2005年「waiwai隊」の山歩きの記録  
     
   ・8月 15日(月) 徳島〜見の越   見の越〜一の森ヒュッテ   
     
    昨年は松山の友人との一泊だったが、今年は日程の調整が出来なくて、昨年の松山組みは前週に一の森をを訪問したそうである。今年は、未だに夏山行の計画が立っていなくて8・9月の予定がたたないままである。来週には、組合の会議が熱海で予定されているし・・・で、千代さんが、「阿波踊りを撮りたい!」と言っていたので、それなら「後半は一の森へ行こうか?」と、山行の決定である。  
     
  キレンゲショウマ

 先日、ある新聞に“剣山系のキレンゲショウマが危機!”という報道がされていた。鹿がキレンゲショウマの花芽を食べてしまっているそうである。
 大峰山系でも、食害被害による“鹿避けネット”が張り巡らされているのだが、こちらの被害花は“オオヤマレンゲ”である。

 場所が変われば、希少種の花も“登山者”とか言う人さまが踏み荒らしたり、盗掘したりの被害もしばしば見聞きする。もっとも、その問題は解決も可能なのだが・・・人類と野生動物の共生って出来ないものなのかなぁ〜と思ってしまうのである。
 
     
    昨日は、千代さんの写真のお師匠さん夫婦を案内して、“阿波踊り”撮影会だった。そして、今日は内田さんとの再会が待っている。  
     
     
     
   ・8月 15日(月)〜16日(火) 一の森ヒュッテ  
    徳島の義姉宅に前泊しての行程は、もう貞光経由のルートが定番となってしまっている。美馬ICで徳島道を降りて、貞光のコンビニで食料の調達である。
 四国の山間を結ぶ国道は、四国以外の人達には走り難いものだと思う。私も大阪へ転勤して三年を経てしまったのだが、近畿周辺の道路を走っていると、その事が良く理解出来る。つまり、車線の無い道路の走り方を理解していないのだ。カーブミラーを見ないで走っているとしか考えられないように、カーブに突っ込んできたりもする。とにかく、R438からR439へと結ぶこの道を走る。毎年のように道路工事の箇所が変わっているのだが、果たして道路の改修は、いつまで続きいつ頃終わるのだろう?
 
     
  刀掛の松から頂上を望む

見の越には10時頃に着いたが、既にリフト下の屋根付きの駐車場所は満車だった。係員の案内で屋上駐車場に停めて出発準備だ。今回は「体調が悪いので、カメラを背負っていては下からは無理じゃね」の千代さんの言葉で、リフトを使う。
 辺りの景色を見ながら、リフトですれ違う(つまり、降りて来る)女性の履物を見つめてしまった。“サンダル”履きだった。“剣山へ行くのには、そんなんでいいんだ!”
 
     
    リフトを降りると、直ぐ上に“刀掛の松”がある。ここからは、行場経由で一の森へと道を採る。もちろん、今回の目的の一つでもある“キレンゲショウマ”を見るためだ。
 鹿の食害による被害は大きいようで、目的の黄色い花はボツボツという程度である。写真に収めて、滝の横でおにぎりをほうばる。ポツリと雨が落ちてきた。
 
     
  キレンゲショウマを撮る千代 滝の横  
     
    今年の四国は、どこも水不足という。山小屋の水の確保も大変な苦労をしている、と聞いていた。腹ごしらえを終え出発なのだが、カッパを羽織る程でもないので、ザックに括りつけて“お花畑分岐”に向かう。「四国の山はええわ」「涼しいし、ヒルもおらへんし」とは、千代さんの言だが、私も同感である。“お花畑分岐”にさしかかる頃には辺りが暗くなり、雨が降ってきた。「殉難碑」の分岐に着く頃には雨足も一層強くなり、カッパのズボンを履く前にズボンを濡らしてしまった。
 久しぶりの“一の森”の軒先には、雨宿りの男性がいた。笑顔の内田さんは、相変わらず忙しそうに「いつもの部屋へ荷物を持って行きな」と元気そうだ。
 
     
  一の森ヒュッテ   
     
    カッパや雨で濡れたズボンを干して、食堂兼ロビーで飲むビールは旨い。そして、話が尽きない。千代さんは、写真をCDに焼いてきていたので、早速パソコンで鑑賞会だ。しばらくすると女性二人組みが入ってきた。話しの様子では、先日泊まった時に、小屋にポットを忘れていたらしい。その忘れ物を取りに来たそうである。今日は、私達以外に、4名の宿泊者だそうだ。外は、雨が小降りになってきたようなので、千代さんと「ちょっと撮影に行く」こととした。撮影場所は桂の大木である。  
     
   
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    昨年も撮った桂の木なのだが、雨に濡れた木々は表情豊かだ。しかし、期待していた霧が出ない。結局、一時間ほどの撮影会は期待薄の出来上がりのまま終了した。小屋に戻ると、今日の宿泊予定の“関西からの四人組み”が到着していた。
 関西からというものの、神戸組の二人の一方の人の妹夫婦は“徳島県人”とのことで、関西の人が徳島の夫婦を「一の森」へと案内して来た・・と、ややこしい話だった。
 
     
    夕飯の前に、内田さんから「下の水場を見に行ってくれんか?」と言われて、水場をデジカメに収めに行った。先ほどの雷雨は二時間ほどだったので、水の勢いはそうそう多くはならなかったみたいだった。
 そういえば、忘れ物を取りに来ていた女性の「使わなかった水を置いて行きましょうか?」に、「それじゃ〜ポットに足しといて」という言葉が切実だ。
 
     
     
    小屋での夕餉は、何時もの事だがやすらぎの瞬を運んでくれる。初めて会った同宿の人たちや、内田さんとの会話は尽きる事が無い。勧められるままに酒を戴き、明日の夜明けの瞬を期待して床に就いた。
 
     
     
     
     
    夜明けが来る前にアラームの音で眼が覚めた。外は真っ白で、辺りは雲の中だった。私はまた眠りに就いた。うとうととしている間に、千代さんはカメラを抱えて出て行ったみたいだ。私もゴソゴソと置き出して、デジカメを持ち出し・・撮影だ。しかし、雲は思うようには動いてくれなかった。
 朝食の後、四人組を送り出して、私達も出発の準備なのだ。
 内田さんも、この山域の新しいルートを考えている。という話で、黒田さんや泉保さんの話題になった。そんな時に「おはよう!」と、玄関から声がした。玄関で「いらっしゃい、今、あんたの話をしとったとこじゃ、まぁ〜上がらんかい?」と、顔を見せたのが泉保さんだった。
 
     
  一の森ヒュッテの前で

  私達は、彼とは初対面だった。泉保さんは「イメージをトレースする・・私の山歩き」という本を出している(2001年)が、「続・・」が出ているのを知らなかったのだ。彼も私のサイトを知っていて「waiwaiさんのhpも見ています」と言う。同じ様な志向の山行形態なので、どんな人なのか興味を持っていたのだが、彼は私と違いガッチリした体躯だった。

 しかし彼の話は、私達の“ゆっくり山歩き”とは違って、随分長時間の、それも考えられないようなルートの縦走だったりする。話は尽きないのだが、今日は大阪までの長丁場が待っているので、お互いに写真を撮り合って小屋を後にした。
 
     
    大阪までの帰路は、いつも使っている高速のルートだ。中国道の“宝塚トンネル付近”の渋滞も、今は慣れてしまった。明日からはまた、味気ない日常が待っている。
 「写真を送ります」との言葉どおりに、泉保さんからの添付ファイル付きのメールが、翌日届いた。
 
   
     
    去年もK2.・バルトロ氷河トレッキングの直後で静養を兼ねて訪れたのだったが、今年も手足のあちこちの関節が痛む病気に罹って鎮痛剤を飲みながらの一の森になったんじょ。朝起きぬけが一番痛いので早朝撮影は大変だったけど、一面のガスでも何時いい状態になるか分らないので起き出したんじょ。
余り良くならなかったけど、一瞬太陽が出たし、山並みも見えたんでうれしかった♪

 ブロッケンも見えたけど、去年いいのが撮れたので撮らんかった。それにしても、泉保さんの話で歩く早さとか、タフさには(三嶺〜剣山を4時間等)は度肝を抜かれました!

 元気になって、又ゆっくり行くのだ〜。