プツリ、と右耳から引きちぎられた十字架のピアスが、床に落ちて小さな赤い染みを作った。




ブランシェは、金庫の奥の壁に掛けられた、大きな鍵の束を手に取った。
古めかしい、重い鉄の鍵がいくつもぶら下がったそれは、一族の当主しか持つことを許されないもので、ブランシェは今、 当主代理としてこの束を預かっていた。

暗い暗い石の螺旋階段を降りていくと、この城の地下の最下階に辿り着く。そこには幾つもの小部屋があり、 その中に一つづつ柩が納められていた。
そのうちの一番新しい柩が置かれた部屋の扉に、大きな鍵を通して、ブランシェは入っていった。

四年前、弟が当主になったときに作られたその柩に、そっと手を当てる。
「……。」
黒い柩の蓋は、微動だにしなかった。

何処からか、白い薔薇の香りがした。





お父さまとお母様は、出会って、恋をして。
僕たちが生まれた。

だけど、僕は知ってる。
お父さまが、それを悔やんでいたことを。

出会ったことでも、恋をしたことでもない。
僕たちが生まれたこと。
お母さまに、大きな責任を押し付けてしまったことを。

もし、いつかそれを許されるとしたら、僕が当主として少しでも役に立つこと。
生まれてきた罪を償うこと。
それが不可欠だと思っていた。

だけど…。





ブランシェは地下の部屋に降りていった。
部屋に納められている、黒い柩に手を当てる。暫しためらった後、蓋を横にずらした。
中には、白薔薇に埋もれるようにして眠る、弟の屍があった。
まるで生きているような…否、まだ死んではいない。ただ、眠り続けているだけ。
頬に触れると、ひんやりと冷たかった。

「どこに行ったのよ、もう…」

ブランシェは小さく呟く。このことは、旅行中の両親には伝えていない。それは、ブランシェの決断。
しかし、このまま目覚めなかったら…そう考えてブランシェは身震いする。弟は、狂気に喰われたと判断され、 柩の蓋は釘で打ち付けられるだろう。その代わりに、自分が正式に当主の座に着くだろう。
「……冗談じゃないわ」
出来ることなら、彼が気付くまで耳元で怒鳴りながら揺すぶってやりたい。





目を覚ましたら、テディは一面の白薔薇の中に埋もれていた。
黒い柩の蓋は少しずらされていて、その隙間に泣き出しそうな姉の顔があった。
「…テディ」
彼女が柩の中に手を伸ばしたので、テディは身を起こした。

「ブランシェ」

なんだか、随分長い間眠っていたような気がする。夢も見ない、永い眠り。
…戻りたかったのか、本当は判らない。

「当主様」
突然、彼女は膝を折って、ふかぶかとお辞儀をした。
「お帰りをお待ち申し上げておりました。印を、お返し致します」
ブランシェが差し出したものを、テディは躊躇いながらも受け取った。
彼が当主の座に着いた時、父親から贈られた金細工の十字架。ずっと大切なお守りとして身に着けていた。
…だけど、一番大事なときに、守ってくれなかった。
もう一度、これを身に着けるに足りる存在になれるだろうか、とテディは思う。

「お寝坊にも程があるわよ」
立ち上がったブランシェは、弟の頭を軽く小突いた。





例えば。
今、もし僕が死んでも、あなたと同じ場所にはきっと行けないから。
もう少しだけ、前へ。




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