2007年「waiwai隊」の山歩きの記録  
     
     
   ・8月 31日(金)〜9月 1日(土) 一の森ヒュッテ泊  
     
    今年も、昨年同様、三度目の一の森になった。あと何度訪れる事となるのだろうか?しかし、何度訪れようと“森”は、何時も違った顔を見せる。・・・偉大なるは“大自然”なのだ。  
     

 
トリカブト  
     
     
     
   ・8月 31日(金) 吹田〜貞光〜見の越   見の越〜一の森ヒュッテ   
     
    今年の夏山行は、三年ぶりの北アルプス(常念〜蝶のテン泊)を堪能することが出来た。相棒の体調と相談しながらの縦走だったが、蝶ガ岳ヒュッテの屋根が見えた時の充実感と達成感は、何年か前までの、体調万全での縦走とは一味違ったものだった。
 さて、四国の山・・といえば、一の森が定番となったのは、ここ二・三年の事である。内田さんが、一の森の“小屋番”で上がったこともあるが、相棒の撮影行が第一の目的での通いと言える。
 
     
  西島 刀掛け  
     
    今年は正月と初夏に続いて三度目となる。今は晩夏なのか。
 さて、リフト券の片道キップを購入し、刀掛けの松までは何時もの行程で、何時もの光景である。が、刀掛けの松の分岐には、工事の道具類が置かれていた。分岐を“お花畑”へと採ると、直ぐに、何の工事かが判明である。それは、“鹿除けネット”の取り付け作業だった。取り付け工事は、大分進んでいるみたいで“行場”には、変わった構造の桟みたいな橋が備えつけられていた。?
 
     
  登山道の鹿避けの橋?

 “行場の祠”辺りで工事の人たちが昼食休憩中だった。若い人たちも混じっていて、6〜7名のグループで、女性も混じっているようだった。その脇を、あいさつを交わし、通り過ぎようとしていると『あんだけ鈴が鳴っとったら、熊も“おぶける”わなぁ〜』との声が聞こえた。
 久しく聞いていなかった“阿波弁”だった。その言葉やニュアンスに、今は亡き人となってしまった、相棒の兄を思い浮かべていた。その義兄は、享年52歳という若さだったのだ。



     
     
  トリカブト

 “行場”からは直ぐに“お花畑”だが、ここでも作業班のもう一方の人たちが休んでいた。どうも、二班での作業のようだった。先ほどと同様に挨拶を交わして、“桂の森”へ足を向けた。
 
     
    昨年訪れたのは、今回の時期より二週間後だった。花々の咲き具合も微妙に違っている。簡単な昼食を腹に収めて、いつものように撮影タイムである。いつもの場所に三脚を立てて、撮影に没頭している相棒である。
 さて、先日購入した『岳人』9月号の『立松和平の連載(百霊峰巡礼)』に、剣山が載っていた。記事中には、知った人の名が出ていたりしていたので興味深く読んだ。また文中には、富士ノ池の文字が出ているが、一の森の文字が一つも出ないのが寂しい気もする一方、静かな一の森を続ける上では、あまり“全国誌”に載らないのがいいのかも知れない。
 三時間余りの撮影後、“桂の森”を出る前に、内田さんへ『撮影が終ったので、今から向かいます』との電話連絡である。
 
     
  シコクフウロ キツリフネ  
     
    ヒュッテへは、5時前に着いた。『いらっしゃ〜い』の内田さんの声が何時もと一緒である。小屋での夕餉は、いつもと同じパターンで、今回も、宿泊客は私達だけである。話題は、下界での下世話な話から防護柵の話まで及ぶ。前述の『岳人』9月号の記事や、私のhp・掲示版でも《oniさん》との間で話題となった『鹿の増加と山ビルの生息域の拡大』などにも及んだ。
 鹿の“防護柵”では、『あんな網を張って、雪の重みに持つんかいなぁ〜』との心配もしていた。県(国ではないだろう)のお役人の計画は、どういう根拠で“工事の計画・設計”をしているのか?と、疑いを持ってしまう。また、歩きにくい桟は『テキサスゲート』と呼ぶらしく“人間は通れて、鹿は通れない構造”らしい。前回にも触れた事だが、自然環境の変化と私達人間の関わりの問題は、今後の課題でもある。

 相棒は、小屋へ飾ってもらう二枚目の“桂の森”の写真を持参していた。
 
     
     
     
   ・9月 1日(土) 一の森ヒュッテ〜見の越〜吹田   
     
    今朝も、朝早くから相棒は外を覗いていたようだ。しかし今朝は、朝陽は厚い雲に遮られて、見ることは叶わなかった。濃いガスは、山々を覆い尽くしている。相棒は『今回は、桂の森の撮影だけにして、朝食後、降りよう』と、朝食前に“桂の森”の撮影に行った。
 一時間の撮影後、朝食を終え、早めの下山を決めた。
 
     
  一の森ヒュッテ

 内田さんとの、またの再会を約して“桂の森”へと、出発である。
 “お花畑”での、昨日の工事は着々と進んでいた。今日は土曜日なので工事は休みなのか、時間が早いのか、工事の人たちの姿はない。

 相棒が「ちょっと、撮影」というので、ザックを下ろす。ここで、単独の登山者が登ってきた。挨拶をすると、見覚えのある人だ。前回の下山時にあった“剣、祖谷の山嶺”のサイトのS・Mさんだった。
 
     
    S・Mさんとの立ち話しは尽きなかった。話題は“鹿の食害”や、“心無い人間”による“絶滅危惧種”被害と我々登山者とがどう向き合うか・・という、難しい話題だった。私達が“大自然”に足を踏み入れ、写真として記録している・・その作業自体が、大自然を冒涜しているのかも知れないのだ。  
     
      大自然に足を踏み入れているのだから・・。 自然のまま・・というのは、自然には触れない事とするのか?自然と関わらないこととするのか?自然をありのままにしておくのか?

 こんなことに、結論は出ない!
 また、そんなもの・・出なくてもいいんだ。
 私が、私達が・・地球が好きで、自然が好きで、これら全部が好きなこと・・これ以上素晴らしいことは無い。
 
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   《一考察》
 私達が、山で熊に出会ったら@死んだふりをするA逃げるB闘う。というような問いを雑誌で見かけたことがある。四国のツキノワグマは“絶滅危惧種”に指定されている。現在のところ、人間は絶滅危惧種に登録されていないので、ツキノワグマに危害を加えることが出来ない(保護する?)はずであるが・・現実はどうなのだろうか。そのことを考えさせられる、以下の文を載せます。

 (山野井通信より(06・08.22):
《お盆のころ行った北アルプスで嬉しい?体験をしました・・なんとなく下の方を見ると草むらに大小二つの黒い物体が。何かを一生懸命食べています。「やばい親子の熊だ」とわかったときにはすでに遅く、親熊が振り向き我々に猛烈な勢いで向ってきました。僕は妻に「走れー」と叫び、僕らはザックを担いだまま山道を登り返したのです。振り返るとまだ熊は走ってきます。10キロ以上の荷物を持っていたので息が切れました。どのくらい追いかけられたでしょう。熊はいなくなっていました。彼らが去った事が何故か寂しいような、もっと追いかけてもらいたかったような複雑な心境になりました。と言うわけで夏の良い思い出になったのです》参考:【山野井通信】

 彼らと、同様にはいかないでしょうが、このレポを読んだ時は、ガ〜ン(衝撃)でした。
 現在、ブッシュを大統領とするアメリカを先進国の盟主だとして、その価値観で物事を測る場合(私も、自己防衛は必然と思っていた)、前記の《山野井氏の言葉》はどうなるのだろうか?

 私は、山野井氏の言葉に、限りなく深い“愛”を認めた。
 
     
  桂の木  
     
    近年日本では、日本カワウソが絶滅し、また日本オオカミが絶滅した。ず〜っと昔には、恐竜が絶滅した。マンモスもしかりである。そうした動物たちとともに、植物もそうである。魚たちも同様だ。

 いずれ、温暖化現象の進行で地球環境の大変動が起こる。
 
     
  テンニンソウ

 せめてもの願いは、私達の世代によって、地球環境の悪化の加速度をこれ以上進めたくない・・と。私達の、いや、私の出来ることは限られている。また、残された時間さえも・・そう、多くはない。。こんなこと、誰に伝えるんだ。ジレンマばかりが多い・・。

 私が出来るのは、このhp上で、グダグダ云うだけなのかもしれない。
 
     
      相棒は、先日の夏縦走時以来の“膝の痛み”が続いていて、外科へ行こうか?それともリウマチの症状が膝に出ているのか?と、心配しながらの、今回の山行だった。ただ、撮影に没頭している時には、少々の手首の痛みなどに構わず、カメラをセットしている・・・イタッタと言いながら。
 
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    さて、帰路の車内での「あと、一週間あとだったら花が咲いていた」との相棒の話は、何を物語る?
 
     
   後日談
 帰宅後、掲示版に書き込むと、エントツ山さんから

《残念です 一日違いでした
土曜日16時見の越から行場経由で18時に一の森ヒュッテへ
仕事の為翌日07時半にヒュッテを出て下山しました

内田さんは罠猟許可の試験があるとかで朝6時に下山されました
今年は70周年でお客さんも例年より多かったとの事で安心しました

サマンサは同じ病気を持つお千代さんとお話ができたのにと残念がっていました
お千代さんの去年の写真も見せて頂きましたよ

食事のお手伝いに来られている方がヤブコギ歩きをされていて、上兜のわいわいさんのHPを見てヤブコギを始めた事や故郷の尾根歩きなど話が盛り上がりヒュッテの夜長を楽しく過ごしました》

との書き込みがありました。エントツ山さんとは面識がありませんが、当サイトの立ち上げ当初からのお付き合いですので、とても親しみを感じる人です。もう〜一日泊まっていたかった。残念です。
 
     
     
    去年の9月16日〜18日に来た時には、トリカブトはもう終わりかけだったんで、今年こそ満開の時に来たいと思っとったんやけど・・、今年は何もかもの花が遅れているらしくて残念だったわ〜。(-"-)

 下から見たら、山はガスに覆われていたのでラッキーと思っていたのに、桂の森に着いたら花もなく、靄もなく・・、ガックリじょ。しばらく待っていたら少しは漂って来たんだけど・・。

 翌朝は、せっかく来たのにこのままでは・・、せめて早朝の雰囲気だけでも撮ろうと、朝食前に行ったんじょ。相変わらず一の森はガスに巻かれているっちゅうのに、桂の森は靄はなしと言う訳で、帰りも靄がないようだったら寄らずに帰るつもりだったけど、途中で会ったS・Mさんが行ってみたらと勧めてくれたんで寄ったんじょ。そしたら、靄が来て撮ったんやけど・・、靄もあればいいと言うもんじゃなく、ありすぎるのも暗くてねぇ〜。^_^; なかなか上手くいかんもんやわ〜。 これで、完結編にしようと思っとったんじゃけど・・、まだダメやったわ〜。