2003年「waiwai隊」 晩夏の山歩きの記録

  2003年9月6日(土)〜9月9日(火)

 

  

・9月 6日(土) 徳島〜見の越   見の越〜一の森ヒュッテ 

  

  

 「一の森ヒュッテ」には今春、定年退職を目前にして「小屋番の生活」を選んだ内田さんがいる。夏までには、一度は寄りたいと思いながらも実現出来なかったが、やっとその機会がやってきた。

 徳島からはR・192を走り、貞光からのルートを採った。見の越の屋根付きの駐車場に車を停め、“お土産”を詰め込んだザックを背負って、剣山神社へと向かう。11時少し前である。今日は一の森で泊まるので、何時に何処まで・・という計画は何も無い。

 もう9月とはいえ、ギラギラと夏の日差しが照りつける中、剣山神社の右手を進み、リフトを潜って登山道を行く。しばらく進むと、空荷のハイカーが後から来る。道を譲って、私達はマイペースを決め込む。リフト駅の西島では休憩したくない・・との相棒の言葉で、ちょっと手前での小休止である。やはり、西島駅には観光気分の人たちが休んでいた。おいしそうなアイスクリームもパスして“刀掛け”へと進む。

 “刀掛け”からは、剣の山頂への道を見送って一の森へと道をとる。12時だった。この道は、一ヶ月前には“花を見る”人達が使う道で、決して案内板にある“行場”への道では無かったのだが・・。今は行き交う人もまばらだ。小さな滝で冷たい水に諒を受けて、荷揚げ用リフトをくぐると冬季避難小屋が在る。そして、懐かしい声が聞こえて来た。13時過ぎに、半年振りの再会だった。

  

  

 内田さんは、すっかり小屋番生活に慣れ、風格さえ感じるのは、その人柄から来るのだろう。部屋に案内されて荷物を置き、小屋前でビールを飲みながらの話は、相棒の写真の話から小屋での出来事まで尽きる事は無い。「この小屋へ寄って来る人は面白い。こないだも黒田さんが寄って行ったが、あの尾根を降りるといっていた」と、「地図に無い路を縦横に歩いている人がたくさんいる」という、また「泉保という人が寄っていった・・」と、徳島・香川の「山の本」書きが集う、という話が面白い。

  

 

・9月 7日(日)    槍戸山〜スーパー林道〜ほら貝の滝〜一の森ヒュッテ

  

   

  

 昨夜は「天体ショー」で盛り上がったのだが、一晩中“火星=星?”を眺める同宿となった人の歩く音で、熟睡もままならなかった。しかし、「余裕のヨッチャン」を決め込む私達は朝食を摂り、7時45分に小屋を出た。

 今日のルートは、先日、地元の人たちにより作られた「槍戸新道」から、スーパー林道を歩いての「ほら貝の滝コース」である。槍戸山へは明瞭な尾根コースとなっているが、四国笹に付いた朝露が容赦なくズボンを濡らす。また、刈跡も新しいので、体重の軽い私はピョンピョンと跳ねるように(少々オーバーな表現だったかな?)歩く。

 槍戸山には30分程の尾根歩きだった。小休止の後、先ほど真下に垣間見た、スーパー林道に駐車している車を目指して歩を進める。「よくこんな所へ路を付けたなぁ〜」と感心しながら、笹の中や潅木の間の路を辿る。

 

   

  

 

  

 やがて、ロープが張られた岩場の箇所が出現した。近頃は、下からア〜ダ・コ〜ダとの指示を出さなくても、相棒は平気になった。少し下って行くと、朝一番の登山者も、直ぐ後に続いて登ってくる人達もペアだった。

 稜線の路もしばらくで植生が変わり、植林地に特有の、踏み跡が交錯するようになった。次に出合ったペアは少し女性が遅れていたが、私達の今日の予定を話すと、手をたたいて歓心してくれ「私達も、先日“ほら貝の滝コース”から登ったが、途中で路が判らなくなって降りてきた。是非頑張って!」と励ましてもらった。林道の登山口に降り立ったのは9時半頃である。

 ライダーが通り過ぎる林道の脇で、おにぎりを腹に収め、「ほら貝の滝コース」へ向けて林道歩きだ。少し歩いていくと、先刻登山口を偵察していた「岐阜ナンバー」の乗用車が停まっていた。

 一言、二言と言葉を交わすと「登山口まで送りましょうか?」の申し出だ。相棒は遠慮もなく「お願いします」と、乗り込む態勢である。なんで、岐阜ナンバーでウロチョロしているかの仔細は書けないが「不入山へ行こうと思っている」の言葉で、「ただものでは無いな!」と思ったが、おおぼら橋は10分程だった。

  

  

  

 昨晩内田さんに、25,000図の訂正をして貰っていたので、安心だ。良く踏まれた路は左岸沿いに続いて、次第に谷と離れ高度を上げるが、長くは続かなくて、間もなく谷に降りて行くように路は続いていた。

 谷に架かる丸木橋を渡ると、路は真っ直ぐに斜面を上がっていた。ここからは、右岸を辿るようになる。私の持っている地図(25,000図、s.60年)とは路が換わっている。やがて地蔵岩の印を通過するのだが、どれが地蔵岩なのか判然としないまま進む、前方に古ぼけた案内板があり、そこにある簡単な地図は、一の森と剣山との別れが現在地であると記していた。この先に「ほら貝の滝」が架かっていた。

  

 滝での休憩を済ました頃、70歳前後の女性二人が現れた。「登りの時は分らなかったので、上で滝の場所を聞いてきた」とのことで、私達と交代して、滝に向かう彼女らに挨拶をして、尾根を上がって行く。11時40分だった。

 やがて“ぼぉ〜”というような音が聞こえた。相棒と顔を見合わせて“ほら貝”の音と違うか?「さっきのオバサン達が、ほら貝の滝でほら貝を吹いたんだ!」それは作ったような出来事だった。尾根の道は、直ぐに汗が噴出してくる。高度を上げるにつれて、ジローギューや槍戸山・一の森が姿を現す。

 高度計が1,700mをさす頃、朝方に槍戸の道ですれ違ったペアに出会う。直ぐ後にもう一組が続いていた。「なんか、抜きつぬかれつのデッドヒートみたいやねぇ!」と相棒がささやく。やがて遮るものの無いササ原に出ると、剣山の頂上直下に出た。頂上には見向きもせず、二人の足は頂上ヒュッテを目指していた。もちろんビールである。13時前の乾杯だった。

 頂上ヒュッテでは、中年男性を囲んで「ペースメーカを付けているそうなんですが、気分が悪いので寝かせている・・・」と、携帯でヘリを呼ぶかどうか、話していた。いろんな事件(?)が起きるもんものだ・・

  

 

 

   我々は、一の森ヒュッテに戻って、夕暮れまで時間潰しで“上の写真”の出来上がりである。

  

 一の森での朝陽の撮影は忙しかったんじょ。

 前日、内田さんに撮影スポットを聞いていたので、そこを回るのに大変!

 今回はおっちゃんに負けた? から、また行きたい!!

 それにしても、内田さんは忙しそう。水を上げる発電機のスイッチを、何度も見に行かなくてはいけないし、タイマーがいつも鳴っていて、「こうしておかんと、忘れるから」との事。小屋番の仕事はほんと大変と思った。

 日に干してくれていた清潔な布団。

 圧力釜で炊いた“きび”入りご飯、あまごのから揚げ、そば米のお汁・・美味しかったんじょ。(^^♪

  

 

 千代の写真館  Part-1

  

 

 

 

 

 

 

 

 千代の写真館  Part-2