せいくらべのお話              
                                              都筑 信介

  ♪ 柱のきずは、おととしの、五月五日のせいくらべ ♪
     ちまき食べ食べ、兄ちゃんが、はかってくれた背の丈、 ♪

   昔から、歌い継がれている有名な唱歌ですね。普通に、歌ったり、聞いていると、あまり不思議には思わないのですが、詩をじっくり読んでみますと、「おととし」という言葉が、ちょっと気になります。「どうして、おととしなんだろう? 」「どうして、昨年の?、、」ではないんだろう? という、素朴な疑問がわいてきますね。きょうは、その訳を物語にして、語ってみることにしましょう。(文と絵は筆者が描いたもので、引用ではありません。名前は全て仮名で実在しません。)

  桜の花も散り、外では心地よい「そよ風」が、山から里にゆっくり吹くころ、田舎の一軒家に向かう一人の郵便配達員の姿がありました。丘をおりると、眼の前には、大きな富士山が、目の前に現われたのでした。
「山川さーん、郵便でーす。」という声が、玄関に響くと、ガラガラと戸が開いて、たかし君が、ちょっと恥ずかしそうな顔をだしたのでした。「お手紙?」とたかし君が聞くと、「そうだよ。消印からすると、東京からかな〜」と、配達員の人が、わりと大きな封筒を、たかし君に渡してくれました。

手紙は、東京にいる、さとし兄ちゃんからでした。手紙には、「今年の端午の節句(五月五日、いまの子どもの日のこと)には、かえります。たかしと、ちまきをたべるのを楽しみにしてます。」と書かれていました。
「かあさん、さとし兄ちゃん、ことしの節句は帰ってくるんだよね?」「そうだよ、久しぶりだよねー。今年は、はりきって、ちまきをたくさんつくらないとねー」。「わーい、もうちょっとで、お兄ちゃんと会えるぞー」。

  さとし兄ちゃんが帰ってくる日は、駅まで、迎えにいくことになりました。駅はにぎやかで、いろんな格好をした人が行き交い、うどん屋の入り口を通りかかると、おいしそうなうどんのつゆの匂いが、ただよってきて、おもわず、たかしくんは、舌舐めずりをしました。駅に着いて、しばらくすると、シューシューという蒸気と煙につつまれながら、
真っ黒な大きな汽車が、ゆっくりホームにはいってきて、改札口の前あたりにとまりました。そして、たくさんの人が、順番に改札口を通ってでてきました。そのなかに、さとし兄ちゃんの姿がありました。「兄ちゃん〜、こっちこっち〜」たかしは、大きな声で、手を振りながら、うれしそうに叫んでいました。そんな声に、駅にいたみんなが、こちらを振り向き、さとし兄ちゃんは、はずかしながら、その歓迎ぶりに答えたのでした。

自宅にもどると、さとし兄ちゃんは、去年の節句は、肺の病で病床にあり、回復までに、およそ1年もかかったことを、かあさんに話していました。そして、ふたりで、蛙(かえる)をつかまえたりして、遊びました。芋ともち米をねってつくった「粽(ちまき)」は、我が家の名産品です。「これだけはどこにも売ってないなあ〜?」なんて、いいながら
二人は、これをほうばりながら、また、柱に背丈を刻むことにしました。「どうだ〜、たいぶ背がのびたかな〜」
と、柱にキズをつけてみてみると、「なんだあ〜、ほんのちょっとしか大きくなってないなあ」と。ちょっと、しょげているたかしに、「いいんだ〜。これから丈夫に大きくなれば、、。いいか、病気なんかになるんじゃないぞ〜。あの富士山みたいに、でっかく立派になるんだぞうー。」と、さとし兄ちゃんは、ガラスの窓からみえる富士山をみて、いったのでした。


このお話は、フィクションで、登場人物は実在せず、すべて仮名ですが、「せいくらべ」を作詞した海野厚は、東京の大学に入学した後、「肺結核」を患い、翌年は帰郷できなかったとされています。この歌には、実は、自分は病に倒れてしまったけれど、弟には、そんなことがなく、富士山のように雄大で、元気に育ってほしいという願いがこめられているようです。

                          
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