2003年           




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 6日〜7日【一の森】、8日〜9日【一の森〜天狗塚】 

燃える朝陽(waiwai)


 15日【御在所岳〜鎌ガ岳】

 先週の四国での山行が、久々の充実の山歩きだったので、単なるピークハントではダメダメッ・・と、御在所岳の一の谷・本谷を計画した。このコースは、今春の御在所行の際に、間違って取り付いた谷だった。計画では、本谷を登って御在所岳・望湖台へと辿り、地獄谷から上水晶谷と降り、愛知(えち)川の源流から雨乞岳へと、長大なコースだった。
 とにかく、いつものように愛車は名神を突っ走って、国道1号線のコンビニで停車する。もう四度目の鈴鹿スカイラインとなると、慣れたもので、目的の駐車場所の「山の家」までノンストップである。しかし、今日は少々の出遅れという事もあって、車の量が多い。駐車場所をなんとか確保して、登山口は9時10分だった。


 中道登山口から鉄橋を渡り、山の家のトイレを借りて、本谷へと路をとる。今回は、今春のルート誤りの後に手に入れた1/5000の詳細地図(奥村氏・作成)を持ってきたので安心である。路は直ぐに谷へと降りている。対岸へと続く路が今春辿った路で、今は廃道となっている“点検道”だ。今回はもちろん谷を辿る路を採る。これを計画したのは、地図の入手とともに、先ごろnet(鈴鹿ハイキングクラブの記録をpanaちゃんがhpに載せていた)で見たのに刺激された事も一因だ。今日は水量も少なくて、沢伝いに踏み跡を辿れる。30分ほどで、ちょっとした滝に出合った。小休止である。

 相棒は「気持ちええわ〜」と、水に手を付けて口を漱いでいる。滝を写真に収めると、デジカメの残量が無くなった。不要な写真を削除して、撮影サイズを小さくするが、残枚数が思った程増えない。単独の男性が登ってきていた。この滝は左手を巻くように路は付いていた。再び谷に降りて、大岩の重なる谷をエッチラ・オッチラと登るが、傾斜は増してきたようだ。右手への巻き路を辿り巨岩帯を登ると、二股に着く。先ほどの単独者とは違う男性が追いついてきたので、ここで小休止とした。が、男性も腰を降ろした。相棒が話しかけていると「ここの水は、濡れるのも避けている・・上の汚水が流れてくるからねぇ〜」の話で、相棒の顔が引きつった。“さっき口を漱いだのに、大丈夫かなあ〜”と・・・


 先ほどの単独者がズボンまで濡らして、傍を登って行った。私達と一緒に休んでいた男性の後を追って、出発である。二股の路は左手の谷を巻いていた。それほど危険な箇所は無いものの、巻き路と谷の岩を縫って路は高度を稼ぐ。要所では先ほどの男性がルートを指し示してくれ、しばらく案内をしてくれた。「このルートは、人が歩かないから好きだ!」そうで、良く通っていると言う。やがて巨岩の隙間を這い上がる箇所を過ぎると、先に行ってしまった。
(この隙間は、もう少し太ると這い上がれないな〜(*_*; 登るにつれて、岩や苔の色が・・、汚水が流れたような・・、よく飲みこまなんだものだわ〜 ×△☆★〆?§◎◆△・・・(千代記))

 やがて、ロープーウェイが頭上を行き交う箇所に出る。展望台にも人が見える。話し声さえ聞こえて来た。“どこか適当な場所で休もうか?”と、場所を探しながら登って行くと、ロープーウェイから手を振っているではないか!“私たちは、どういうふうに見えているのかな〜”と、私たちも手を振る。子供の声が「がんばってぇ〜」とする。「がんばらんよ〜」とも応えれないので、手を振るのみである。小休止の後出発だが、直ぐに右手へと鉄塔巡視路への路が続いているが、私たちは左手へと路を採る。掘り割れみたいな路を進むと、左の藪の中へと続いている。潅木を掻き分けて尾根は、ゴンドラ駅を右手に見て少しで、山上レストラン・アザレア前へと飛び出した。11時30分だった。

 もちろん私たちは、生ビールを買って昼食である。思ったより時間を食ったので、当初の予定は変更だ。武平峠へと降りて、鎌ガ岳を目指す事とした。ビールが効いた足元でも、舗装道路ならつまずく心配はなく、ハイカーと一緒に長者池を見学して、先を急ぐ。ここは、安心して歩ける登山道である。峠には、30分余りで着いた。この頃には、ビールも抜けていた。

 


 ここから鎌ガ岳へ向けて登り返す事となる。小休止の後、出発は12時45分だ。朝方のルートとは違って、整備された路なのだが、急坂の登りは辛いものだ。ナップサック姿の若いペアが写真を撮っていた。私たちは、今日は私のデジカメだけで・・それも残量を気にしながらの撮影である。ゼイゼイ・ハァ〜ハァ〜の登りも、岩場の上に出ると鎌ガ岳が目の前に現れた。直ぐ前の鞍部が、三ツ口谷分岐らしい。中高年の団体が休んでいる傍を通って、急な道を登る!昇る!上〜る。後方には、先ほど間近に見たゴンドラや御在所岳が、鈴鹿スカイライン越しに見える。やがて前方に、岩肌をさらけ出した斜面が立ちはだかっていた。ロープが架かった斜面は、ザレザレで滑り易い。頂には、若者たちのグループが休んでいて、相棒が着いたのは13時半だった。

 さて、何処を降りようか?と、いいかげんなものである。性懲りも無く“昭文社のエアリアマップ”を持ってきているので、地図を広げて「長石尾根にしよう」と、相棒に告げる。何処から降りても2時間程度なので、どのルートでも良かったたのだ。14時前に頂上を後にしたが、いきなりの急坂だった。潅木に縋りながらの急降下も、長くは続かなかった。暫くの降りで、別れに着く。左方へは谷へと降っていた。右手は尾根伝いなので、長石尾根の路はこちらだが、私たちは左手を選んだ。この谷が三ツ口谷だ。

 谷沿いの路は、トラバースの箇所と谷沿いの箇所もあり、何箇所か谷を渡って降りていた。しばらく降りたところで、トラバースの路から谷の直登の路が合流する所で、少し上流から小グループが降りて来ていた。その先に小休止に格好の場所があり、コーヒータイムである。

鈴鹿ハイキングクラブの写真に納まったwaiwai隊(コーヒーを飲んでいます)

 これは、後日談となるのだが、上の写真が先ほど見かけた「鈴ハイ」のメンバーによる写真である。帰宅後、netを見ていてビックリ!して、こんな接近の仕方もあるんだ!と驚いたのだった。(なお、上の写真は「ブッシュマン」さんの使用許可を頂きました)この時は、それとも知らずに腰を上げた。15時15分だった。スカイラインの下に残っている路は、車に邪魔されず続いていた。どこかのスカイラインとは、大違いである。20分ほどの距離で、朝方の駐車場所に着いた。もう周りの車は数台を残すのみとなっていた。(waiwai記)


 21日【皿ガ嶺】

ももさんと、千代さん(愛大小屋にて)

 さて、連休は22日におっちゃんの用事があるので、愛媛と決まった。天気予報は21日(日)しか好天はなさそうだった。ところが、急に台風が接近している・・・。

19日(金) 仕事を終えたおっちゃんが帰宅し、荷物を積み込んで出発! 徳島の姉宅で、パソコンを教えたり、インターネット接続の設定をしたりして、宿泊。

20日(土) 朝から雨が降る中、愛媛へ。石鎚山ハイウェイオアシスで、展示されている写真を見て、我が家へ。ありがたい事に義父が、近くのお寺に12日に来る度、風を通してくれているので、今回は思ったほどカビ臭くなかった。
幸い雨も降ってなかったので、家中の窓を開ける事が出来た。

21日(日) 今日の予定は、8月に帰省した時、倒れて入院した伯母のお見舞いと、フジグランの「福島勲」写真展に行く事だが、一度は“皿ガ嶺”に行かないと・・と、朝になって、“もも”宅に電話して昼から行く事になった。
 石鎚山の東稜に行った時、最後の岩がどうしても登れなくて苦労していると、「踏台にしなさい」と写真ザックを置いてくれた方で、いつ石鎚山に行ってもお会いする方が、福島さん?、そうだと写真が見たい! と出掛けたら、やっぱりそうだった。山で見るのと大違いで(失礼)ダンディだった。♪ 写真は・・それは、まあ〜、あなた、なんと言っていいか、石鎚山と光と雲と空・・etc
幸いな事に、伯母も快方に向かっていてお見舞いも来た甲斐があるってものだった。
  
風穴のオタカラコウ、竜神平、ヒガンバナ

 昼、U氏のお迎えで、皿ガ嶺。台風とともに急に冷え込んで肌寒い。登山口に「森の森林浴八十八ヶ所・三十一番皿ガ嶺」とか書いてある杭が建ててある。いつのまに〜? 登山道には木の名前等を貼った立て札があちこちに立ててあったが、早くも剥がれている。
いつものように愛大小屋を利用させて貰おうと中へ入ると、先客がいたが譲ってくれた。中は荒れて来ていて、ゴミも増え、屋根も押さえの木がづれているし、戸のU氏がガムテープ等で補修してあったガラスも破れていた。親子連れも入って来て、荒れた小屋の話題でひとしきり話した後で、屋根の木のずれを直したり掃除したりして小屋を後にし、頂上で記念写真を撮り、ゆったり下りた。
 上林でヒガンバナが咲いていたら撮ろうと、おニューのカメラを持って来たが咲いてない、役場の辺りでやっと見つけて撮影できた。後はいつものようにU氏宅で乾杯!!
 
線路脇のヒガンバナ、行く夏

22日(月) 朝、近所を散策して、ヒガンバナを撮影。横を通ると必ずブロックに足を掛けて尻尾を振ってくれていた犬の「姫」ちゃんが、出てこない・・・。覗いてみると、犬小屋に鎖の先が・・・。去年は暑さで弱っていたと聞いていたが、この前帰った時は元気に尻尾を振ってくれていたのに・・(:_;)、通学の小学生、散歩のお年寄り・・野良犬だった「姫」ちゃんは拾われて、みんなのアイドルだった。
 おっちゃんが出掛けた後、友達が来てくれてフジグラン重信で買い物。元同僚で砥部で砥部焼工房を開いているW氏の所へ連れて行って貰った。右に障子山、正面に皿ガ嶺方面が見渡せる仕事場、マキのストーブ、狭いアパートに比べ、これが人間の暮らしってものだわ!
 その後、おっちゃんの実家でひと時を過した。

 23日【寒風山】

朝陽を受ける石鎚(重信町より)

 せっかく帰ったので、石鎚山に登りたかったが天気は下り坂だしと、寒風山に登る事になった。家を6時過ぎに出たら、朝焼けに石鎚山がくっきり!
  
登山道の私、瓶ケ森方面、笹ケ峰方面

 登山口には既に10台前後の車が停まっている。8時に出発。今日は軽荷なので、おっちゃんのペースに待ったを掛けず桑瀬峠に8時35分、ここからは、ちょっとバテて9時30分に頂上に着いた。登山道からは、伊予富士〜瓶ケ森、笹ケ峰〜平家平が展望出来た。30分食事の後下山。次から次に登ってくる人達とすれ違う。天気は下り坂なのに、どうしてこんなにゆっくり来るのかな〜。桑瀬峠で休んでいるグループの人が「ここからはハシゴがあるそうですね」と聞くので、「前はなかったので、たいへんでしたが、ハシゴがあるので登り易いですよ」と答えると、「ハシゴがあるから登りやすいんですか〜」との返事?? それにしても、登山道はよく整備されている、滑りやすい一枚岩にもステップが刻まれていた。
 11時過ぎに下山、駐車場は満杯だった。一の谷館に着く頃には、雨が落ちて来た。滝見風呂に入浴、あまご定食を食べて、連休をしめくくり大阪に帰った。

 
下山の時に大勢の人と行き違ったが、愛媛の山々へも多くの人が訪れているんだな〜と、感心したのだった。あるグループは「20人ほどおりますヨ!」のリーダーの言葉だったが、山では初めて会うような“とびっきりの美人”も混じるグループだった。桑瀬峠からの急降下の道を「今から登る人はおらんじゃろう〜」と言いながら下っていると、人の声が聞こえてきた。端に寄って待っていると、久しぶりの顔・・「お久し振り!」と声を掛けたのは、前の職場で同僚だったK氏の奥さんだった。昨年の転勤直後にも、皿が嶺で会ったのだが、全く世の中狭いもんだ。(waiwai記)