2007年「waiwai隊」の山歩きの記録  
     
   ・1月 6日(土)〜7日(日) 一の森ヒュッテ 冬期避難小屋泊  
     
    今年の年末始の休暇は、4・5日の二日間の有給休暇で11連休となった。そんなわけで、昨年に続き今年もゆっくりと山行の計画が出来る筈だった。しかし昨年の場合、思わぬ大雪に阻まれて思うようには山行計画が立てれなかった。今年は雪が少ないので、計画が立てれる筈(?)、が“そうは問屋が卸せない”事情があった。相棒の体調である。
 もう、このサイトにしばしば登場している“リウマチ”という厄介な病気を抱えてしまった相棒の体調は、私たちの昨年の山行計画に多大な影響を及ぼしてしまっている。
 
     
   冬のトトロの森  国土地理院の25,000図で見る  
     
     今年の家族での初詣は、元旦に「伊予稲荷神社」で済ませた。が、翌二日になって相棒の泣きが入った。「今までは右手だけだったのに、左手が痛い!」との訴えである。このあたりの詳細については、本人の「山日記」の記述に譲ることとして、4日の石鎚山行を終えた自信を後ろ盾に、「一の森へ行きたい」との相棒の昨年来の念願成就となったのだ。

 さてその日程なのだが、6日からの気象庁の予報は「日本列島を低気圧が通過した後、冬型になる」とのことである。休暇は8日までなので、6日に山へ入れば良いだろう・・と、5日に徳島の義姉宅へ泊まっての計画の実行である。
 
     
   
     
   ・1月 6日(土) 徳島〜見の越    見の越〜一の森ヒュッテ   
     
  一台しか駐車してない駐車場
徳島市内の義姉宅を7時出発とした。今日は一の森の「冬期避難小屋」泊まりなので、そんなに慌てなくても大丈夫である。
 
     
     「一の森」行の場合はいつものとおり、「徳島道」を使って貞光のコンビニを利用する。美馬橋を渡ると、駅伝の選手と思われる人がアップをしていた。そして、“道の駅”は人と車で埋まっていた。
 私のザック(80?)はコンビニで買った食糧を詰め込んで満杯となってしまった。国道438号を一路、“見の越”を目指す。もっとも、国道とは名ばかりの「酷道」は四国には多いもので、いつものように慎重に“ブットバス”のである。
 第九ヘヤピンを過ぎると、平坦な道となって「剣山スキー場」に着く。雪の無いスキー場の駐車場には、2〜3台の車が停まっていた。
 「今年の正月は雪不足で、信州あたりのスキー場でも“商売上がったり”だ」と、正月のテレビが言っていたが、ご他聞に漏れず・・ここ剣山でも一緒である。
 道路脇のテントを見やり、「ラフォーレ剣」脇にあるトイレ前に愛車を停めた。テントの主は男性の二人組みだった。彼らは「昨日、ジローギュウに登った。」と言い、これから降りるとの事だった。そして、今日は3台ぐらいしか通っていない。との情報を仕入れた。

 案の定、“見の越”の登山口には数台の車しか見当たらなかった。私たちは“剣神社”下の駐車場へ停め、出発準備である。この駐車場は、先の「一の森」山行の際に滑り込みで停めれたのだが、今日は私どもの車ただ一台である。

 さて、みぞれ交じりの天候での服装はどうするか?と、相談の結果、濡れるのを心配して、カッパを羽織ることとした。
 
     
  登山口 リフトの西島駅  
     
    剣神社の脇の登山口で記念写真(?)。出発は10時35分である。登山道は、年末に積もった雪が踏み固められて、慎重に足場を選んで歩く。間もなく、今の時期には動いていないリフトを潜ると、リフト終点の“西島駅”までの道が二手に分かれている。相棒の「今日は荷物が重いから、下の道を行こう」との言葉で、大回りコースを選ぶ。
こちらの道にも雪の上に古いトレースを認めることが出来、年末始の登山客の多さを推し量れる。
 
     
  ジロウギュウ方面 剣山山頂  
     
  三嶺方面

 通いなれた路も一時間の歩きで、今は閑散としているリフト終点の“西島駅”に着く。雪に覆われたジローギュウや、頂上小屋と剣山、三嶺をカメラに収め、ここで昼食のおにぎりを腹に詰め込み、アイゼンを履いて出発である。

 ここからは尾根沿いの路である。“刀掛けの松”からは、尾根沿いの路とトラバースぎみにつけられた富士宮からの路と合わさっている「一の森」への路の分岐があるが、そのどちらにもトレースがある。12時20分過ぎだった。もちろん私たちの辿る道は“左”(「一の森」への路)である。
 
     
  刀掛け 行場経由の道をとる  
     
   行者道滝が凍っている

 正月の間に踏まれたトレースは、所々で膝を超える雪の場所もあるが、ラッセルの必要の無い雪道は心地良い。夏に咲く“キレンゲショウマ”の場所である「行場」を過ぎ、小さな沢の滝場に着く。水量が少ない今の時期、滝は見事に凍っていた。滝を過ぎると、「一の森」への路と「追分」への分岐があるが、トレースは「一の森」へと続いている。

 「桂の森」へは、今冬、私たち以外は人が立ち寄っていないと思われる。「桂の森」へと案内してくれたトレースは人ではなくて鹿の足跡だった。1時半には「桂の森」に着く。もちろん、相棒は嬉しそうにカメラを構えている。今日の泊まり場の「冬期避難小屋」には暗くなるまでに着きたいので、「2時半頃には出発しよう」と告げた。「あっちよ、こっちよ」「今度は低くして」と、三脚係りの私も、休む暇無しである。
 
     
  撮影中の千代  
     
  桂の木  
     
    “桂の森の撮影会”も終わって、2時過ぎには一の森へと向かった。その頃には、雲の中だろうかガスを連れた雪交じりの風が吹いてきた。暗くなってしまったら危ない!内心不安が過ぎるが、あせっても足が進むスピードが変わる筈もない。重いザックを担いでの歩きは、体力の無い私には酷なのだがマイペースで歩けばいい。
 
     
  一の森への道 剣山からの尾根道との分岐  
     
  一の森へのトラバース道

 今朝、徳島の義姉宅で仕入れた情報どうりに、低気圧が日本列島を襲っている。ここ四国の剣山系も影響を受けているんだろう。ただ、今日はテントではなくて“避難小屋”泊まりなので、小屋に逃げ込めば安心である。
 30分ほどの歩きで、風の音が直ぐ頭上に聞こえてきた。間もなく「殉難碑」のあるコルに出た。ここからはジローギュウや槍戸川が見降ろせるのだが、この天気ではそれも叶わない。
 「ここからは夏だと、小屋までは10分程で行ける。」そう言い聞かせて、一踏ん張りである。
 
     
  冬期避難小屋 死ぬほど煙たい囲炉裏  
     
    【天気図:爆弾低気圧】  
     
    “避難小屋”に着いたのは3時過ぎだった。以前、中を覗いた記憶はあるのだが、冬のこの時期は始めてだ。ザックを下ろし、改めて小屋を見渡すと囲炉裏と薪が積んでいる。
 薪に火を点ける。紅く燃え上がる火が冷え切った小屋だけじゃなく、私達の身体を暖める。囲炉裏端に座っていると、小屋の外の吹雪を感じさせることはないが、直ぐに苦しくなってきた。
 それは、煙りだった。随分、家の中で火を焚いた記憶がないので、「薪を燃やしたら、こんなに煙が出るんだ」と、相棒と言いながらお互いに涙と鼻水を拭うのである。

 我々の夕食は、簡単である。お湯さえ沸けば出来上がる夕食を終え、暗くなる頃には“オヤスミタイム”なのだ。

 シュラフに潜り込んで、明日の天候の回復を待つ・・・早く!低気圧よ、通り過ぎてくれ〜!。
 
     
     
     
   ・1月 7日(日) 一の森ヒュッテ〜見の越  見の越〜吹田   
     
    枕元の眼鏡を手探りで探し、ヘッデンを点けて時計を見ると、11時過ぎだった。「えっ、未だ今日じゃなぃ」・・・それは仕方なかった。昨夜は6時過ぎに寝たんだから・・・
 小屋の外は、風の音と叩きつける雪の音が交錯していた。それは夜中中続いていた。ウトウトとした時間が長く続いた。何か夢を見たようだが、目覚めると覚えていなかった。

 朝食の水作りを始めたのは、7時過ぎだった。外は、新たに30cm程の雪が積もって、昨日までのトレースは埋もれてしまっていた。テルモスの紅茶が凍るほどの寒さも、小屋の中ではそれほど感じない。しかし、このまま小屋に閉じこもっているわけにはいかない。
 
     
  どうしてもの時はお食べ下さいの袋 避難小屋の裏の五葉松  
     
  雪に閉ざされた一の森ヒュッテ

 朝食を終え、周りが明るくなると、相棒が「さぁ〜撮影よ!」と立ち上がった。私に「三脚を立ててくれ」との合図である。私も、デジカメをぶら下げて小屋を出る。

 風の吹きすさぶ中、今は主の居ない「一の森ヒュッテ」も春を待つのみで、吹雪になすすべも無く佇んでいる。
 
     
   
   画像にマウスポインタを置くと入れ替わります  
     
    撮影は一時間余りで終えた。昨日の朝の天気予報では、今日は回復へ向かうはずであった。しかし、一向に回復の兆しが見えないのは、どうしたものか?
 避難小屋に戻り、相棒とこれからの対策を練った。「この天候では、今日は一の森へは誰も来ないだろうし、このまま吹雪けば、ラッセルも大変だ。」と、“トトロの森”へ寄って降りることとした。

 予定が決まれば、準備である。湯を沸かし紅茶を作り、昼食を作る。
 
     
   
   
   
     
    小屋の掃除を終え、ノートに書き込みが済むと出発である。
 さて、トレースの無い新雪の路は昨日の倍の時間を要した。“桂の森”までは、それほど危ない斜面はないものの、少々の登りにも息が切れる。今日は吹雪で動物の足跡さえもない。そして“桂の森”に着くと、そこには息を呑む光景が拡がっていた。

 雪の舞う中で、昨日と同じように、嬉々として撮影に没頭する相棒の姿である。
 
     
  神社で休憩させて貰う

 “桂の森”での撮影を終え、“刀掛けの松”を目指す。今日の行程で一番の難所である。

 昨日のトレースは消えていて、サラサラの雪が降り積もった路は、その一歩一歩が気を抜けない。氷結した小滝も雪に覆われ、姿が見えなくなっていた。随分時間を食ってしまったが、行場の祠に着いて小休止である。朝作った朝食を腹に収めて“岩場を廻る箇所”を登る。

 所々で、相棒にトップを変わってもらい慎重に進む。
 
     
  帰りの刀掛け 帰りの西島駅  
     
    “刀掛けの松”に着いたのは3時前になっていた。祠から一時間余りを要した。相棒を写真に収めたが、敗残兵のような姿だ(古い例えで、ゴメンネ)。もっとも、リフト駅での私の姿も同様だった。
 
     
  雪中行軍のような千代

 尾根の路に出てからは、夏道を降りるのと変わらない。むしろ、無雪期より楽に降りることが出来る。

 また、尾根の路と出会ってからは、今日のトレースだろうか、所々で薄い足跡を認めることが出来る。
 
     
    結局、今日は誰にも出会わなかった。そして誰も居ない登山口に無事降り立ったのは、3時40分だった。
 
     
   【追記】
 今回私達が辿ったこのコースは天候により、“なだれ”の出る可能性がある場所を含んでいます。気象条件や、その年の積雪の状態によって十分な注意が必要と思われます。充分な準備と装備での計画をお願いします。

 
     
     
     
     
    一昨年に67判のカメラを買って初めて一の森への途中の桂の木を写してから、新緑、トリカブトの咲く頃、紅葉と撮ってきたので、雪の頃も撮りたいな〜と思って、内田さんと、ちょうどポッカで来ていた雪山経験のある方に冬は行けませんかと尋ねたら、トラバース道だから雪崩の心配がある。雪解けの頃は落石の危険もあるから無理だとの事。ただ、初雪の時で、一の森からのピストンなら大丈夫かもしれないが、いつ降るか知れないから・・無理だろとの事。初雪か〜と、剣山ヒュッテのブログ等をチェックしていたら、今年は年末近くになっても雪が積もってない様子。年末の小寒波でやっと雪が降ったみたいだった。富士の池から登って、冬期避難小屋で泊まってトトロの森をピストンするのはどう〜 とおっちゃんに言い続けたんじょ。(^_^)v

 そして、1月4日に登った石鎚山の雪の少なさ、石鎚山で会った横浜の方から聞いた剣山の様子などから、行ける事になった時はうれしかった〜♪ 

 一日目、富士の池からだと、帰りの道路の除雪がなかったら帰れないかもと、見の越からにしたんじょ。トレースもあり、安心。桂の木の雪は融けていたけど、次の日に来れなかったらいけないと、撮ったんじょ。私は2泊したら天気も回復して、一の森の前の雪原がピンクになるのを撮れるかも・・、桂の森も二日目の吹雪の桂の木と、三日目の青空に霧氷の桂の木が撮れるかもと思っていたのだけど、天気になると雪が緩んでトラバース道は危ないし、遭難碑の分岐まで戻って、剣山への尾根道を辿るのはトレースも消えてるからラッセルは必至だし・・。吹田に帰って仕事に行くおっちゃんの事を考えると、1日くらいは休まないと・・、それで一泊にしたんじょ。
 二日目は吹雪いていたし、おっちゃんに30分だけと言われていたので・・、焦ったわ〜。撮影を終えての行者道は、新雪でサラサラ、吹きたまりになっていたり、道が判然とせず怖かったじょ〜、何度も通ったし、一日目に通ったばっかりで、道を覚えていたので雪で判然としなくてもなんとか通れたけど、もう冬は二度と行かないわ!

 帰って机の上に無造作に置いてあった、インターネットで入手した国土地理院の剣山25000分の1の地図のコピーを見て、こんな準備もしてたんだと、おっちゃんに感謝。
 写真の出来はとにかく、突けるかと心配だったピッケルも持てたし、カメラ機材と三脚を担げる体力もあったし “思う一念 岩をも通す”で達成出来てうれし〜。ヽ(^。^)ノ