つるのおんがえし
      
                                            作者 不詳

  古くから伝承されている日本の代表的説話の1つです。驚くことに、作者は不詳です。そして、作られた年代も不詳です。この作品の時代的背景は、奈良時代でもなく、江戸時代でもなく、だいたい室町時代くらいでしょうか?
まだ人も入らぬ原生の
森が背景にある山里が話の舞台です。かぐや姫で有名な「竹取物語」と異なり、この物語は、ある書物を介するのではなくこの時代からずっと親、子、孫と語り継がれてきたことになり、驚異です。
物語の舞台は雪がある地方であることは明らかで、日本の山陰地方、北陸地方、中部地方の山岳地帯、上越地方、東北地方くらいが候補として、思い浮かびます。登場人物にも、地方で若干差異があり、青年一人であったり、老夫婦であったり、母親と息子というパターンもあります。鶴は、一度結婚した相手とは終生をともにするという特徴があり、相手に対して、忠誠的、または献身的であるとされ、この点がこの物語のいたるところで、背景として見え隠れし、情感的な美しさがただよう作品になっています。解説はあとにして、ひとまず、物語の概要を、情景画とともにみてみることにしましょう。(文章と絵は筆者の書いたもので、特定の絵本等のものとは異なります。また、内容の一部は特定の本とは異なることもありますのでご了承ください。 また、本作品はフィクションであり、登場人物等の名称等は全て仮名で、実在しません。)
)。

むかしある山里に、ひとりの若者が住んでおりました。若者は畑を耕し、そこでとれた穀物や野菜を食べて
暮らしておりました。その生活は、質素で、貧しいものでしたが、若者は心やさしく、森のいろんな生き物に寛容で、毎日、自然のめぐみに感謝しながら、ほそぼそと暮らしておりました。ある夕暮れ時、きのこをとりにいった帰りのことでした。若者は、鳥のかん高い悲痛な声を聞き、いそいでかけつけてみると、一羽のつるが、わなにかかって
ないておりました。若者は、「かわいそうに」と一言発するやいなや、すぐわなをはずし、傷ついた足を、もっていた布を裂いて包帯のようにくるんでやりました。つるはうれしそうに、若者の顔をしばらくみておりましたが、大きな羽を羽ばたかせ、夕暮れの山に飛んでゆきました。若者は、そのつるに向かって、「もうわなになんかかかるんじゃないぞー。」とさけびました。つるは一瞬若者のほうをふりかえったようにみえましたが、夕暮れの空に白い点となって消えてゆきました。
それから、数日たったある晩のことでした。外はひどい吹雪で、冷たい風が家の隙間(すきま)に入り込むカタカタという音にまぎれて、コンコンという戸をたたく音がします。若者は今ごろ誰だろうと、風にきしむ戸をあけてみると、

おどろいたことに、今まで見たこともないくらいの美しい娘が、ひとり立っておりました。
「この吹雪で道に迷ってこまっています。今晩は泊めていただけませんか?」
若者はびっくりして、「それは、たいへんだったでしょう。さあ、入ってください。」
というと、「うちは貧しくて、大したものはありませんが、これでも食べて温まってください。」
と、残り物の野菜粥を、いろり鍋からとりだして、娘に勧めました。娘はとてもうれしそうに、若者の顔をみつめるとその粥をほうばりました。
次の日も、その次の日も、外はひどい雪で、視界は悪く、とても出られるような天候ではありませんでした。その後は、すこし雪は少なくなりましたが、娘はいっこうに帰ろうとはしませんでした。すこし訳を聞くと、両親はなくなり、家を追われ、行くあてはない、といいます。若者は、それをあわれに思い、「こんなところでよかったら、いつまでいてもいいよ。」というと、娘はたいへんうれしそうにほほ笑むのでした。こうして、若者はこの娘とくらしはじめました。



娘は働きものでした。朝早くから、質素ながらも温かい「朝御飯」を作り、若者の農作業を手伝い、晩には、つましいながらも、いろり鍋を灯につつまれて笑って食べるといった、幸せな毎日が続きました。娘がきてからは、家のなかが急に明るくなり、若者はいままでにない「しあわせ」を感じていました。一方、娘のほうも、若者がうれしそうに
笑うのをとても喜んでいるようでした。

そんなある晩のことでした。娘は、倉の片隅においてあった古い糸をもってきて、「これで、布を織ってみようと思います。しばらく、この奥のはた織りのある部屋に数日こもります。そのあいだ、決して戸を開かないと約束してください。」若者は、深く考えることなく、うなずきました。


こうして、娘は、部屋に閉じこもると、まもなく、はたを織る音がギッコン、バッタンと聞こえてきました。
それから、毎日、雪が深々と降る中、この音だけが、家の中に絶え間なく流れるのでした。
娘が部屋に入って、まる5日がたち、さすがに若者も娘のことが心配になりました。しかし、絶対に部屋の戸を開けないでください、といわれていたので、そのまま、待ち続けるしかありませんでした。

5日めの朝、機織りの音が止まり、部屋の戸が内側から開けられました。そして、娘がゆっくり出てきました。
手には、今まで見たこともないような美しい反物を持っていました。反物は、この世のものとは思えぬほど美しく、
素晴らしい輝きを放っておりました。反面、娘は、たいそう疲れ果てて、やつれたように見えました。若者は、それを気遣うように、「とてもつかれただろう、芋粥があるので、それを食べて休みなさい。」といい、むすめに、温かい粥
をついでやりました。むすめは、うれしそうにこの粥を一口ほうばると、「この、反物を町へいって売ってきてください。」といって、きれいな反物を若者に手渡しました。「なんて美しい反物なんだろう。」若者は、あまりの美しさに言葉を失いました。
反物は、とても高く売れました。村の豪商である呉服屋の主人が普通の20倍もの価格で買い取ったのでした。
若者は、そのお金で、魚やみそ、米、そして娘に着せる毛糸の肩掛けを買い、家路につきました。
娘は、若者が、普段買えないようなものを買って、とてもよろこんで帰ってきたのをみて、ほほえんでいました。
若者は自分は幸せだと思いました。そしてこの娘との出会いを天からもらったことにとても感謝していました。
そんな幸せな毎日が続いたある日のこと、突然、町の豪商の使いのものが若者の家にやってきました。
話をきくと、先日の美しい反物のうわさが、お城の殿さまの耳に入り、なんとしても、もう一枚、殿に献上するようにとのことでした。若者は、あの反物を織るのに、娘が大変な苦労をしたことを知っていましたから、「あの反物は、一枚織るのがやっとで、二枚も織れるものでありません。」と何度も「おことわり」していました。こんなやり取りを後ろで聞いていたのか、娘が「では、もう一枚だけですよ」といいました。
数日後、再び、娘は若者に、絶対に機織り中は、戸を開けないように告げると、また布を織るため部屋に入りました。また、機織りの音が、冷たいひっそりとした家の中に響きました。ただ、今度は、音は弱弱しく、前のような活気のある律動ではありませんでした。若者は、娘のことが心配でした。そして、一昼夜続いた、機織りの音が、突然止まりました。若者は気が気ではありませんでした。若者は思わず、「だいじょうぶか!?」と叫ぶと、、とっさに、娘と約束を忘れてしまい、戸を開けてしまいました。

部屋には、娘の姿はなく、代わりに、一羽の鶴がまばゆい光の中、自分の羽を布に織りこんでいました。
その鶴が、すこし前に自分が救った鶴であることは、若者にはすぐわかりました。

鶴は、再び、娘に姿を変えると、残念そうに若者にほほ笑みながらこういいました。
「そうです、わたしはあなたに救っていただいたあの時の鶴です。いつまでも、あなたとこうして暮らしたかった。
でも、姿をみられたからには、天の神様の掟にしたがい、山に帰らなくてはいけません。とてもたのしかった。」

「さようなら。」最後にこういうと、娘は一筋の光となって、山のかなたに鶴の姿となり、消えてゆきました。

というお話なのですが、いかがでしたでしょうか?この物語を、今の人間社会に重ね合わせてみてみると、
ずいぶん考えさせられる面がいくつかあります。まず、自分が出会った大切なものは、いったん手からこぼれ落ちると、二度ともどらないということです。あとで探せばよいとか、まだどこにでもあると思っていると、二度と手にはいらないものがあるような気がします。恋愛も例外ではないような気がします。そして、自分にとってたいへん大切で、かけがえのないものは、意外に自分の近く、眼と鼻の先にあるということ。そして、その存在に意外と気づいていないことが多いこと。かもしれません。そして、この若者のように、自分はまだまだ恵まれている、自分が元気で働けるのは、大自然からの恩恵であることを、私自身を含め、もう一度考え直してみるといいと思います。人間以外の地球上の生き物に愛情をもって接することができるようにもなりたいですね。
。この物語のもう1つのテーマは「孤独」です。この物語の時代背景は、だいたい室町時代頃?で、まだ物の流通は江戸時代ほど盛んではなく、山岳地帯では、自給自足の農作が主体で、人口もまばらで、一人一人は孤独な生活であったように想像できます。毎日、人と会うよりも動物たちと出会う方が多いような生活で、それゆえ、このような説話ができたのかもしれません。今後は、我々の時代も人口減少時代に入り、孤独が再び重要な課題として浮上してきています。この物語は決して過去のものではなく、昔から日本には存在し、今の我々の世の中にも存在します。もう一度原点に立ち戻ると。この若者が暮らしたように、孤独であるがゆえに、自然との接点や調和を求めて生活していくことが、1つの答えのようにも思います。

                           
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