うどん?の歴史〜マニアックな話! 
このページは、うどんの熱い思い込みを書いて見ました。
                                                     
 

うどん自己紹介?
昔は平成の部下に、昭和のサラリーマンといわれ、よくカラオケ行っていました。
ジュリーに郷、チェッカーズ歌ったなー?
サザンオールスターズ・レベッカ・オジ―オズボーン・スコーピオンズ・ジューダスプリ―スト
マイケルシェンカー・AC/DC・ゲーリームーア―・スーパーロック84など見に行きましたねー。
ジャイアント馬場・ジャンボ鶴田・A・ブッチャー・ファンクス・ザシーク・ブルーザーブロディー・
ジミースヌーカーの時代は、よき時代だった。
東京都体育館・後楽園ホールよく行ましたねー。


なぜ"うどん"という名前なのか?
いちばんよく聞かれます。理由は簡単で、家族と飲んでいるときに、
甥っ子(当時小学1年)に店の名前なにがよいか聞いたら"うどん"と言われ、酔った勢いで決めてしまった。
後で店名の理由を聞いたら、店の名前を考えたのでは無く、かれーうどんが思いついたためだそうで?


何処で勉強したんですか?
すみません。全然勉強していなく、思いつきで完成したカレーなんです。カレーは、好きで色々食べ歩いています。
ですから、手際が悪くお客さんにも迷惑を・・・でもいっしょうけいめいガンバッテいます?
また、スープカレーと言う名前は、最初存在していませんでした。
札幌出身のお客さんからこのカレーはスープカレーですよと言われ、
3年後には下北にM店が店をオープンするから都合良いんじゃないとも言われ、
更に札幌のスープカレー知らないならと、店5軒をお客さんから教わり、実際食べに行きました。
初の札幌の旅は、1泊2日スープカレーの旅でした。ラーメンに居酒屋、鮨屋、ジンギスカン食べたかったなー。
そしてその後、スープカレーの店とサブ店名をつけたのでした。(常連のAさんありがとネー)
うどんのカレーは、インドカレーは、あまり参考にしていなく、インドにも行った事はありません。
他の国の料理(スープ)を参考に、カレーを考えています。
それが、季節のカレー・夜カレー・バジルポークになっているような気がします?


何故スープカレーは、ご飯とカレーを別々に食べるとススメるの?
それぞれ、好みなので、かけて食べても良いのですが・・・
***昔から自分が食べる時、サラサラカレーは、別々に、トロトロカレーは掛けて食べていたからです。
***別々だとスープ、具材の味がよくわかる様な気がするから?
***スープーを飲むと、辛いのですが、白いご飯(秋田小町使用)を食べると、
ご飯が甘いので辛さを和らげるような気がします?
 (最初は辛いですが最後まで食べきると、何かが見えて来るような気がします?)
***是非トライして見て!
!

どんにはまる理由?
食べ終わっても、もたれない事。
スパイス・油をあまり使わないので、サッパリしていてまた食べたくなるみたい?
なぜか、スパイスは、あまり好きじゃないので、スパイスがあまり残らないようにしていたりして?
後は、魔法の粉を入れているので??


うどん健康法
どんのすーぷかれーをまず食べることです。
かれーには、スパイス・野菜・にんにく・しょうが・とうがらし・等がたくさん入り油が少ないのです。
だから新陳代謝がよくなり、便秘・食欲不振・二日酔い・風邪・疲労に良く効くみたいです?
あとは、食べ終えた時の満足度と笑顔かな?


濃厚甘口びーふかれー物語
カレーの店を始める前の事だった。サラリーマン時代、いや、大学・高校・中学くらいの時だったかな?
家でカレーを作る時は、自分が家庭用カレールー、カレー粉、バター、牛乳を使った
コクのあるカレー作りをしていた記憶がよみがえる。
特に、こくまろ、熟カレーが発売されたときには感激。
実はこの時からなぜか?カレーの中にゆで卵を入れて、カレーと煮込み、カレーの付け合せとして食べていたりして。
もちろん、家族には好評。いわゆるカレーたまごの誕生と言う感じかな。
その後、高校・大学・社会人と、ビーフシチューみたいな、色が黒く、コクがあり、甘辛いカレーを作ることをめざして、
家のカレーを作ってきた様な気がする。
もちろん、あとかたずけは、自分でやってはいない。
記憶に残る唯一のカレー作りはと言えば。
今の嫁さんと付き合っていたころ、クリスマスにマーマレードで焼いたスペアリブを作ってもらい美味しく食べた。
その何本か残ったスペアリブを使ってカレーを作りたべた。うまい!コクが!甘辛い!もちろんカレーたまご入り。
そして、このカレーをタッパーに入れ、当時お世話になっていた得意先の部長に持参。もちろんかれーたまご入り。
なんと、そのカレー家に持ち帰り奥様と一緒に食べてくれ感激!!
そして後日、カレーが美味しく作り方を教えてくれとの事。
もちろん、喜んで紙に作り方を書き、さしあげたら、あまりに作り方が大変すぎるとの事。
そしてなんと!これは、家では作れないからまた作ったら持ってきてとのこと。ショック!
実は、このレシピーを書くのは大変だったのに、簡単にまた作ってとは。
その後、珊瑚礁・ボンディー、和田門でカレーを食べ、刺激を受け、目指すカレーが絞られる。
更に自分でカレーの店をやりた気持ちが強くなる。
その後、会社を退社して、川崎で7席の小さな店を始める事になる。
開店前、店の場所(ビジネス街)を考え!
あきないカレー!毎日でも食べられるカレー!胃にもたれないカレー!
1回食べたらしばらく食べなくても良いと思わないカレー!をテーマにメニューを考えた。
その結果、当時自分の好きだった、濃厚な色の黒い欧風タイプのカレーは、おもたすぎる気がして、
自分の中に封印してしまう。
これが、観光地や人の集まるところなら、食べた瞬間美味しく感じ、メニュー化してもよかったと思ったが。
その当時は、あきない、毎日でも食べられるカレーを作ることが頭の中にいっぱいだった気が。
そして、3年が過ぎ、2002年12月に、ハヤシライスをメニューカット
(ハヤシ好きのお客様すみませんでした)した。
”うどん”の近くにカレー屋ができるのを知り
封印していた濃厚甘口びーふかれーを2003年1月メニュー化決定。
甘口が好きなお様に現在好評。
そして今、昔の記憶を呼び起こしながら、濃厚甘口びーふかれー辛口のオーダーを受けている2003年4月。
2004年1月には、とろっとタイプの大黒柱に・・・濃厚辛口ビーフカレーと。

ぽーくかれー物語
川崎に店を出す事が決まりメニューを考えていた頃。
最初の構想では、欧風ビーフカレー・田舎風ポークカレー・ハヤシライスの3品でメニューを決めようと考えていた。
ビーフカレーは、色の黒い本格的欧風カレーに。
ポークカレーは、長ネギと豚肉のスライス肉を使い、色の黄色い醤油味のする田舎風カレーに。
ハヤシライスは、甘酸っぱい味では無く、色の黒い、ワインの効いた、デミグラスソースベースの味に。
開店1週間前、ビーフとハヤシは迷い無く決定。残るは、ポーク。
開店前、最後の日曜日。ふと?ある料理にカレー粉を入れてカレーにしてみた。
これは面白い!
そして、近所のスーパーに行き野菜1品とにんにく、しょうがを買い、さっき作ったカレーみたいなものに加えて煮込んだ。
そして食べた。うまい!!!
この1日にて、なんと!ポークカレー完成。
もちろん、田舎風ねぎ入りでは無く、今もみんなが食べているスープタイプのポークカレー。
開店まで時間が無い!!
自分を信じて、いきなり本番。
うまい!!
試作とは少しちがう!
しかし、自分でも今まで食べた事の無い味のカレー。
新鮮だ。さっぱりしていて、胃にもたれない。
ポークカレーは、この作り方で、これからも作っていこうと、川崎の店オープン前日に決まる。
しかし、このカレーが川崎のお店、五反田のうどんを支えるほどすごいものだとは、この時考えてもいなかった。
それから、1年の間にポークカレーは、毎日試食をし、数回改良された。
この1年は、ポークカレーの味が一定になっているか不安で、毎日ポークを食べないと落ち着かない感じであった。
そして、今の五反田へと店は移り変わる。
今では、うどんの生命線ともいえる大切なカレー、自分でもよく出来たなと思うカレー。
それが、ぽーくかれー。

ばじるぽーくかれー物語 
川崎当時の頃のメニューは、ビーフカレー・ポークカレー・ハヤシライスの3品
プラスかれーたまごトッピング1品だけだった。
半年ぐらいたった頃、バジリコの入ったパスタを食べ、ふと・・・。
トマトベースのポークカレーにバジルがあうのではと思い試してみた。
うまい!そして、バジルポテト・バジルトマト各100えんで、トッピングメニューとして誕生。
これまた、たまご同様人気トッピングに。
そして、五反田オープン時には、バジルに合う野菜として、
とまと・なす・ピーマン・ジャガイモのどれかを1品入れ、バジルポークとして正式なメニューとなる。
いわゆる、トッピングメニューから1品メニューに昇格と言う感じです。
そして今では、バジルポークの野菜と言えば、なすとなる。
トッピングメニューから昇格したカレー。
それがばじるぽーくかれー。

夜かれー物語 
めちゃくちゃ偶然出来たカレーだった。
スープカレー好き(札幌出身)の常連さんがいつものように、仕事帰りの夜8時30分頃来店。
いつものように、バジルポークを頼むが、今日に限り豚肉が売り切れ困る。
常連さんもスープが食べたいので、具ナシでいいと言ってくれる。
が、その時、生の豚肉が冷蔵庫にあり(これは、明日の仕込みの肉だった)
この肉焼いて、カレーに入れてあげるけどと、提案。
彼もOK。じゃーやってみよう。
豚肉を薄く切り、塩をふり、両面軽く焼き、バジルポークのスープを入れる。
豚肉の焼いた油と香りがなぜか良い。
彼がスープを飲み、肉をかじる。
笑顔があらわれる。自分も夜ご飯に同じカレーをつくり食べる。
これは・・・・・。
さらに、にんにくを入れたらとひらめき、すぐさまつくる。うまい・・やばい・・・!!
豚肉の甘味、歯ごたえ、香り申し分ない。
これは、静岡のうなぎパイじやないけれど、にんにくを使った夜のカレーだなと思い、
”夜カレー”誕生。
五反田のお客様には、いつかこのカレーをべて頂きたい。
今は、豚では無く、鶏肉でーす。
なぜ?鶏肉かと言うと・・・・?

にんにくぽーくかれー物語
このかれーは、メニュー化する予定は無かったのですが・・・
2003年に有名カレー店がオープンと言う噂を聞き、
濃厚甘口ビーフかれー同様、2003年1月に新メニューとして登場。
でも、今では、この2品とも見事に人気メニューに成長し、結果オーライという感じ。
2002年夏、某焼肉屋で食事をし、あるスープを注文し何かを感じる。
その翌週、先週の余韻を感じたまま、某スペイン料理で食事をし、あるスープを注文。
スープを飲んだ瞬間うまい。これはもしかして、すーぷかれーになるのではと思ってしまった。
そして翌日店にて、焼肉屋とスペイン料理のスープのイメージでカレーを作ってみると、
これはうまい!
やばい!
あっというまに、にんにくぽーくが出来上がって完成。
しかし、その時は、メニュー化の予定も無く、
暇な時に来てくれたお客さんにだしてあげようかなとおもうだけだった。
ちなみに、にんにくぽーく非公開初登場は、
このホ―ムページがやっとのことで完成した時の事
プロバイダーとつなごうしても、どうやって登録していいのか判ら無くなってしまっ時
週3回くらいで来てくれる常連さんに、営業終了後店に来てもらい、ホームページを立ち上げてもらい、
お礼に未公開カレーをご馳走したのが、初披露だった。


季節の夜かれー物語
自分の中で、1000えんを超えてしまうカレーは、いくら美味しくても大きな感動は少ない。
カレーは3ケタが、味と値段のバランスがとれ、理想かなと思う。
しかし、1000えんのカレーをうどんでも作ってしまいました・・・すみません。
うどんも、オープン1年くらいは、夜にお客さんが来ない日がよくあり、
夜は五反田のお客さんより、前のお店のお客さんが来てくれるほうが多かったような。
(特に夜来てくれた女性のお客さんは、99%前の店のお客さんだった様な)本当に感謝。
しかしその当時、季節のかれーが出来上がり、
こんなに美味しいカレーなのに(自分で言ってしまいます。)
なんで昼のお客さんは季節の夜カレーを食べに来てくれないの?
夜来てくれるお客さんと話していたような・・?
なんで、季節の夜カレーを作ろうと思ったかは、忘れてしまった。
たぶん自然の流れか、手間がかかっても他の店には無い!
食べて感動できるすーぷかれーを作ろうと思った様な気がする?
そして、各季節の素材を充分生かした、春・夏・秋・冬のかれーが、1年をかけて完成。
1000えん払って損した気のしないカレーを作るのは大変。
だって自分が客だったら、1000えん払って感動しなかったら、もう次の季節かれーは食べないと思うから。
ちなみに、冬カレーが一番苦労。
牡蠣の臭みが消えなくて、味噌を入れたり、バターを入れたりと悪戦苦闘。
しかし、この問題もお客さんとの雑談にてヒントをもらい解消・・・大感謝。
だから、冬カレーだけ1種類で、他の季節は2種類の味が存在するのです。
ちなみに、今では、昼も夜も大変愛されるカレーに成長している様な気がする毎日。
ありがとねー!!
季節の夜かれー食べたら、カレー観かわるぞー・・?
特に、牡蠣が好きで、辛いのがだいじょぶなお客さん!
冬カレーだまされたつもりで、食べに来て。


熱くダカーポさんを語る(涙)
ダカーポさんとは、2006年10月に妻が知り合った、ダカーポさんの妹さんから頂いた美味しい鯛焼きを、
食べた事が最初のきっかけでした。

そして、うどんの甘い物好きのお客さんにダカーポさんを紹介していく日が続きました。
その頃僕はただ、うどんが好きな人で甘いものが好きな人がいれば、
鯛焼きやさんを紹介してあげようと言う気持ちでしかいませんでした。
そしてある日、カレーブロガー?のベーダーさん、侍さんが絡み合い、
きちっとした形でダカーポさんと知り合いました。

その当時、侍さんからカレー鯛焼きを作ってくれと要望が直接あり、
ダカーポさんの意向等を含めた手紙?も頂きました。
それを読み僕は、最初こんな風に思いダカーポさんに初正式訪問しました。
その内容は、ダカーポさんの鯛焼きは本当に美味しいですから王道で行って欲しいです。
もし、カレー好きの方に躍らせれているならやめたほうが良いと思います。
でもダカーポさんの答えは違いました。

鯛焼きは夏になると弱いので、新しい柱が欲しいとの事でした。
それならば、他店に無い斬新な鯛焼きが考えついたら、やりましょうと言う事になりました。
そしてその後、夢のコラボ?”鯛うどん(うどんは入っていません)”が誕生した訳です。
でも最初お母さんが考えた鯛焼きの名前は『スパイシー鯛焼きTHEうどん』だったんですよね。
この名前どうですか?またその当時は、今のような鯛うどんの一人立ちなど、全く考えもしていませんでした。
その後、ダカーポさんもカレーが好きで、週2回鯛うどんの具材をうどんに取りに来てもらう時に、
テイクアウトでカレーを買って頂いていました。
そして、カレー好きな甘いもの好きなお客さんもたくさん増え

さらに、カレー好きなお客さんのブログ、口コミ、マスコミにも取り上げられ、
確実に有名になっていったような気がします。
でも、マスコミに取り上げられたのは、うどんもそうですが、
間違いなく常連さん・ブログで熱く語ってくれたお客さんの力だと思っています。
そして、いつのまにか”五反田ゴールデンコース”とも一部で言われるようになりましたね。
でも有名になっていくと同時にダカーポさんの身体を心配する声もありましたね。
お母さんも一時大変でしたね。その時も、常連さん・ブログの力を強く感じました。
そして、今年5月に鯛うどん1周年記念そば打ちの会をダカーポさんの妹さんの家で行いました。
1年でこんなに鯛うどんが大きく成長!
ダカーポもうどんも、鯛うどんに負けて、更に離されないように後ろをくっついていかないと言っていた気がします。
その頃から鯛玉の味も数段に美味しくなって来ました。
間違え無く鯛玉に振るスパイスの量が増えてきた事が原因でした。
スパイスになれる事は、素晴らしい!

7月21日の海の日には、うどん12時の部でダカーポさん御夫婦、
ベーダーさん、侍さん、その他の仲間たち11人とで、
ベーダーさんの作った曲を聴きながら、モロヘイヤカレーを食べ1時間30分をすごしました。
今思えば、このメンバーでうどんでカレーを食べるということはまず無い事ですから、
最後の楽しい思い出となりました。
そして、ダカーポさん8月の休業発表。
(事前に、一部の血管を人口血管に入れ替える簡単な手術と聞いていました。)
その前に何とか9月の復活サプライズをと、秋の鯛うどんを打ち合わせ。
未完成ではあったが、7月29日ギリギリ試作を焼く。
これでOKとお父さんお母さんとニンマリ。そしてお父さん入院。
しかし、8月4日御夫婦でうどんに来店。

エッ!なんで?手術前に病院から外出許可をとり、カレー食べに来た!
昼は暑いから夜来ちゃった!もちろん食べたのは夏カレー2つで、ご飯少なめ2つ。
その時御夫婦は、仕事の疲れもぬけ、本当にふっくらと肌ツヤも良く元気そうに感じました。
また2人の姿を見て、やっぱり疲れがたまっている時は休むのが一番だなと強く感じました。
その時も、秋の鯛うどん内容変更の話をしたり、人造人間キカイダーになっちゃいますねーとか、
冗談を言っていたことを思い出します。
そしてその後も何度かお母さんがうどんに来店。
食欲があまりないと言いながらお父さんの様子を話していただく。
でも栄養つけるために、トマトカレーを作りお母さん完食。全部食べられて良かったと思う。

そして、毎日色々情報が入るが、僕達はお父さんの元気になる事だけを祈るだけしか出来なかった。
そして、2008年9月2日夜11時かりんさんから電話が店に入り、内容はお父さんが亡くなったとの事でした。
信じられない、昨日かりんさんともお祈りの話していたのに、頭がぼーっとなりました。
でもかりんさん、電話掛けてきてくれてありがとう。
そして今日2008年9月2日偶然にも、鯛うどん商品化のきっかけとなった侍さんが夜8時頃1人で来店。
めったに1人では来ないのだが、今日は1人でカレーを食べ、病院にお見舞いに行った話を聞き、
最後にお父さんの元気な姿を見れるよう祈るしかないですねと言い、お勘定。
お父さんが亡くなった日に侍さんが来店。これも・・・と思う。
でも、本当にたくさんの、鯛焼き好きのお客さんに親しまれ、いつも笑顔でいたお父さんは、
本当に僕のお手本でした。(全然見習えてはいませんが。)
本当に出会うことが出来てよかったです。
本当に有難うございます。

もっともっともっと一緒にいたかったです。
そしてお父さんは、これだけ美味しいものをつくり、たくさんのお客さんに親しまれていたのだから、
とても幸せな人生を過ごせたと僕は思います。
そして9月8日(月)快晴お父さんは、プレスリーの曲にのりながら、たくさんの人の心をつかみ、
楽しそうに旅立っていきました。
♪キビ・キビ・キビ・キビ・キビ・お父さん〜ニコ・ニコ・ニコ・ニコ・ニコ・お母さん〜 byベーダ

2008年9月8日(月)ダカーポさんのお父さん幸せそうに旅立たれました。
平成20年9月7日お通夜
この日は、日中晴天の中、目黒さんま祭り・町内会の祭りが行われ、
祭り好きのお父さんのお通夜としては最高の日ではなったかと思いました。
しかし、夕方今年を象徴する突然の雷雨(これもお父さんが演出したお祭りの一つかな?)で、
タクシーでギリギリ会場に6時到着。
前を見ると入り口で侍さんが。侍さんと歩きながら、マスター挨拶するんですね今日。
エッ!まー。僕は昨日まで明日の告別式だと思っていましたと、話しながら会場入り。
そして、なんとなく大勢の人が僕を待っていたかの様に式が開始され、お父さんの立派な経歴が紹介される。
すごい経歴だなーと思っていた瞬間、いきなり僕が挨拶をする紹介がされる。
エッ早い!と思いながら体が前へ。(その時嫁さんは、心で笑いながらもう終わったなと思っていたらしいです。)
まず、お父さん、親族の方、列席の方に挨拶。
気持ちは、今日来られた、来られなかった、うどんに接してくれたカレー好き&鯛焼き好きの代表として、
しっかりお父さんに2年間のお礼・思い出をのんびり話そうと思っていたのですが、
話をしながら秒殺撃沈と言う感じでした。
これ以上はこの話し語れません。

また僕のスピーチ中、侍さんが嫁さんの横で、さり気なくポツリと”マスターノープランじゃないですか?”と一言、
嫁さんも目を伏せたまま納得という感じだったそうです。
その後僕にもマスターノープランですねと言われ更に沈黙。
でもプランはあったのです。
最後にベーダーさんの鯛焼きソングの詩をベーダーさんと朗読する事です。
そして記憶は無いですが、たぶんスピーチを強引に終わらせ詩を読みますと言う形で詩を朗読しました。
でも朗読はワンフレーズだけで、残りは歌ってしまい終了。お父さん本当に良い想い出有難うございました。
カレー好きの鯛焼き好きのお客さんも皆、本当に楽しい時を過ごし、
ダカーポさんの鯛焼きを食べた数も人生で一番多いと思います。
本当に伝説を築いた鯛焼き有難うございました。
(ちなみに、僕が歌っている時ベーダーさんは式場にいませんでした。
お母さんも、ベーダーさんはいつも最後だからとポツリ)
しかし、僕の後は、何事も無かったかのように綺麗に挨拶され挨拶は2名で無事終了しました?

その後のビールにお寿司・天ぷら美味しく楽しく話もしながらお父さんのお通夜はおわりました。
お父さんも楽しく笑っていた様な気がします。

おまけ
お父さんはうどんに来る時良くマスクをしてきていました。最初の頃は風邪ですか?
いや前歯がとれちゃって、エッ!
最近は、マスクをしてくると、前歯ですか?・・笑いながらハイ!
平成20年9月8日告別式

今日は良い天気でした。ゆっくり歩きながら式場へ11時到着。
今日は、入り口でハイテンションなウシゾウさん夫婦と遭遇。
(その数十分後には思いっきり泣いていましたね)のんびり、入り口で写真を撮りながらな会場入り。
なぜか一番前の席に案内され最後のお別れを一番良い席で迎えられ有難うございます。
今日も立派な挨拶を聞き、お父さんをまた深く知ることが出来ました。
その後告別式が終わり、お父さんが車に乗せられ、桐ヶ谷斎場へ移動。
移動のバスに僕ら夫婦も乗せてもらい斎場へ。
この近辺は良く知っているのですが、何故か桐ヶ谷斎場に車が向かっていないのです。
何故?そしたら、うどんの見える道で偶然信号待ち。
バスの中でうどんを親族の方へ説明。あの赤い看板の店です。うどんは有りません。
さらに、お店は閉まっているじゃない?エッ!?店は僕が居なければ出来ませんからと不思議な説明を多々?
そして青信号で発車。
そしたら、数多くのカレー好きが通った五反田ゴールデンコースじゃないですか!
車はダカーポの前をゆっくり通過。
なんとそこには、昨日通夜に来られていた方々がダカーポのシャッターを開けて手を振って待っているじゃないですか!
何で!泣かせますよ!この演出。

そしてうどんの横を再度通り過ぎ斎場へ到着。
そしてお父さんとの最後のお別れをしたところで失礼させていただきました。
おりがとうございました、お父さん。
この2日間本当にお母さんの挨拶をはじめとする、色々な方々の話を聞き本当に勉強になりました。
これから自分がおこなっていかなくてはいけない事がたくさん熱く語られ、
少しでもいいから反復練習のように実行していこうと強く思いました。
でも、お父さんがそばにいれば、もっともっと自分がお父さんをみながら成長できたのでは無いかと言う気持ちは、
正直なところです。
でもこれからも、うどんも頑張りますので見守っていてください。
ダカーポのお父さん・お母さん。

☆オイスターゴッド誕生秘話?☆
メタルゴッド・ジューダスプリーストライブで、うどんの目標が見えた!?

2008年9月28日(日)22年振り?ターボラバー依頼のライブに行ってきました。
22年振りのご対面!
目の前にロブがいて!
声を聞き!
ただ歩いている姿を見るだけで!
もう何もいりませんと言う感じ。
昔は(25年前の84年武道館)
動きにキレがあり、アンコールも3回あり、2時間以上のライブでした。
アンコールが終わればステージからさらりと消えて、余韻を残し終了。
今回は、メタルゴッドなのに、何故か仏様か大統領かに見えるロブがいて、
暖かいアットホームな、微妙な笑いありのライブ。
最後には考えられない行動が!
客席に降り、メタルキッズ?とハイタッチの嵐。
その後ロブは、ステージに立ち挨拶をし消えていきました。
この行動、やはり年齢がそうさせるのか?
そしてロブは、ライブの最初から最後まで高年齢者(40代)の暖かい視線をずっと浴びながら
ライブを終えたように感じました。
もちろん自分も、時々ステージに見とれて不動のまま何度となく見入ってしまいました。
その瞬間、いけない!いけない!とまたシートに手を置き首軽く振ってました。
ライブ終了後、夢心地のまま帰宅し、翌日、店では朝からライブCD聴きまくり。
昨日の出来事と、22年前の出来事が区別つかず、いまだ夢心地?
でも・・・
どんなに、体力が落ちても!見た目が変っても!
今ここにロブが居る事、このライブにたくさんの昔からのファンが駆けつけてくれる事がとても、
”素晴らしい!”
うどんの店で一人強く感じてしまった。
そして、うどんも20年後に仏の様な人間になり、
暖かいお客さんに囲まれて営業できていれば良いなと思う今日でした。
うどん30周年記念大感謝祭なんてやったら、
オープンから今の時代までの8年間で来てくれたお客さんが
13人(13席しかないので)集まってくれるよう、
頑張るー! byうどん
おまけ・・・さすがに、20年後に”かれーごっど”になるとは、書けませんでした。


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