2008・・「waiwai隊」の山歩きの記録 | |||
今年だけで11回目となる一の森行である。同じ山系にこれだけの回数の山行は、waiwai隊では初めてのことだろう。そんな今回の一の森行で、思わぬ出来事が出現した。期せずしてネット繋がりの人たちが集合してしまった。もちろん、あらかじめの連絡によるものでは無かった。 | |||
・9月13日(土) 吹田見の越〜一の森ヒュッテ | |||
今回の撮影対象は、トリカブト(シコクブシ)である。トリカブトは沢山の種類があるみたいで、その変種も数多く確認されているようだ。“精霊の森”のトリカブトの写真は既に撮っているので、相棒もそんなにガツガツはしていない。『撮れたら良い』ぐらいのテンションだ。 | |||
大剣神社脇の登山口を出発したのは、12時前である。いつものルートで、まずは“祖谷川源流の碑”がある沢を目指す。先着の男性が撮影していた。彼は、“凧”のような物を傍らに置き源流の沢で撮影していたが、相棒は、丁度良いレンズじゃない・・といいながら、早々に撮影を終了である。その“凧”のような物は、カミキリ虫を木を揺すって、下で受ける道具だそうだ。 | |||
相棒によると、前回、西島茶屋は閉まっていたそうだが、今日は営業していた。相棒がアイスクリームを買って“年甲斐も無く”舐めていると、同年代のおばさんが欲しそうな眼差し・・。結局、同行の仲間の出発間際に購入し、舐めながらの下山だった。女性は歳に関わらず、アイスクリームが好きなようだ。茶屋を出たのは13時半頃だ。 | |||
刀掛けからの道を行場へと辿る人は、今の時期は少ない。その、行く手は、谷からのガスが次々に襲っている。いつものように行場を降り、お花畑分岐に着く、14時半だった。私のザックをデポし、精霊の森へは撮影目的だけだ。 もう、何度も見慣れた景色である。暫らく撮影していると、男女のペアが降りてきた。『こちらが追分への道ですか?』と言いながら通り過ぎた。辺りの景色には、全く関心が無い風である。暫らく後、相棒が『シィー』と三脚を出し、カメラを構えようとしている。前方の斜面で草を食べる“カモシカ”の姿を認めたのだったが、相棒がカメラをセットし終えると、木の陰に隠れてしまっていた。ザン〜ネン。 |
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さて、一時間ほどの精霊の森での撮影を終え、お花畑分岐まで来ると、一の森へと歩くペアが通り過ぎた。デポしたザックを担ぎ、お花畑分岐へ戻ると別の4名のグループに会う。『一の森でお泊りですか?』と声を掛けると『ひょっとして千代さん』との女性の声。声の主は、四国の山サイトを運営している“reikoさん”だった。道すがら、reikoさん夫婦とサイト仲間(さとやんとaiさんの山へ行こう)と一緒に一の森へと歩く。暫らくで新田次郎の殉職の碑分岐へ着くと、先ほどのご夫婦が振り返りながら尾根を登っていった。 私達は、小屋へのトラバース道を歩く。小屋前の広場で寛いでいた男女の内、男性が『わいわいさんですか?』と声を掛けてきた。『そうですが、どちらさんですか?』に、『サイトをリンクしている“のんびり山”です』とのことだ。こんな偶然が重なることもあり〜?しかし、偶然はまだまだ起きる。エントツ山さんも小屋の予約しているとの超ビックリの出会いなのである。 夕餉の団欒は、偶然顔を合わせたサイト繋がりの9名と、大阪からの夫婦、地元、美馬市にお住まいの単独の女性、三嶺への縦走三人組みの15名で、内田さん曰く『今年一番のお客数』だったそうだ。pm6時前から続く交流は、9時の消燈まで続いた。 |
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・9月14日(日) 一の森ヒュッテ〜見の越〜吹田 | |||
相棒の声に起こされ、今日も暗いうちから“三脚持ち”である。既に、三嶺への縦走組は出発準備に追われていた。外はガスに覆われて、真っ白である。相棒は、日の出を狙って頂上でスタンバイを決め込んだ。しばらくすると、エントツ山さんやのんびり山さんも上がってきた。結局、朝陽は出現しなかった。 | |||
頂上からくしばら待っていたのだが、頂上での撮影を諦めて、三角点へと撮影場所を変える。エントツ山さんと一緒に槍戸山への縦走路の方へ向かうと、reikoさんたちが槍戸山へと向かっていた。エントツ山さんが、エールを送っている。ガスに覆われていた辺りの撮影ポイントは、日が上がるうちに山並みが姿を現し、視界が拡がって行く。いつもの山の朝の景色である。 | |||
朝食を済ませ、槍戸山から帰ってきた“reikoさん”ご夫婦と“さとやん”さんご夫婦も食事を終え“エントツ山さん”ご夫婦、“のんびり山”さん、内田さんとお手伝いの夫人(実は、当サイトもリンクしている徳島の“あすなろ山の会”会員だそうで、このあたりの経緯は“のんびり山”さんに任そう)で、集合写真である。この後、reiko隊は“ジロキューから丸石への縦走で、奥祖谷かずら橋”まで歩くそうだ。エントツ山さんたちは、剣山までご一緒するそうだ。夫婦連れの三組とは別に“のんびり山”さんはのんびりと、お花畑経由での下山だった。この辺りの詳細については、それぞれのサイトを御覧頂く事にしよう。 |
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皆を見送って、私達も出発準備だが・・・。『10月中展示する』という、“山の上の美術展”をカメラに収める。相棒の写真は、今春開催されていた“日本山岳写真協会それぞれの山展”展示作品の三点を持ってきていた。その脇には、古いスキー板や登山靴などが置かれている。 | |||
一の森を愛する山好きの芸術家たちの作品が、所狭しと飾られている。 | |||
一の森での撮影行も、11月の“お山講の行事”が最終となる予定である。この一年間の撮影山行に関わって、いろんな人との出会いがあった。 | |||
このコーナーでは、山に関する“思いつくまま”を記述していたのだが、今回は今までと違う私的な・・全く私的な思いを吐露することとする。 《あどけない話》 智恵子は東京に空が無いといふ、 ほんとの空がみたいといふ。 私は驚いて空を見る。 桜若葉の間に在るのは、 切っても切れない むかしなじみのきれいな空だ。 どんよりけむる地平のぼかしは うすもも色の朝のしめりだ。 智恵子は遠くを見ながら言う。 阿多多羅山の山の上に 毎日出ている青い空が 智恵子のほんとの空だといふ。 あどけない空の話である。 【智恵子抄より《高村光太郎》】 相棒の、この間の一の森での撮影行に付き合う間、大阪から何度橋を渡ったのだろうか? 何故“一の森”だったのだろうか? 私の自問自答に、先の智恵子抄にある“阿多多羅山・・”と共通する物があるんじゃないか? 今のアパートの住環境には何不自由も無いはずなのだが・・。私の胸に去来するものは・・ しかし、大阪には山が無い。海が無い。大阪では木々のざわめきを感じない。虫の声も・・。蛙の鳴き声も・・。小鳥の囁きも・・。小川のせせらぎも・・。夜空の星のきらめきも・・。それら全てが無い。あるのは、都会の喧騒だけだ。 故郷を離れて七年が過ぎる。“企業の理屈”による転勤は、私の無意識の中にある“故郷”という存在を呼び起こしているのだろうか。四国の山々を巡っていたあの頃とは、全く違った環境が私の思いをより一層強くしている。定年まで、一年半となった。 |
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今回の山行は、思わぬ出会いなどもあり、収穫は多かった。下山は、“大剣神社”への道を採った。この道は初めて辿ったのだが、剣山の道はどのルートを採ろうと危険は少ない。さすが、100名山なのである。 |
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一昨年は、9月16日〜17日に行ってトリカブトは終わりかけ。去年は、9月16日に大雨の中を日帰りで行って丁度良かった。今年は、どちらでも良いと余裕のトリカブト撮影だったんやけど、まだカニコウモリが咲き残っていて、カニコウモリとトリカブト競演の写真が撮れたんじょ。 ところが〜 (-"-) 現像が出来てびっくり! レンズを交換した所からフイルムが真っ黒! “スタート位置ズレ”の現像結果連絡票が入っとったけど・・・、最初の6枚は写っとるんじょ。やっぱりレンズキャップをしたまま写したのかな〜、仕舞う時に分る筈やけど・・。(@_@;) まあ、翌日帰る前にも行って撮った中に一枚良いのがあったのでセ〜フやけどね。いまだに信じられんわ・・、逃した何とかは大きいと言うしね〜。 |
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