になり後になりながら撮影に熱中するのは、いつもの相棒である。。  
     
  昼食後出発 12:25 穴吹川源流の谷 13:10  
     
    ご一行様は、お花畑から行場へと向かい頂上ヒュッテで泊る予定だ。今回は5月と違って、足の確かな人たちだった。すっかり顔なじみとなった今回は、相棒の要望も取り入れてもらい、すっかりモデル並の協力に感謝である。
 
     
  両剣神社 13:20 三十五社 13:35 上臼  
     
    お花畑分岐から行場へと向かうと、両剣神社へ着く。宮司さんは、荷物を置く場所を三十五社の袂と決め、留守番の人を残して行に向かう。
 
     
  胎内くぐり 蟻の塔わたり 鶴の舞に向かう信者さん達  
     
    三十五社から、上臼〜胎内くぐり〜蟻の塔わたり〜古剣神社と行が続いた。相棒は、スタンスの少ない場所でのそれらの撮影に苦労している。一方、私達とは関係なく行事は淡々と進む。
 
     
  虹 鶴の舞  
     
    行者さんたちは、一旦、三十五社へと戻り、千筋の手水鉢を辿り鶴の舞を目指すという。相棒は三十五社から望遠レンズを付けて待つ。その時、上空に虹が懸かった。「こういう時に虹が出るのは、何の因果ですかね」と、神事の装束で参加している方に話しかけるが、還ってきた言葉は「偶然でしかありません」という現実的な言葉だった。神事は神事・・「神の成せる業など無い」と言い放つこととの矛盾などはないのである。  
     
  おくさり 不動の岩屋 枝折神社 16:15  
     
    今回の神事に、二人の香川の若いお坊さんが同行していた。神も仏も一緒である。明治と時代が変わった(今話題の、NHKの大河ドラマ“篤姫”でお馴染み)のを機に、天皇を神と崇めることを目的とした“神仏分離令”が施行されたのであるが、そんな“おふれ”とは関係なく、一般庶民は営々と行事を続けてきたのである。今年一年、一の森に関わりいろいろな事を経験してきた。鶴の舞での行が終れば、おくさり〜不動の岩屋〜枝折神社を経て頂上社の宝蔵石神社へと向かう。  
     
  マユミ 宝蔵石神社 16:40  
     
    宝蔵石神社に到着したのは、日も傾いた4時40分となっていた。ヒュッテの新居さんも出迎える中、今日最後の神事である。私達の夕食は、行者さんたちと同席として頂いた。酒宴は遅くまで続いたようだが、私達は個室だったのでゆっくりと就寝できた。
 
     
     
     
   ・11月3日(月) 頂上ヒュッテ〜二の森〜お花畑〜見の越吹田  
     
    昨晩は一部の信者さんを除いて熟睡出来たようだ。6時半頃には、朝食を済ませて本宮に集合である。宮司さんは正装で厳粛な諸行事が進む。相棒も三脚を据え、シャッターを押している。宮司さんは、笛や太鼓と忙しい。
 
     
  6:40 7:5  
     
    夏の間、本宮に祀られていた“ご神体”を麓へ降ろす行事は、滞りなく進む。同宿の一般客も「何が始まったのか」と、顔を見せる。
 
     
  7:10  
     
    今年の当番の組頭の人は忙しい。行事の最後を締めくくるのは、背負子にご神体を収めるのである。夏祭りの際には、相棒の手にそっと紅白の布の切れ端が手渡されたのだった。
 
     
  二の森へ向かう 7:30 二ノ森神社 7:45  
     
    信者さん達に背負われ麓に降りる準備が済めば、二の森神社へと向かう。殉難碑分岐からお花畑経由で降りる。
 
     
  追分経由で剣神社へ下る信者さん 8:42  
     
    今回、相棒が執心していた“精霊の森”での撮影で『精霊の森写真展』のための撮影は終了する。殉難碑分岐から、我々は先行してスタンバイである。待つこと5分余りか?信者さん達が姿を現した。もう三回目となる撮影で、信者さんたちも心得たものだ。カメラ目線の人は居ない。整然と降りてくる姿がどのように写ったのかが楽しみである。なお上の写真で、後方に一人離れている人が宮司さんで、ビデオを回しているのだった。

 年明けに開催される相棒の“剣山系・一の森《精霊の森》”写真展が楽しみである。
 
     
     
     
     
     
    今回の一の森行で、一応の区切りとなった。その殆どが、撮影目的ではあったが、山へ登らないと見れない景色が写せたことで、相棒も満足だったと思う。しかも、山へ登ることだけを目的としたのだったら、今回のような人との出会いも無かったのではないかと思うと収穫は多かった。“お山講”の皆さんを始め、一の森ヒュッテに集う人達、剣山系に関わる地元の人たち・・。今まで、自分たちの趣味である“山登り”だけでの関わりだった剣山系・一の森が、人との関わりが新たに生まれた。

 それらの財産は、今後の私達の山との関わりを変えて行くこととなるのだろう。中高年層を主とした“趣味登山”の流行は、少ない仲間(単独の場合も含めて)だけでの交流に終っている事が大半である。私達の場合は、撮影という道具を使って、新たな“山とのつきあい”が始まった。
 
     
     
     
     
    去年の12月に富士フォトサロン大阪に写真展の審査を出し、今年の1月に開催決定の通知が来て、最初は来年の春から秋に、次は3月にとのお話だったのが、1月ではどうですかとの事で早まったので焦ったんじょ。ちょっと思惑より展開が早かったんで、花の撮影が今年一回こっきりの一発撮りしかなかったんで苦労したわ〜。なんと! 写真展に展示する写真の半分は今年撮ったものになったんじょ。

 2003年が一回、2004年が一回、2005年が二回、2006年が三回、2007年が六回、そして今年はなんと十三回一の森に行った。ひよこさん、写友ご夫妻にも連れて行って頂きました。ありがとうございました。残り一回は一人で、そして、おっちゃんに十回行って貰いました。感謝感謝です〜。<(_ _)>

 写真集の編集も終わり、出来上がりを待つばかり、写真展のプリントも決まりました。まだまだ準備する事がたくさんありますが頑張らなくっちゃ〜!!