U-magnet:
INTERVIEW

吉川麻衣子

どゅるるるるー...
それぞれの、様々な、鼓動と緊張を叩くドラムロール。

「1992ミュージッククエストグランプリは・・・!」

わーーー!
沸き上がる歓声。走るスポットライト。暗闇から救われる受賞者。可能性を秘めた候補者からエキストラに変わり、 精一杯の仮面で、暗闇の中、複雑な心境をバリヤする拍手を送る出場者達。その中に彼女はいた・・

「ぜーんぜんっ。もともと、シンガーソングライターになりたいとか、誰かを見て、その絵を自分で浮かべて、こうなれたらいいなと思って、このことを始めたわけでは全くない。」

1992。あなたは何をしていましたか?
『君とピアノと』
日払いバイトの休憩所で、流れる有線にクスッと耳を傾けながら、自分の当時を思い起こす。中2から高校卒業までの長いトンネルの最深前夜のその年、『仮面の性格』『モラトリアム』というキーワードに、現代社会のテストで勉強なしで高得点を獲得していた、友達のいない少年。その教科書でとりあげられていた、『ダンスダンスダンス』のユキに興味を惹かれ、初めて村上春樹を読み出した年。もうアイドルは卒業っ!と『えりりん』のファンクラブを退会したのもこの頃だったろうか?

あれから18年。平成に生まれた子供たちも続々と成人を迎える中、吉川麻衣子は未だに音楽の世界に携わり、友達のいない少年は未だに三十路モラトリアムとして、重い仮面を割れずにいる・・んがふっふ

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「自分で唄を歌おう、歌いたいからと、曲を作ってたわけでもなくて、詞っていうものは別口に自分が書かずにいられない毎日があって書き殴るように書いてたもの。で、音楽はもとから自分で身に付いてたもの。で、ある時、 これを合体させたら何かができるかもって思ったの。」

四歳からピアノを習っていた。練習嫌い。ベートーベンやハイドンなど、決まりきったことを譜面通り弾くことがいやだった。クラシックからの逃げ道は、僕も愛した、『明星のヤンソン』。勝手に音をとって未聴の歌を歌う自由への疾走。

この日のマイケ女史は自身も携わっていた、ミキハウス製(←ちょっと懐かしい)のコンボイショーのTシャツにジーンズ。衣替えで、たまたま出てきただけという。

「与えられた仕事で自分を出せたり出せなかったりする。100パー満足して仕事ができてる人は、そういないと思うし、だから自分に与えられていたことをとりあえずこなしていけば・・・」

都内のマンションの一室。壁にはマル秘工事の防音設備が張り巡らされ、愛するマイケル・ジャクソンのピンナップ。時おり震える携帯にもアニキャラ化されたMJのストラップ。

現在彼女は音楽の世界で、裏方として、そして、自身の個人スクール“M.M.A”(マイケ・ミュージック・アカデミー)のマイケ先生として、毎日の自分のステージを、せっせせっせとあげている。

「生徒さんたちにも歌を通して、せっせせっせとステージをあげてもらえたらと思う。」

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「幸せだよねー。些細な一言でものすごく暖かくなる。5秒として黙れない。歌ってるか喋ってるか、私が黙るとモノが進まない。体力的には、つらくなってくることもあるけど、そうやってやってきたことで、ちっちゃなものを、大きな力に感じられるようになってきた」

「先生」という呼ばれ方には抵抗があると、いつも言う。

「ひとりひとりが違ったことを抱えてるのに対し、同じである私が、ひとりひとりに違う携わり方をすることの力。それに尽きるかな。私が赤しか出せませんよーってときに36色の人がいるとする。赤です赤ですって言ってるとこの仕事はできない。その中で自分の赤を保っていくことの葛藤」

歌いたくない歌の中にも自分の歌いたいものを見つけたい。

僕が、彼女が講師を務めていたスクールで、先生、生徒として出会った時、彼女は度々、「私みたいになっちゃうよ」ということを口にした。何か過去に悔いがあるのだろうか?
同じ教室の女性はポロリと呟いた。
「マイケ先生って業が深そう」

「やりたいこともいっぱいあるし…自分が前にでることが、デッカイ夢だったわけでもないし。人を産み出していく、育てていくってことの、幸せはすごく感じる。まあそれは信頼関係の中で、できるものだけど」

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「来年から髪切ってるかもかもしれないし。でも、いずれにせよ病気なんだよね。受け入れてもらえない病気。拒絶はしてないんだけど、明るい病気。

近所のスーパーで何気なく視界に入っていたご婦人に、女の子が「先生っ」と駆け寄るシーンに出くわしたことがある。僕にとっては通りすがりのご婦人も、少女にとっては先生なのだ。

「学ぶっていうことと 自分から生み出るものは別物じゃないかなー。学びたいって人には教える。でも何かが欲しい、こうなりたいって人には『教え』はしない。教えは押し付けだから。厳しいことは言うし、神様に、この子に宣告してあげてーってときもある。自分を信じるしかない。」

都内のマンション。密閉された空間の外では、様々な音が混ざりあった東京の音楽が流れ続ける。その音の中、その音をシャットアウトして、ノックの音を聞き分けつつ、今日もマイケ女史は、せっせせっせと自分のステージをあげている。いま、指先がならすのはドーナツのドか、ドリフトのドか

―きっといまなら―

そんな業やカルマは僕ごときには聞き分けられない、てへっ






吉川麻衣子

作詞・作曲・歌唱を始め、音楽業界スタッフとして
長年に渡り従事している。


Official web site * M.M.A
(マイケ・ミュージック・アカデミー)
BLOG *マイケの1gun shot