小僧さんとおはぎ
                                            絵と文  都筑 信介
      (本作品はフィクションであり、登場人物等の名称等は全て仮名で、実在しません。)

 むかし、どこかで聞いたお話です。大人になってからのこの話を探してはみましたが、みつからないので、それを情景画とともに、語ってみようかと思います。そんな軽い気持ちで読んでください。



 むかしむかし、ある山寺にひとりの小僧さんが、修行しておりました。ある朝、和尚さんが、「今日はとなりの村で、今度の節分会のうちあわせがあるので、朝のお経がすんだら、でかけることにする。その間、お庭と本堂の掃除をしておくように。」といわれました。
「わかりました。いってらっしゃいませ。」そういって、小僧さんはさっそくお庭の掃除を始めました。



午前10時ごろでしょうか、小僧さんがお庭を箒(ほうき)ではいておりますと、門の外に一台の荷車が止まりました。穀物屋の俵屋さんでした。俵屋さんは荷車から、大きな袋を運んできて、
「こんにちは、ご注文の品をお届けにまいりました。」といいました。
小僧さんはなにも和尚さんから聞いていませんでしたので、
「はい、こんにちは。とくに何も聞いていませんが、これはうちへのお届ものですか?」
「はい、なにか、近いうちに、節分会の打ち合わせ会というのがあって、おはぎを披露するといってみえましたよ。」
小僧さんは、思わず「そうか!たぶん、今日はおはぎを作ることになってるんだ。しめしめ、たくさんつくって、少々余ったら、おこぼれになれるかもしれないぞ。」と、にやっと笑いました。そこで、はやく、掃除をやってしまおう、と一目散(いちもくさん)に、本堂の雑巾(ぞうきん)掛けに走りました。




お昼すぎからは、お寺のみんなが総出で、おはぎ作りにとりかかりました。もち米を焚き、小豆をゆでて、甘く煮込み、たくさん作らなければならないので、たいへんですが、炊事場には、甘い香りがただよい、釜から出る湯気と重なって、おいしそうな匂いが、お寺中に広がったのでした。
おはぎ作りは、夕刻ごろには終わり、いつもながらの夕御飯が淡々と終わると、早くも床に就く時間になりました。
小僧さんは「おはぎは少しは、食べさせてもらえるのかなあ、、、?」と思って、しばらく寝ないで、待っていましたが、いっこうにそんな気配はありません。




小僧さんはしかたなく、床につくと、大広間からは、和尚さんたちが何やらお話をしているのが聞こえました。床からでて、そーと襖(ふすま)を開けてみますと、おはぎがのったお皿を囲んで、なにやら話をしています。小僧さんは、「ひょっとにて、お呼びがかかるかもしれないぞ」と、そっと襖戸を閉めると、床につくと、しばらく寝ないで、耳をすませていました。その時です、「おーい、栄念くーん(小僧さんの正式名)」という声が聞こえました。小僧さんは、「やった」と思いましたが、「待てよ、すぐ、はーいといってとんでいったら、いかにも、待ってましたと言わんばっかりだなあ、それではあまりにわざとらしい、ので、もう一回お呼びがかかったら、眠たい眼をこすって起きてきたという顔をしてでていくことにしよう。」
そう考えて、小僧さんは、2回目のお呼びがかかるのを、じっと待っていました。ところが、二回目のお呼びはなかなかかかりません。それどころか「どうも、返事がないようだなあ、もうねてしまったか。せっかく、余ったおはぎをたべさせてやろうかと思ったのに、残念だなあ」という声が聞こえてくるではありませんか。小僧さんは、しばらくしてから、「はーい」といって大広間にとんでいきました。




このため「おお、やっぱりおきておったか!」と大広間では、大笑いになりました。


というお話なのですが、みなさんも、子どものころに、実際に似たような思い出がある方もみえるのではないでしょうか?和尚さんは、小僧さんの「子ども心」をすべてお見通しで、その純粋なこころを決して裏切らないというところが、倫理的にも美しく、かつ「こっけい」です。現在は、このようなお話を子どもに聞かせる機会は大変少なく、絵本でも
このような「愛情あるこころ」を描くようなものはきわめて僅少のように思います。人を思いやるこころは、こういう物語を読んだり、きかされたりして、子どものこころに芽生えていくような気がします。そして、スマートフォーンが行き交うデジタル社会でも、このようなアナログ文化にふれられるようにいたいものです。

                       
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